第2話
陰キャ仲間の加茂に彼女が出来た。
しかも、相手は学校一の美人――赤沢友加里。
信じられねえ。
高嶺の華過ぎて一軍男子や先輩も手を出せない赤沢。
その心を冴えない加茂がどうやって射止めたのか。
「えへへ。加茂くん、今日も一緒に帰りましょ。答えはオッケーよね、うんわかっているわ。だって、あたし達ってば恋人だものね」
「友加里さん、わざわざ言わなくても一緒に帰るって……」
気になった俺は、休み時間に加茂にそれとなく聞いてみた。
なんだか苦々しい顔をすると、彼は「誰にも話さないでね」と前置きして自分のスマホを俺に見せてくれた。
教えられたのは謎のアプリ――『経験カウンターくん』。
「このアプリがきっかけで赤沢さんと仲良くなったんだ」
「なんだよ経験カウンターって。なんの経験だ?」
「……それは僕の口からはなんとも」
ごにょごにょと口ごもって、加茂はそれ以上は教えてくれなかった。
仕方がないので、俺はアプリを自分のスマホにインストールしてみた。
ストアには説明もレビューもなし。
使い方もない謎のアプリ。
あれこれ弄って、カメラで撮影することまではなんとか分かった。
ただ、それ以上はなんともさっぱり。
「こんなんでどうやって仲良くなるんだ?」
「オータクくん! いっしょ帰ろうぜ!」
そんな感じで、謎アプリの使い方を放課後の教室で調べていたらウザい女に絡まれる。背中から抱きつかれた俺は、「げぇっ」と蛙を潰したような汚い声を上げた。
見上げればそこに美少女。
高身長。
金髪ショート。
今時流行らない黒ギャル。
耳と唇の下には丸い銀色のピアス。
ちょっと悪くてエッチな感じの女子高校生。
舞阪楓。
あと、もう一つ見過ごせない特徴がある――。
「かてえ乳ぶつけんな。ゴリラ女」
「はぁーん? 楓ちゃんのおっぱい柔らかいわ! 学校一のやわらかいいお肉で、男子にも女子にも有名だわ! しらんのか?」
「しらん」
胸がバスケットボールくらいあった。
そして、言うほど固くなかった。
舞阪が背中から俺の正面に回り込む。
ぺろりと彼女は唇の下のピアスを挑発的に舐めると、どっしりと俺の股の上に腰を落として怪しく微笑む。そのまま彼女は俺の瞳を覗き込んできた。
鳶色をした綺麗な瞳だ。
宝石でも見てるような気分だった。
「あぁ、オタ倉くんてば童貞だからわかんないか」
「何度も言ってるけど、俺はオタクじゃないし大倉だ」
「ムキになるなよドーテーくん! ほら、おっぱい揉む? ひと揉み千円ね?」
「誰が揉むか!」
こんな風に二年に上がってから、俺はこいつにウザ絡みされている。
理由は不明。
女心は複雑で、さっぱり俺には分からない。
本当になんで俺を構うんだか。
「あら、怒っちゃったかなオタクくん?」
ため息をついた俺を挑発的に舞阪が煽る。
付き合っていられなくて、俺は彼女を身体の上から優しく突き離した。
その大きな胸に触れないように、ちょっと気をつけて。
なのに舞阪は、なんだか芝居がかった感じによろめくと、向かいの机に倒れ込んだ。そのまま、しおらしい顔をして俺の方を睨んでくる。
やめろよそんな事件性のある顔。
誤解されたらどうすんだ。
「ヤダ、痛くしないで、大倉。分かった、言う通りにするから」
「迷惑な芝居はやめろやこの下手くそ」
