第53話 一つの解決

 校長室。

 僕も栄玉学園に所属して二年目になるが、この豪奢な扉の中に入ったことは一度もない。というか、一般生徒が校長室の中に入る案件って、極めて一般人の僕にしてみれば掃除当番くらいのものじゃないかな、くらいの認識だ。

 そんな、一度も中を見たことのない扉が、高橋先生によって叩かれる。それと共に、中から「入りなさい」と声がした。

 ぎぃっ、と扉が開くと共に、全校集会くらいでしか見ることのない、老齢の校長先生が姿を現す。


「入りなさい。千葉くん、和泉さん」


「は、はい……」


「はい、失礼します」


 豪華そうなソファと、高そうなテーブルがまず目に入る。そして、椅子に座っている校長先生と、その執務用の机だろうデスクもまた高級品のように思える。そして、その後ろに飾られているのは様々な賞状やトロフィーだった。

 そして、そんなソファに座っているのは二人。

 一人は、見たことのないおじさんだ。背広姿に口髭を生やし、不機嫌そうに腕を組んでいる姿から、恐らく偉い人なのだろうな、くらいの認識しか抱かない。

 そして、そんなおじさんの正面に座り項垂れているのは、北村正輝だ。


「こほん」


 口髭のおじさんが、一つ咳払いをする。それと共に、校長先生がびくっ、と肩を震わせた。

 態度から察するに、どうやら校長先生よりも偉いようだ。何なんだろう。超校長先生とか?


「千葉武人くんに、和泉真里菜さんだね」


「は、はい……」


「はい」


「よく来てくれた。北村さん、席を立ちたまえ。二人は、そちらのソファに」


 項垂れたままの北村が立ち上がり、そのまま部屋の隅で立つ。それを見て、僕と真里菜も同じく動いてソファに腰掛けた。

 感触はふかふかだけれど、北村が座っていたからちょっと温いのが不快である。言わないけど。


「まずは……そうだな。私は栄玉学園理事長、さかえ保仁やすひとという」


「ち、千葉武人です」


「和泉真里菜です」


「うむ……今日、二人を呼び出したのは他でもない。この雑誌の件だ」


 すっ、とおじさん――栄さんがテーブルの上に出してくるのは、僕が先ほど見たばかりの雑誌だ。

 当然のように、そこには北村の記事が掲載されている。


「高橋先生にも確認したが……こちらに書かれていることは、事実と考えて間違いないかね?」


「は、はい……」


 記事は、一応目を通している。

 北村が僕に対して行った恫喝が、全部見事に掲載されているのだ。そこに虚偽は一つもない。誇張した表現もなかった。

 僕の返答に、高橋先生も同じく頷いているのが分かる。

 そして、栄さんは大きく溜息を吐いた。


「まずは……私の方から、きみに謝らせてほしい。申し訳なかった」


「へっ!? え、ええっ!?」


「柔道部のコーチを北村さんに頼んだのは、私だ。まさか、そのように立場を用いて高圧的に指導をする人間だとは思っていなかった。千葉くん、ならびに和泉さんには、不快な思いをさせた。まず、それを謝罪させてほしい」


「い、いえっ、そんなっ……!」


 僕、絶対怒られると思いながら来たのに。

 なんで、いきなりそんな風に謝られるのさ。それも、僕より遥かに偉い人に。


「今回の件は、我々の監督不行き届きだ。北村さんは全柔連でも、優れた指導者だと言われていてね……だが、指導する者として、生徒の自主性を全く尊重しないその態度は、我々としても許しがたい。今後は、このようなことが二度と行われないよう、厳重注意とした上で減給処分を行うこととする。千葉くん、今回はそれで、北村さんを許してはくれないものだろうか」


