鍵と舞台

 買ってきたばかりの新しい歯ブラシをコップに入れた瞬間、パッと光って二つが消える。どうやら錠前の関係だったらしい。買ったばかりなのに、と地団太を踏むわたしを、あいつは指さして笑い、「ええから練習しよ」とスポットライトの下に連れ出す。黒い布を笠に巻いて作ったお手製のスポットライトの下で、わたしたちはエア観客に向かって漫才をくり広げる。想像の先の観客は、どんなにすべっても爆笑してくれるからやさしい。

 錠前の関係である二つが出会うと、光をのこして消えてしまう。高校の同級生が、ある日隣のクラスの担任と消えたのも、いとこのお母さんがパート先から帰ってこなかったのも、老人ホームに入居していたおじいちゃんがいつの間にかいなくなっていたのも、おそらくは「その存在」と出会ってしまったからだろう。物質だか電子だかの設定で決められている関係は、本人の意志とお構いなしに、現象として消滅を引き起こす。その確率は雷に打たれるよりも低いらしいので、一部の不謹慎なピンク頭たちは「運命」とかいってはしゃいでいる。消えてしまったらデートも結婚もできないって、分かってるんだろうか。

 わたしとあいつは錠前の関係じゃないけど、だからこそコンビとしてうまくいっていると思う。お互いが特別じゃないって分かっているから言動にも配慮するし、なにより二の腕にツッコミ入れても消えないし。あいつのネタにツッコめないなんて、そんなしんどいことある?

 だからあいつが、ずっと夢みてきたO1グランプリの決勝に現れなかったとき、わたしはあいつが消えたんだと分かった。あんなにもお笑いが好きだと言ってたやつが、事故や事件ごときで来ないはずがない。

 わたしは漫才をやめた。この世で一番つまらないと思っていた会社員という生き物になり、美味しい食べ物と、言うことをきかない肌荒れの話しかしなくなった。なんともつまらない終わり方だけど、あいつと一緒じゃない漫才の記憶が、べつの笑いで上塗りされていくのは耐えられなかった。

 働いたり、辞めたり、結婚したり、離婚したりと、まるでコントみたいに平均的な生活をするなかで、ときどきぽつりとあいつからの手紙が舞い込んだ。あいつはもう消えているはずなので、わたしはすべて読まずに捨てた。わたしたちの解散は小さいけどニュースになったし、SNSで叩かれたりもしたせいか、何年経ってもこうしたイタズラが止まなくて困る。

 ポストの前で緑色の封筒を破り捨てると、あいつの幻聴が追いかけてきた。わたしは振り返らずに足を速める。幻聴は、観客席みたいに暗い交差点まで追いかけてきた。振り払おうと横断歩道に飛び出したわたしを、真っ白な光が照らす。二つのヘッドライトが、まるでスポットライトみたいにわたしたちを照らしている。

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