「あぁーん! 下手くそはお前だろうが、童貞粗チンくんが! おめえのベビーウインナー、おっぱいで挟んでホットドックにしてやろうか!」
付き合い切れなくて俺は席から立ち上がった。
机の横にぶら下げた鞄を手に取り、さっさと一人で教室の入り口へと向かう。
ほんと騒がしい奴。
勉強してる奴もいるんだぞ。周りへの迷惑を考えろよ。
ただ、そんな奴だから放っておけない。
教室の扉の前で立ち止まると、俺は振り返って忘れ物に声をかけた。
「……どうしたんだよ。帰ろうぜ、舞阪」
「……やーん! オタクくんてば、なんだかんだで優しいんだから! 最初からそう言えよ、このクソボケが!」
そう言いながら、楽しそうに俺に駆け寄ってくる姿は大型犬みたい。
ゴールデンレトリバーってとこかな。
そして、油断しているといきなり腕に抱きつかれる。
まるで恋人のように俺の腕に頬ぞりすると「ほら行こうぜ」と舞阪は言った。
「離れろよ。別に俺らそんなんじゃないだろ」
「いいじゃん。腕くらい恋人でも兄妹でもセフレでも組むぜ」
「そのどれでもねえじゃん」
ほんと、なんなんだろうな俺たちって。
意味分かんない関係性を憂いてため息をつくと、「てめー、こんな美人と同伴しておいて、なんだそのため息は⁉」とまた舞阪に文句をつけられた。
狂犬かよ……。
◇ ◇ ◇ ◇
学校から二番目に近いコンビニ。
そのイートインコーナー。
ほどよく学校から離れているおかげで、同級生と顔を会わすことが少ないここに、俺と舞阪はよく入り浸っていた。客単価が悪いので店員にマークされているんだけれど、それでも通ってしまうのはやっぱり居心地がいいからだ。
あとフラッペがうめーんだよ。
今日も季節限定のフラッペを買ってだらだらだべる。「お揃っちとかキモいわ」と舞阪は言ったが、俺も食べたかったんだからしかたねえじゃん。
しかし、俺らも高校二年生も折り返し。
こんなウダウダしている場合じゃないんだがね。
イートインコーナーのガラス張りの壁から外を見る。
隣接している公園の木々はもうすっかり赤みを帯びてきていた。
空も一足先に冬の貫禄。冷たい灰色の雲がびっちりと覆っていた。
もう少ししたら、雨が降ってきそうだな――。
「大倉さぁ、進路ってもう決めた。アタシはお嫁さん」
「D判定じゃねえ? お前はAV女優とかが向いてるよ?」
「やっぱり? 私のこのマウントフジヤマは、撮られてこそ輝くよね! やっぱ大倉は分かってるわ! マネージャーよろ!」
「嘘だよ。けど、お嫁さんはないわ」
「引く手あまたぞ? ツバつけとかんと売れちゃうぞ?」
くだらない雑談をこなしつつも、相変わらず俺は謎のアプリと格闘中だった。
舞阪もガシガシとフラッペをストローで崩している。
どうすればいい歳して、そんな無邪気にフラッペを崩せるんだろうか。
ただ、写真に残したくなるような、言葉にできない華がそこにはあった。
「舞阪、ちょっとこっち向いて」
「あん?」
謎のアプリで俺は舞阪を撮影した。
ベストショット。
これまでで一番かわいく舞阪を撮れたように思う。
ただ、撮影した写真の中に――現実には存在しない不可解なものが映り込んでいて、俺はぎょっと目を剥いてしまった。
舞阪のきつね色をした髪の上。
そこに浮かぶ謎の数字。
――なんだこれ?
