第177話 囚われのお姫様【SIDE:ゴーレム】

 扉の先は薄暗く小さな部屋になっていた。粗末な作りのベッドと、小さなロウソクの光。ただそれだけしかない、ちっぽけな世界。


 同じだった。少し前の俺は、牢屋に入れられて、これくらいの小さな空間と、処刑場しか知らなかった。

 自分がかつて暮らしていたそれとそっくりの部屋を見て固まっていると、部屋の奥からもぞもぞという音が聞こえてきた。


「ちょっとなによアンタたち! 入ってくるときはノックしろって言ったでしょ!」


 甲高い声とともに、一人の少女が部屋の隅から飛び上がってきて、俺たちを指さす。

 明るい亜麻色の髪は長く伸びており、今にも床についてしまいそうだ。また、服装は土のようなもので汚れており、全体的に身汚い。


 捨てられて雨でずぶ濡れになった子犬のような見た目だが、彼女の青色の瞳は、まるで野犬のように俺たちに敵意を向けていた。


「……見ない顔ね。ワカメでもない、世話係・・・って感じでもないわ。誰?」


「俺は……ゴーレム、とでも言っておこうか。こっちはヴィット」


 ふーん、と相槌を打った後、少女は俺たちを品定めするように見つめた。

 少女が俺たちを訝しんでいる一方で、俺は反応に困っていた。


 少し前の俺は、喋ることすら許されておらず、会話をすることもほとんどなかったため、上手く話すことができなかった。

 だが、目の前のこの少女は、やけに言葉が流暢だ。


「で、何の用? あんたたちが新しい召使いってわけ?」


「違う。お前をここから出しに来たんだ。ここで研究対象にされている特別な子供というのはお前のことで間違いないな?」


「……不合格」


「は?」


 少女はポツリと呟くと、ベッドに飛び込んでしまった。


「あたしはこのお城に閉じ込められたお姫様なの。だから、助け出してくれるのは白馬の王子様だけでいいの。あんたたちはなんか王子様って感じじゃないし」


「……お前はどこかの国の姫なのか?」


「ちーがーう! あんたたちに助けられたくないって言ってるの!」


 なんだこいつは。まるで理解が出来ない。

 この部屋から出たくないのか? それに、こいつが何を言っているのかもさっぱりわからない。


 困惑していると、ヴィットが横から耳打ちをしてきた。


「……多分だけど、わがままを言ってるんだと思うぞ」


「わがままってなんだ?」


「この子には王子様に助けてもらいたいっていう夢があって、それが叶わない限りここから出ないってことだな」


「じゃあこいつは置いていけばいいのか?」


「いや、そういうことじゃなくてだな……少しへりくだって、王子様っぽい言葉で誘い出してやればいいんだよ」


 意味がわからん。なんでこいつの意味不明な要求に付き合わなければいけないんだ。


「くだらないな。出なくていいなら、望み通りお前はここに置いていくからな」


「あ! 待って……」


 背を向けてその場から立ち去ろうとすると、途端に少女はか細い声で俺を引き留めた。


「今度はなんだ?」


「あ、あんたたちはあたしを助けに来たんじゃないの!? ちゃんと助けなさいよ!」


 出て行けと言い出したかと思えば、今度は助けろ、か。

 ますますわからん。何がしたいんだこいつは。


 俺と同じ境遇の『特別な子ども』がいるというから期待してきたのに、この数分でかなりうんざりしている。

 こいつが自分に似ていると思うと、なんだか腹が立つ。だから俺はヴィットの忠告を無視することにした。


「いいか。俺はお前に助けに来たが、別にお前のお世話をしに来たんじゃない。ついてきたいならついてこい。それだけだ」


「ちょ……何よその言い方は!」


 部屋を後にし、元来た道を戻ると、少女も俺に怒りをぶつけながらついてきた。

 結局、部屋から出たかったわけか。だったら最初から余計なことを言わなければいいのにな。


「お前、名前は?」


「ふん! 教えてあげない! あんたなんか嫌いだから!」


「お前ら、いちいち喧嘩するなよ……」


 ヴィットは仲裁してくるが、俺の苛立ちは既にピークに達していた。

 特別な子どもに会えば、俺のスキルについて何かわかると思ったのに。これじゃ無駄足だ。


 この建物から出たら、こいつのことは置いて行こう。そして、ヴィットに飯でも奢らせるのだ。俺についての手掛かりは、また後で探せばいい。


「おい、ヴィット。すぐにここから出て――」


「死ねええええええええええええええええええええ!!」


 その刹那だった。すぐ隣で男の奇声が耳朶を打ったかと思うと、視界の端に光を帯びた液体が通り過ぎた。


 すぐに声の方に視界を合わせて――俺は目を疑った。

 声の主はワカメ男だった。男は拳を前に出し、パンチが終わったモーションで止まっている。


 そして――男が殴っているもの。それは見間違えるはずもない。ヴィットだった。


「キャアアアアアアアアア!!」


 少女の悲鳴が上がり、俺は冷静さを取り戻した。ヴィットの体が力なく地面を転がり、少女の声だけが廊下に反響する。


「アヒャヒャヒャヒャヒャ!! 君は本当に馬鹿だね!! なんでさっきボクのことを許しちゃったのかなぁ? こうなることだって予想できただろうに!!」


 ヴィットの頭部から血が流れている。

 血が、血が、流れて、流れて流れて――止まらない。少し見ているうちに、ヴィットの頭は真っ赤な水たまりに浸ってしまった。


「君はボクを殺せなかったんじゃない。殺そうとしなかった! だからこうやって足元を掬われるんだよ!」


「人を殺さないのがポリシー? 美学? それともプライド?」


「なんだっていいけどねぇ、君はその甘っちょろな考えを持っていたせいで、大事なものを失った! もう助からないよ、そいつは!!」


「そうやって君は一生、一生一生一生一生! ボクに負けたことを忘れられなくなるんだよバアアアアアアアアアアアアアカ――」


 気づけば、俺はワカメ男の顔面に拳を叩きつけていた。

 もはや理性なんてそこにはなかった。ただ、殺意に満ちた怒りをぶつけたかった。


 何発も殴った。叫んだ。なぜだかはわからない。ヴィットとは出会って少ししか経っていないはずなのに。


 ――ああ、これが『大事』ということなのか。


「ふざけるなああああああああああああ!!」


 そこから、俺の拳が男の顔面を打ち付ける音だけが響き渡った。

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