幕間 永遠に続く四方山話
その空間には実際には何も存在しない。ただ、複製された精神体の保護を目的として、情報で構成された様々な仮想体で満たされていた。そこに実体があるわけではないが、精神体からはリアルな世界に感じる事のできる空間。
五感全てをリアルに感じる事の出来るフルダイブ式のバーチャルリアリティーと言うべきこの情報空間には、令和時代の日本人にとって当たり前に感じる様々な生活用品が整然と配置されている。一見すると安アパートの一室に見えるその部屋の一角に設置されているPCの前では、14~5歳くらいの少年がインカムに向かって何かを話しかけながらキーボードを打ち続けていた。
無論、キーボードに実体があるわけではないが、仮想体として十分に役割を果たしているようで、PC操作をするには問題がないようだ。ディスプレイの中では様々な商取引が次々と決済されていく。
外の世界とは時間の感覚も因果関係も希薄であり、それほど急いで作業をする必要もないはずだが、暇であるのはご免被ると言わんばかりに次から次へと作業を続け、その上でインカムでの会話も遅滞なく進んでいるように見える。
やがて一通りの作業が完了したのか、キーボードを打つ手が止まり実際には存在しないビール缶を口に付けて傾け、男はこれまた実際には存在しない目頭を揉んで疲れを癒すような仕草をする。
これら全てが彼らの精神を安定させるために必要な環境なのだろう。
インカムからは男だか女だかわからない声色で話しかける声が漏れてきている。
「以外に早かったじゃない。良い傾向よ?私の時は立ち直るのにもっとかかったもの。」
声色からは性別を伺う事は出来ないが、会話の雰囲気からしておそらくは女性だろう。可能性としてはオネェだという事もあるかもしれないが、確かめようは無い。
そもそも彼らにとって性別とはコロコロと変わってしまうか、もしくは同時に複数の性別を持っていてもおかしくない為、性別を確認する意味は無い。
この無限に増え続け、広がり続ける多世界間において、性別とは雌雄の2種類だけには限らない。だが、PCの前でゲーミングチェアに座する男にとって性別は雄雌であるし、それ以外の常識が存在する世界に生まれようとは思えない。
無理に自身の常識が受け入れられない世界を訪れようとは、少なくとも現在の時点では頭の端にも浮かばない。
「いや、早いか遅いかで言えば遅いんじゃないかと判断するのだが。ナベさんの話じゃ最初の数日で乗り越えちまったって話だしな。
第一40年その事に気が付きもしなかったと言うのはどうなんだろうな。」
「俺の時は参考にならんぞ。転生ではあるけどな、無理矢理な形だったし親兄弟なぞ存在しない形での、いってしまえば降臨と表現してもおかしくない産まれ方だったからな。その辺の木の股から生まれてきたのと変わらん。
柵も無ければ、殆ど現実感もなかった。
これから何が起きるのかも理解していたにもかかわらず現実から目を背けて、せっかくもらえた猶予もギリギリまで申し訳程度に鉄砲いじって、後は全部女遊びに費やしていたからな。
事が起きてからは現実に押し流され過ぎて、乗り越えたというよりいつの間にか受け入れていたというか、もしかしたら未だに真剣に受け止めていない可能性すらある。」
「ナベさん、それは自慢にならないわよ?ま、私の時と比べれば早い方よ。
私なんか現実逃避し続けて、記憶を封印してから何千年の間、百年程度の短い人生繰り返して、前世を中途半端に忘れたり覚えていたりを繰り返して、漸く自分を取り戻して受け入れるまでに軽く1万年オーバーしているもの。
真正面から現実を見る事が出来るようになれば、後はそれほどかかんないわよ。遅くても数千年もかからないでしょ。」
そこに今まで会話に加わっていないかった人物が話しかけてきた。画面の発言者の表示には死神のマークと大日本帝国旧陸軍の横棒一本に星二つの軍曹の階級章が並んでいる。
「コバちゃんなら数千年もかからんだろうな。下手したら百年いらんかもしれない。俺の時もソーニャちゃんと似たようなもんだけど、もっと性質が悪かった。
記憶を飛ばして何度繰り返しても結局歪んじまって、溺れて。それでも自分の嫁と子供の時には乗り越えきれずに壊れてを繰り返していたからな。自分で記憶を封印したんじゃない。飛んじまったんだ。
自分を取り戻して受け入れる事が出来たのは多分、一番最初に生まれ持った人間性が擦り切れちまったからだと思う。現実を真正面から受け止められたのは。
最後の方なんか自分はバケモンだと心の底から受け入れちまってから、急に楽になってな。
ようやく自分を取り戻せたときは、どのくらい時間がたったのかも覚えていない始末だ。」
「軍曹さんは死神のコミュニティだったっけ。元世界が日本出身でポイントがご近所さんって今の所このくらいなのかしら。」
「別に近所にこだわらなければいくらでもいるけどな。そもそもポイントがこんなに接近すること事態稀なんだが。」
「元が日本出身だからな。趣味趣向が似通っていればポイントが偏る事も無くは無いだろうよ。ま、ナベさんは俺等ん中じゃ一番経験豊富なんだっけか。
たしかアンタ選択肢無いままに初っ端から地獄に叩き落されていなかったけか?」
「選択肢がないのは今もあんまり変わらんよ。日々戦いの中を突き進んでおりますって奴だ。ま、分霊を彼方此方に飛ばしているからストレスはそれ程たまらんが。」
「ナベさんの神さん、結構いい加減よね。最初に能力作るって言っていた時にまともなアドバイス殆どしてくれなかったんでしょ?