「0ってなんだ?」
「なに撮ってんだよ。楓ちゃん相手に無断チェキとか、度胸あんな?」
「いいだろ一枚くらい」
「いいから貸せ。ったく、これだからエロガキは……」
俺のスマホを舞阪が強引に奪い取る。
すると、何故か彼女がきょとんとした顔をした。
けれどもそれは一瞬だけ。
すぐに舞阪の顔に、いつもの邪悪な笑顔が戻る。
新しいおもちゃを見つけたような、面白い悪戯を思いついたような、ろくでもない表情。ドン引きするような悪人面で舞阪は俺に語りかけてきた。
「やだぁー、オタクくーん! これどういうアプリか知ってんのー?」
「それがわかんねーんだよ。なんだろうな経験回数って――いや待て、もしかしてそういう意味か?」
「なになにどういう意味ー? 楓ちゃんバカだからわかんなーい!」
「いや、お前が0の時点でそりゃないわな」
「どういう意味じゃオラ」
異性の経験回数かと思ったけれど、目の前のビッチがそんな数なハズない。
噂だが、卒業した先輩達と相当派手に遊んでいたらしい。
どうでもいいけどさ。
だからきっとその経験回数じゃない。
となるとなんだ。
こいつが一度も経験したことがない。
そして、こんな意地悪な顔でからかうようなこと――。
「告白とか?」
「……ハァ? なんでそうなんの? 思考放棄が早すぎじゃない?」
「そう? 舞阪って美人だから、自分から告白はしなさそうじゃん?」
「……んだよいきなり。気持ち悪いな」
不機嫌そうに舞阪が俺から視線を逸らす。
そのまま、なんだか興を削がれたように彼女は椅子にのけぞった。
様子を見守っていると、不機嫌そうな顔で「つまんね」と呟く。
俺のスマホをテーブルに置くと、舞阪はおもむろに椅子から立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
「便所。お前が変なこと言うから気持ち悪くなった」
「正解かどうかくらい教えろよ」
「……自分で試せば分かるんじゃね?」
やけに刺々しい言葉を残して舞阪は行ってしまった。
去り際、ちょっと椅子にぶつかって行ったのは、たぶんわざとだ。
「俺で試す、か。確かにそうかもな……」
カメラをフロントに切り替えて自分の顔を撮影する。
ワックスで申し訳程度に立てたスポーツ刈りの上に浮かぶのは二桁の数字。
20。
舞阪と違って結構なハイスコアだ。
これが俺の告白の回数なら――。
「って、告白の回数なんて覚えてる訳ねえだろ」
何やってんだよ。
バカか俺。
そんなのいちいち数えてなんていられるかよ――。
急にしらけて、俺はスマホをズボンのポケットにしまった。
やることがなくなった俺は視線を店の中に向ける。
せっかくだし、なんか買って帰ろうかな――。
すると、トイレの前で舞阪が立ち止まっているのに俺は気がついた。
どうやら誰かと立ち話をしているようだ。
「……男?」
トイレ前で舞阪と話しているのはなよっとした感じの男。
ルーズな服の着こなしを見るに、おそらく大学生だ。
そんな男が、急に舞阪の身体に触れた。
腰――いや、正面だから舞阪の腹の辺り。
陰になって見えないが、彼女のお腹を男は撫でたように見える。
どういう関係だ。
答えを求めて舞阪の顔をのぞいた俺は言葉を失った。
だって、舞阪は――生気の一切感じられない冷たく青い顔をしていたから。まるで蝋人形のような不気味な顔で、その瞳だけをやけに輝かせている。
背筋を走った悪寒に突き動かされるように、
「舞阪ァ!」
俺は立ち上がって叫んだ。
椅子に置いていた二人の鞄をひったくって俺は舞阪の下に駆けつける。
突然の第三者の乱入に、舞阪も男も泡を食ったような顔をした。
どこか罰が悪そうに男が俺を見る。
「……楓ちゃんの友達かな?」
ルーズな服装もだがヘラヘラとした態度が妙に鼻につく。
その場しのぎのように、俺に対していい人ぶるのも癪に障った。
「はじめまして。僕は……」
「俺は楓の彼氏ですがァ⁉」
ろくに話もせず俺は怒鳴った。
別に舞阪と俺は付き合ってない。
放課後こうして、遊ぶ仲だがそういうのじゃない。
セフレでもないし、告白待ちのラブコメカップルとも違う。
不釣り合いな黒ギャルに、何度も告白してフラれるオタクくん。
そして、振ったオタクくんをなぜかからかい続ける黒ギャル。
こんなもん、なんて言えばいいんだよ。
当時者だってわかんねーよ。
ぎょっとして固まる男。