「い、いえ、許すも何も……」


 許すどころか、もう真里菜にやり込められてたよ、この人。

 これ以上、僕から何も言うつもりなかったし。というか、今回こんな風になったのも、父さんが勝手にやったことだろうし。

 僕にしてみれば、もう正直に言って、どうでもいい人である。


「別に……僕は、何をされたわけでもないですし……」


「そうか。ならば、北村さんを許してもらえると思っていいのかな? 勿論、こちらから相応の処分は下す。だが、きみたちが望むのならば、懲戒免職という形にしてもいい」


「そ、それは……」


 さすがに、そこまでされると僕も寝覚めが悪い。

 北村がどういう考えだったのかは分からないけど、真里菜のことを案じてのことだったのだろうと思う。真里菜に、本当に全国大会で活躍してほしいから、僕に対して強く言ってきたのだろう。

 そりゃ、父さんが暴力団だ、って一方的に言われたことは心に刺さったけどさ。でも、もう過ぎたことだ。


「理事長」


「何かね、和泉さん」


 だけれど、そこで口を挟んだのは真里菜だった。

 たった一度指導室で会っただけの僕よりも、柔道部で指導を受けている真里菜の方が、遥かに関係性は深いだろう。僕がどうこう言うより、真里菜の判断に任せた方がいいのかもしれない。

 もしも、他にも柔道部で問題とか起こしてるなら――。


「では、私は今後も武人と交際をしてよろしいのでしょうか?」


「今それ聞くタイミング!?」


「何を言いますか武人。今を除いていつ尋ねればいいのですか」


「駄目って言われたらどうするのさ!」


「その時は実力行使でなんとかします」


 いや、その物騒な考え方やめよう。

 だけれど、栄さんはそんな僕と真里菜のやり取りに、僅かに頰を綻ばせた。


「……仲がいいのだね、きみたちは」


「す、すみません……」


「いや、謝る必要はない。高校生という、二度と来ることのない日々だ。そのように恋愛を楽しむのも、また学生時代の楽しみ方だよ。そうだね……今回の件をきっかけに、校則の条文から不純異性交遊についてのものを削除しよう。あまりにも古い校則だとしか言いようがないからね」


「あ、ありがとうございます」


 良かった。これで、少なくとも校則違反ではなくなるんだ。

 栄さんはもう一度咳払いをして、居住まいを正し。

 そのまま、真剣な眼差しで僕と真里菜を見た。


「勿論、きみたちがこれからも健全な交際を続けることに、異論はない。和泉さんが将来を嘱望されている柔道選手だとしても、それは変わらないことだ。私にしてみれば、千葉くんも和泉さんも一人の生徒に過ぎない。誰かを特別視するべきではないからね、教師というのは」


「は、はぁ……」


「それから、和泉さんのスポーツ特待生としての扱いは、今後も問題なく継続される。だが、条件は以前と変わらない。それは納得しておいてくれ」


「全国大会で三位以内ですね。承知しております」


「うむ……それでは、これで双方納得がいったと考えていいね。千葉くん、今回の件は、北村さんの暴走のようなものだ。今後は、このようなことのないよう、我々の方でも監督させてもらう」


「は、はい。ありがとうございます」


「では……北村さん、彼に謝罪を」


 栄さんの言葉に、びくっ、と肩を震わせて。

 顔を伏せたままで、悔しそうに歯噛みしながら、北村が僕を見た。

 その瞳に――憎悪の炎を浮かべて。


「……すまな、かった、千葉武人」


「はぁ……」


「……」


 あ、以上?

 あんまり、謝罪する人の態度じゃないと思ったのは僕だけだろうか。


「では、双方の納得もいったところで、校門前の彼らに対して答えを示そう。千葉くん、和泉さん、きみたちには納得してもらった。今後、もしも校門前の彼らが妙なことを言ってきたとしても、答えないでくれ」


「はぁ……」


「以上だ。忙しいところをすまなかったね」


 なんだろう。

 北村は報復を受け、僕と真里菜の関係は偉い人によって承認された。事実を述べるのなら、それだけだ。


 想定以上に、あっさり解決してしまった。

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