牛の星

 俺たちはみな牛を飼っている。いや、飼ってないやつもいるけど、たいがいは飼っている。倍速で過ぎる休日を引き留めるためには、それが一番有効なのだそうだ。大型犬くらいに品種改良された「土曜牛」は休日を体感五倍に引き伸ばしてくれるらしく、俺たちは休みの早朝、牛を引き連れのんびりと街を歩く。

 夏のボーナスをはたいた黒ぶちの牛は、散歩もご飯も週一でよくて、四十度のベランダに放置してもまったく平気だ。一応生きているが肝が太すぎて、雷にも台風にもびくともしない。休日の早朝、絞り切った雑巾のごとく連勤を終えた俺は、それでも気合で体を起こす。土曜牛は朝の三時から五時の間しか起きない。ぱっちり開いた濡れた黒目は、あんがい長いまつげに縁どられていて、まあ、かわいくないこともない。

 朝四時の町はしずかだ。牛歩というくらい牛の歩みは遅くてとろくて、けど引っ張ったって力で勝てるはずもなく、しかたなく俺は靴の底をすりつけながら歩いた。ときおり犬や、ネコや、牛を引く人とすれ違う。グラサンかけてピタピタのスパッツで走り抜けてくランナーに道の真ん中をゆずりつつ、サンダルやつっかけでのんびり歩く同じようなやつらと、かすかに会釈しながらすれ違うのは悪くなかった。散歩を終えて、通販で届いた一週間分の牧草をバケツに入れて与え、はむはむ口を動かす牛を眺めていると、気づけば日がのぼっている。時計を見ると、まだ朝の九時にもなっていない。体感五倍はウソじゃないらしい。

 俺は今日も、ぼんやりと牛を眺める。さくさくさく、と草の咀嚼音を聞きながら、ふと手元の電波時計をみた。一秒が、すこしずつ増えていく。ながめながら、違和感を覚える。体感五倍、といっていたけど、なんだか本当に、遅くないか? 不思議に思って見つめていると、九時の針が、ふいに動いた。目をこする。十一を指した針は、数字をひとつ飛ばしたことなど忘れたように、何でもないようにすましている。その針が、規則的にふるえて、少しずつまた九に戻っていく。よくよく見ていると、その震えは、すぐそばで聞こえてくる音と連動している。俺は牛を見た。もぐもぐ動く牛の口と震える針先は、気味が悪いくらいに同じタイミングで動いている。俺は口をあけたまま視線を上げた。閉じているはずの牛の目は、なぜだか今だけ開いていて、底知れない黒い瞳のなかに、俺がゆがんで写っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る