時長生活

 人々は時短を求めすぎて、今や時間を持て余している。あらゆる仕事は自動化され、バックグラウンドで処理され、わたしたちの両手はぽっかりと空いてしまった。長すぎるヒマは生物の精神をコトコトと煮詰めては発酵させてしまうので、あらゆる時間つぶしが開発された。ゲーム、映画、小説、パズル。それでもなおある時間に、人々はあてどない徘徊と、発狂寸前の雄叫びを繰り返す。

 ヒマすぎるわたしたちの生活では、仕事以外にボランティア活動をしているのが当たり前だ。わたしも昼過ぎに、やることがなくなった執務室を出て病院へ向かう。職場から歩いて五分の病棟には、日々検査や治療に追われる患者たちがあふれている。忙しい彼らに変わって、わたしは週三日、彼らの身の回りの世話や、グチの相手になっている。あの子もその一人だ。5歳の時から小児病棟に詰め込まれて、常に忙しく治療を受けている彼女は、隙あらば「時短」という。「この小説、つまんないけど結末気になるから、次までに読んで要約してきて」

 なにかに追い立てられるように目まぐるしく生きる彼女は、正直うらやましい。複数の動画配信サイトを契約している彼女が組んだ、配信開始と終了から逆算した視聴スケジュールは、もはや芸術の域だった。一切無駄のない時間の使い方は、ぼんやりソファに座っているわたしなんかより、よっぽど人生楽しんでいるように見える。そうぼやくと、彼女は三倍速で眺めている映画から視線を放さずに「ネズミとゾウが同じ人生なわけないでしょ」と吐き捨てた。

 寿命と拍動の相関性について知ったのは、彼女のお葬式だった。遺品の一部のノートはわたし宛で、中にはぎっしりと、彼女の見つくした映画の感想と考察が書いてあった。ノート十冊に及ぶその評論の最後に、「あとは頼んだ」と一言、見慣れた文字が書いてある。膨大な宿題を抱えて、わたしは笑った。どうやらしばらく、時間をつぶすことに頭を悩ませることはなさそうだ。

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