陥穽 3話

アイク視点


 右舷から迫ってきた2隻は大きく旋回して一隻はこちらの右舷に接舷しようとしていた。左舷方向に回ったもう一隻はこちらに船首を立ててラムをかまそうと急速接近している。



 これ、奴らの思惑通りに進んでも此方の右舷側に回り込んでいる奴まで被害が出ると思うんだが、どうも奴ら自分たちの被害を度外視し始めたみたいだ。



 右舷方向からはひっきりなしに矢玉が飛んでくるが、置盾を周囲に張り巡らせているために被害はある程度抑えられている。既に帆を畳んでいるが構わずに火矢も混じって飛んでくる。



 燃えやすいものはデッキ上には上げてないから、直ぐにどうこうという問題にはならない。手早く汲んでおいた海水で消火するが、その際に置き盾の外に出た奴が射貫かれる事もある。




 「馬鹿野郎!置き盾の外に出るな。中側で応戦しろ。火矢は俺が消すからてめぇらは引っ込んでろ。」




 「旦那、すんません!」




 何、このくらいの事は謝られる事じゃない。俺は海越しに射られる矢に当たるほど可愛げのある生物じゃない上、当たっても大したことは無い。戦友が撃ち抜かれるよりは精神衛生上非常によろしい。



 またあの感覚が俺を襲う。見知った奴らが。戦友になったはずの奴らが俺を通り過ぎて飲み込まれていくような感覚。見知らぬ敵なら何も思わなかった。顔見知り程度なら特に何の感想も持たないでその感覚に溺れていただろう。



 ただ、戦友と呼べるほどには見知った者だと話は違う。色々と複雑な感情と感触が心と体を包み込む。強力な歓喜と快感。そしてそれと同じくらいの悲しみと自己嫌悪。この120年、いい加減慣れてきたと思ったが、ここ半年で思い知らされた。俺はこの感覚に慣れたのではなく、逃げていただけだと。




 再度向き合うきっかけを得たのはローズ達と共に生きるようになってからだ。転生者という珍しい境遇となんとなく断り切れぬ強引さに戸惑っているうちにいつの間にか内側に入り込んでいたあの三人、それとお付きの11人。




 彼女たちと関わるようになってから現実から逃避し続ける事が出来なくなった。また人と関わるようになってしまった。だからこそ恐怖する。



 まだこれくらいなら耐えられる。





 だが、彼女達がこうなったら耐えられん。その位には心の内側に入られてしまっている。その内メイドやコック達もそうなってしまうかもしれない。それを考えれば定期的に海に出る生活はセーフティーの一環としていい選択だったのだろう。



 あんまり増やし過ぎても彼女たちの心労に差し障るだろうし。正直別の意味で怖い。





 また一人、飲み込む感覚が魂を駆け巡る。これは、この感覚は旗艦についてった奴らだ。此方よりも被害が大きいらしく、既に何隻かは掴まって切り込みを掛けられている最中のようだ。



 見えるのではなく、感じる。今までは見ぬふりをして不完全ながら切り離していた久しぶりのこの感覚に、心がかき乱される。敵味方区別なく際限なく飲み込んでいくこの感覚に呑まれるとしばらく何もできなくなる。



 必死に気を持ち直し、現実にしがみつく。自失していた時間はほんの数秒だが、その間に飛んできた火矢は無意識の間に撃ち落としていたみたいで、周囲から歓声とどよめきが沸き立つ。




 「ちっ!フックが飛んでくるぞ!アイク、火矢なんざどうでも良い、フックを弾け取り付かせるな。動きが止まれば左腹を食い破られる!取り舵一杯!急げ!」




 慌ただしく左に舵を切って右舷に近づく敵船をかわす、その瞬間に俺が敵船に飛びつく。当然まだ40メートル近くは離れているし、高さの無いデッキからロープもなしでである。人間に出来る芸当じゃない。




 「エイリークが行ったぞ!!もう右舷は心配すんな!左舷のラムをかわして接舷すっぞ!切り込みだ!



 いいか!アイクの奴が返ってくる家を守るなぁ俺達だ!



 伝説の幽鬼、エイリークに恥じるような戦いは見せるんじゃねぇ。」




 遠ざかりつつある我が家から船長が特大の檄を飛ばしている。ぉぃ、俺はエイリークじゃねぇって言ってんだろうに、全く。




 今回は高さが無いから舵輪を着地と同時にってわけにはいかないが、勢いよくデッキ上に飛び込んで六角崑でデッキを破壊、そのままデッキを突き抜け船室内に飛び込む。あいつらが戻ってくるかこちらの船があいつらの船に近づくまではこいつを沈めるわけにはいかないからな。




 「気の毒ではあるが、まずは漕ぎ手を潰すか。」




 自分を叱咤するように独り言ち、漕ぎ手が詰められている場所を目指して吶喊する。船内は狭くて長物は使いづらい。さっさと六角崑をストレージにしまって代わりに両の拳を握りしめる。



 デッキが破壊される音に驚いたのか運悪く俺の前に飛び出てきてしまった奴をアッパーで頭を弾き飛ばす。天井と正面通路の壁に赤い花が広がるが、それを確認する間も無く突き進む。壁や扉も関係なしに一直線に破壊して突き進む。





 どのみちこの船は沈めてしまうのだし、この場にいる者たちには申し訳ないがこのままこの船で黄泉路へと旅立ってもらわなくてはならない。




 壁を抜けた先に目的の漕ぎ部屋にたどり着くと同時にその場にいた海兵らしき男が反応する。




 「何が起きた!」




 「てめぇ何もんだ!」




 声を上げたと同時に黄泉路に旅立ってもらう。最初に声を上げた奴に右ストレートで頭を吹っ飛ばし、その勢いのまま身体を回してもう一人に後ろ回し蹴りをお見舞いして体ごと吹っ飛ばす。