追い打ちにメンチを切って、俺は舞阪の腕を掴むとコンビニを出た。
いつもなら「痛い」とか、「離せ」とか「お触り千円」なんて言う舞阪が、どうして今日は何も喋らなかった。
逃げ込んだ街には冷たい影が落ちている。
見上げた雲の灰色は濃い。すぐにでも降り出してきそうだ。
コンビニで傘を買えばよかった。
雨と後悔と得体の知れない何かから逃げるように俺は冷たい街を駆ける。
別に陸上選手でもないのに、俺と舞阪に追いすがってくるそいつらから、俺は逃げ切れるようなそんな気がしたんだ。
舞阪を逃がしてやりたかった。
「……大倉止まって」
「おまえん家まで送るよ」
「もう大丈夫。一人で帰れるから」
「……いいから送らせろ。あんなことしてほっぽって帰ったら、ギャグじゃねえか」
「幸平」
けれども、それは俺たちを逃がさない。
舞阪を捕まえたそれは、彼女の口を借りて俺の名前を呼んだ。
走るのに大切な何かが切れてしまったように俺はその場に動けなくなる。
許しを請うように振り返った先で、舞阪楓は静かに笑っていた。
今まで一度だって見たことない継ぎ接ぎだらけの脆い笑顔で。
雨が俺と彼女に追いついた。
彼女の唇の下に光るピアスを九月の冷たい雨が濡らす。
悲しく冷たい光を舞阪のピアスが湛えて揺れた。
「ありがと。助けてくれて」
「……うん」
「あの人。一年生の頃に私が付き合ってた人なの。私の、はじめての人」
「……言うなよ、そんなの」
「言わせて。幸平に関係のある話だから」
雨はいよいよ強くなり、俺と舞阪の身体を容赦なく殴る。
急いで固めた舞阪の笑顔は溶け出して、雨の中でぐちゃぐちゃになった。
笑っているのか、泣いているのか、正気かどうかも分からない。
けれどそれより濡れたブラウスの下に浮かぶ銀色に俺の意識は奪われた。
濃い紫の下着よりも目に刺さるそれは、ヘソの下、腰、脇の下、肩甲骨の上、そしてその豊かな乳房の谷間に悲しく輝いている。
ヘソの下のそれを、舞阪の指先が優しく撫でた――。
「好きって言われると何でもしてあげたくなったの。必要にされていると信じられるのが嬉しくて。言葉に形で応えてあげたくて――それで、私こんなになっちゃった」
「……うん」
「あの人に捨てられて、分かんなくなっちゃった。『愛してる』『好き』そんな言葉に意味なんてあるの? そんなものに縛られて、自分を差し出して、傷ついて――それで最後に残るのは20個のピアスだけ?」
そんなの、もう、いや。
言葉は雨音に遮られて正確に聞き取れなかった。
舞阪の涙も拭えないほど無力な俺に彼女はスマートフォンを向ける。
背面のフラッシュが雷鳴のように明滅すれば、遠くに雷の音が聞こえた。
「さっきのは告白じゃなかったんだね」
「……え」
「21回。もし、私の後悔の数を超えて、愛してると言ってくれる人が現われたら、どうしようかってずっと考えてた」
舞阪がスマホの画面を俺に向ける。
画像フォルダ。そこには、いくつもの俺の顔が並んでいる。
二年生になったばかりの野暮ったい顔の奴から、夏休み明けに髪型を変えた時のものまで。成長記録かよってくらいより取みどりだった。
そして、どれも頭の上に――1から20までの数字が浮かんでいる。
「アンタの推理は正解よ。流石だね、オタクくん」
「……そりゃどうも」
「ねぇ、どうする? 私、見た目ほど軽い女じゃないよ? 告白してくれた男の子の告白回数を、こっそりカウントしているような女だよ?」
それでもいい?
無言で舞阪は俺に問いかけた。
どう答えても、きっと俺の言葉は舞阪の心に深い傷を刻むだろう。
傷ついた彼女を俺が癒やせるかどうかなんて分からない。
それに俺も、舞阪をこんな風にしてしまったクソ野郎と、本質的にはそこまで変わりがない。舞阪のことを好きだと言いながら、きっと彼女に自分の理想を押しつけるに違いないんだ。
聖人面して、彼女の手を握りしめることなんて、俺には無理だ。
けど――。
「重量級みてえな乳して、なに言ってんだよ。バーカ」
その手は彼女の身体を言葉より先に触れていた。
「……ひと揉み千円だぞ?」
知ってるよ。
なんにも分かんないけど、それだけは知ってる。
どんなに言われても、やっぱりお前のことを諦めきれないのも。
きっとバカなんだ。
【了】
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