理解しようとするよりも

よくいじめ問題とか授業でやるとき、「いじめられる側の立場を想像して...」とかってよく言うけど、間違ってると思う。


想像して理解されるくらいなら自殺するほど悩まないし、いじめてる奴に理解できるとは到底思えない。


苦しんでる奴を助けたい、なんてのはエゴだし、偽善者と言われるのは当たり前だ。でも、偽善者と分かっていても、無視するよりはいいと思いたい。煙たがられても、会話の相手になってやれるような奴に、なりたい。


教育者はそういう思考にならないのだろうか。




 要は「理解しようとしても無理なんだからとにかく話だけ聞いてあげようぜ」って話なんだけど、今自分がそういう立場になってみて「聞くだけ」が一番難しいのはよく分かったね。加害者に「相手を理解しろ」というのは無理だけど、支援をしたいなら支援をしたい相手を理解しようと努めることはとても大事だと思いますね。理解できなくても理解しようとする姿勢が心を開くきっかけになったりもするんで。

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