 二人目が吹っ飛ばされた先にいた漕ぎ手が何人か巻き込まれて、弾けた水袋の様にひしゃげて赤い花が咲く。




 「おめぇらには恨みはないがな、俺もようやく他の命に対して責任をもたにゃならんようになったみたいでな。



 本当に勝手で悪りぃけど俺と俺の仲間の為に、死んでくれや。」




 そう一方的に告げてから相手の返事を待たずに漕ぎ手の蹂躙を始める。この広さなら何とか六角崑を使えなくはないけど、力加減を間違えるとまた沈めかねない。手加減しながら力をふるうなら、俺の場合素手の方がやりやすい。



 突進して解りやすいボクシングスタイルから繰り出される本来なら軽いジャブ。そのジャブ一発一発を受けた瞬間、言葉通り頭や着弾点が弾けてそのまま吹き飛ばされていく水兵共。



 どうにか武器を構える事の出来た水兵が振るう剣の横腹を左の裏拳で払うとその衝撃で剣が砕け散り、その破片をかぶり大声を上げて転がる奴が出てくる。



 まるで手榴弾をくらった兵士のようだ。



 剣を一瞬で失って、事態を理解できずに固まった奴のボディーを掌底で力を抜いて打ち抜く。運よく胴体が千切れる事無く吹き飛んでいき、その先にいた他の兵を巻き込んで派手に血花をまき散らした。



 生きているかどうかはわからんが、暫くは巻き込まれた奴ら共々意識を取り戻すことは難しいだろう。



 そうして漕ぎ手を制圧している最中に上から海兵が駆けつけてくる。




 「間違いない!こいつがエイリークの生まれ変わりを自称しているアイクだ!



 諸悪の根源、我らがアイルグリスにとっての不倶戴天の仇だ、皆武器を取れ。こいつをここで始末すれば祖国は救われる!



 船長、場合によってはこの船を沈めてもかまわん。死なば諸共!!



 ここでこいつを殺せばルーフェスの流通も一時的にせよ止まるかもしれん!」




 「殺せ!ここであいつを討ち取れば出世も女も思うがままだ!」




 「うぁああぁぁあぁああ!」




 悲鳴のような掛け声をあげて何人かが決死の表情で切り込んでくる。振り上げ、突き込むいくつかの形の構えで突進してくる男達にちらりと目をやる。スローモーションに見えるその動きをみて心の底から尊敬の念が浮き上がってくる。




 自分が所属する組織の為。自分が守るべき家族の生活の為。もしくは愛する人の為。色々な強い感情が自身の複雑な感情を突き抜けてアストラル海を通して朧げに伝わってくる。



 口では出世でも女でもといいながら、心の中は死への恐怖に必死に抗い、軽口をたたいて少しでも自分や周囲を奮い立たせようとするものもいる。




 当然、本当に出世に目がくらむ奴もいるが、大体が皆自分の死の予感を強く感じつつも恐怖を塗りつぶして切りかかってきている。




 元人間の目から見れば、力を植え付けられて、人の範囲から逸脱してしまった自分の様な狡い生き物が深く考えずに摘み取っていい命では断じてない。80年以上前に一度乗り越えた筈の心の山が再び自分の前に立ちふさがってきたのを感じて、困惑してしまう。




 いや、そうか。さっきも思ったけどあの時俺は乗り越えたんじゃない。見ないふりをしていたんだっけ。




 先達には今は逃げていてもいつの間にか乗り越えられるようになるとアドバイスをもらったことがある。気にする必要はない。人が呼吸をし食事をとるように、魚がえらで呼吸をするように、植物が太陽光を浴びて光合成をするように、私達はそういう生き物に生まれ変わったのだから、と。




 俺にアドバイスをくれた先達もその他大勢も今の俺と同じような経験をしてきたのだという事だ。そして今の自分と同じようなアドバイスをもらって、今の自分と同じようにそんなものにはなりたくないと強く感じたそうだ。




 そして先達と同じようになっていった。どうやら私達は「そういう生き物」らしい。だから心配する必要はないのだそうだ。






 不安定な心の在り様を叱咤する。彼らに俺を殺す理由があるように、俺には彼らを殺す理由がある。存在の根本的な違いやアンフェアであるかどうかはこの際関係ない。



 大体自分は人間だった時に毎日口にする肉や魚に同じような悔恨を抱いたことがあるのか。動物に対してだけじゃない。コメや麦も同じように生きているだろうに、それらを食らうときに毎日命を奪う事に対して懺悔などした覚えはないはずだ。




 人にもカトラリーにも罪などない。そも、罪などという考え方は人間の様な社会性を持った生物独特の考え方だ。それに依存して生きている自分にそれを非難する資格は無いが、所属が変われば見方も変わるし正義も変わる。そして罪の在り様も変わるのだ。



 そう思いきるしかない。




 その瞬間、海兵仲間のアークルが俺の魂に飲み込まれ落ちていくのを感じた。迷っている時間は無い。




 心配するな、大丈夫だ。先達からかつて送られた言葉を心の中で繰り返し、決死の表情で襲い掛かってくる男たちを構えた剣ごと巻き込んで、素手のまま手刀で全員切り捨てる。その時の俺にはもうためらいの表情は浮かんでいなかったはずだ。




 迷いを絶った俺が敵兵を殲滅しデッキに上がったのはそれから数分後の事だった。



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