ネットワークがあるっていうのにその能力だし、その上最低限の機能のはずのネットワークを知ったのが最初の転生を終えた後って酷いわよね。」
「まぁ、その件については正直、俺の性質のせいでもあるみたいだからな。強く文句は言えんよ。」
「んで、話は変わるがコバちゃん。星系外に展開させた資源回収システムは無事稼働できたんだろ?システムの強化に使う以外の物資はこっちに回してくんねぇかな。
なに、全部とは言わねぇ。この場に居る奴らに回して残った分だけでもいいからよ。」
「まだ惑星一つ解体を始めたばかりだから何ともな。軍曹さんも自分で資源回収しないのかい?」
「俺はああ言うチマチマしたのはやりたくないんだよ。後始末もそこそこ面倒だしな。最終的に巨大化したシステムを一度に回収するのも、外に出すのも今の俺じゃ無理だしな。
そうなると回収の際は一々細かく分離してからになるだろう?マテリアルボディにそれほど手をかけるタイプじゃねぇから、うっかりぽっくり逝って死に際に慌てて回収するのも面倒だ。
しがみつくのも好みじゃねぇからな。」
「私も似たようなものね。短い転生を繰り返し過ぎたせいで視点が長くても百年単位でまとまっちゃっているから。
一度に収納できるサイズや質量にも私じゃ限界があるし、始めるとしたら初期状態から採掘開始まで100年単位で時間かかるでしょ?あれ。
回収するにも手間だしね。コバさん、助け合いは必要よ?」
「ネットワークで適当にそろえればいいんじゃないでしょうか?」
思わず敬語になってしまった男の言葉をソーニャと呼ばれている人物は笑い飛ばす。
「ネットワークを利用するにしたって一々知らない奴から交渉するのは面倒でしょ?本体なら情報処理用の複製に任せればそれで問題無しなんでしょうけど、私達はその複製体なんだから。
基本的なオーダーを満たしているなら、余計な交渉の必要のない友達を優先させるに決まっているじゃない?」
自分よりも経験豊富な諸先輩方に囲まれ、要請されてしまってはそう簡単には断れないのだろう男は苦笑いで結局は要請を受け入れる。
どのみち自分の本体は、この世界には数千年単位、出来れば心許せる彼女たちと共に万年単位で居つくつもりのようだし。一度惑星の解体が始まれば後は指数関数的に資源の回収速度は上がっていく。
とは言ってもコバと呼ばれた男も、一度にネットワークに流せる資源の量にも限度はあるし、延々と際限なく資源回収システムを強化するつもりもないようだ。
資源についての打ち合わせを終わらせるとまた先程と似たような話に戻っていく。
何せ、この世界は自分たちの様な複製された精神体しか存在していない為、暇なのだ。やる事といったら精々本体からの要請を受けてネットワークを利用した様々な情報や物品のやり取りと結果の報告位だ。
外の世界と時間の因果関係が希薄なこの特殊な空間では、外部から依頼された作業時間に余裕を持たせるために時間の流れが外の世界よりも随分と早い。その為、依頼された仕事などある程度量があったとしても、暇をつぶせるほどではない。
結果、連携体制の構築という名目で暇を持て余した複製体たちの四方山話は延々と続いていく。ここで手に入れた知識のほぼ全ては本体の精神安定の為に本体に提供されることは無い。知る必要が有るかないかは複製体が管理している。
複製体と本体が同期をとる時、本当に伝えるべき情報以外はカットする事になっている。もし情報の取捨選択を一切に行わないで同期の度に情報提供を行ったら、そのあまりの情報量にパンクするようなことは無くても本体がウンザリすることは確実だからだ。
暇を持て余し、一瞬を永遠に引き延ばしたかのような時間間隔の世界で延々と繰り返される四方山話を一々聞かされる本体にしてもたまったものではないだろうし、知るべきではないタイミングで知るべきではない情報を知ってしまったために不幸になる事も無いとは言えない。
本体とは切り離されているとはいえその情報の取捨選択をするのは本人ともいえる精神の複製体なのだから、少なくともその判断に本体は文句は言えないだろう。
愚痴る事はあっても。
こうして永遠とも思える情報交換という名の井戸端会議は延々と繰り返されることになる。無論、神の端末ではないが、同じように複製体を作る事になった、とある世界のコバと呼ばれる男の側に寄り添う三人娘も交えて。
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