第28話 恋のアカナチオ・その7

 そうは言っても、ここは赤海温泉である。

 建物が侘しかろうと、お湯の質には変わりあるまいと、受付でチェックインを済ませたハンタマは、部屋に置いてあった浴衣に着替えると、白地に赤い字で、赤間旅館と書かれた手ぬぐいを一本取って、大浴場に向かった。

 と言ってもそれほど広くはないが、客もまばらである。

 まわりを気にせず、ざっぷーんと浸かった。

「おっとっと」

 頭に乗せていた手ぬぐいが、つるっと滑って湯舟に落ちてしまった。

 こりゃいかんと、慌てて拾い上げる。

 おや?赤間旅館としか書かれていなかった手ぬぐいに、なにやら細かい文字が読めるぞ。水に濡らすと浮き出る仕組みなのかな?

 こ、これは!


********************


 親愛なる日本のみなさまへ

 うちらは怪盗赤ずきんちゃんなのよ

 だから新たなお宝をいただいちゃう

 そのお宝は赤海の秘宝

 あ、それからオンセンロのみなさん

 プレーオフがんばってね


********************


 怪盗赤ずきんちゃんの犯行予告は、すぐさま東京に伝えられ、翌日の東赤スポーツ一面にでかでかと載った。

 先日の赤光東照寺の一件以来、なりを潜めていた怪盗赤ずきんちゃんであったが、まさか赤海にいたとは。

 ハンタマからのスクープを知らされた編集長はこう思った。

 やれやれ。なんであいつのところばかりにいつもこんなものが届くんだ?

 まさかあいつ、本当に怪盗赤ずきんちゃんの一味じゃなかろうな。

 いやいや、あんな役立たずがそんなことはないか。


「冗談じゃないざます!ウチと怪盗赤ずきんちゃんとは何の関係もないざますよ!」

 還暦を越えたばかりといった年齢の女性が、すごい剣幕で怒鳴っている。

「ウチの手ぬぐいから犯行予告の文字が浮かび出ただなんて、営業妨害も甚だしいざます。裁判所に訴えてやるざます!」

 今さら訴えずとも、既に怪盗赤ずきんちゃんは世界各国の裁判所に訴えられているのだが、この女性は自分と敵対するものには容赦なくブルドッグのように噛み付く。

 たるんだ頬に厚化粧、でっぷりとした体型、宝石商で買ったようなゴージャスな眼鏡。

 今、大勢の記者に囲まれて盛んに唾を飛ばしているこの人こそ、本来の赤マムシ、アカホテルグループの女帝・赤間睦美あかまむつみである。

 昨夜の怪盗赤ずきんちゃんからの犯行予告を受けて、急遽開かれた記者会見である。

 会見は多忙な睦美が滞在中だった、東京は品川駅近くにある、アカホテル品川駅前の一室にて行われた。

「あたくしはそのハンタマとかいう記者が怪しいと思うざます。あれからウチにある手ぬぐいをすべてお湯に浸けてみたざますが、文字が浮かび出た手ぬぐいはその記者が使っていた一本だけだったざます!」

 ギロリと東赤スポーツの記者を睨みつける。

 まさに赤マムシだと、出席した記者は冷や汗をかいた。

「と、当社の赤玉記者と怪盗赤ずきんちゃんとは、な、何の関係もありません。それどころか、あ、赤玉は横須賀レッドリボンズに関連した事件で、怪盗赤ずきんちゃんの悪事を未然に防いでおります。そ、そのことは警察からも表彰を受けました」

 しどろもどろになりながらも必死に弁明した。

 そのあとで催眠術で操られているとはいえ、国宝・スリーモンキーズ盗みの片棒を担いだことは内緒である。

「赤海の秘宝が赤間旅館にあるという噂がありますが、本当ですか」

 ちょうどいいタイミングで、他の記者から質問が飛んだ。

「単なる都市伝説ざます。昔から変な噂を流されて迷惑しているざます。あーたたちも小説を読むざます。赤海の秘宝がなんなのか、ちゃんと小説に書いてあるざます。蹴一の恋人のお摩耶こそが、赤海の秘宝ざます。お摩耶のモデルはあたくしの祖母ざます。ということは、このあたくしこそが赤海の秘宝ざます!」

 一瞬、記者の間に変な空気が流れた。

 いくら怪盗赤ずきんちゃんが物好きとはいっても、このおばさんは盗まないであろう。

「とにかく、あたくしは赤海に急ぐざます。これからオンセンロの大事な試合があるざます!」

 早々に会見を切り上げて、睦美は部屋を出ていった。


 一方でハンタマは、朝早く赤間旅館をチェックアウトしていた。

 あらぬ疑いをかけられては面倒だから早めに宿を出るようにと、東京の本社から指示が出ていたのである。

 今夜のプレーオフ決勝戦は、午後6時からのナイトゲームである。

 それまではまだだいぶ時間があった。

 いつもだったら、これ幸いと赤海グルメを満喫するハンタマであるが、この日は気になるところがあった。昨日の洋食屋である。

 あの子のことが忘れられなくなっていたのだ。

 そういえば、まだあの子の名前も聞いてないぞ。なんとかして連絡先を交換しなきゃ。

 洋食屋はだいたい11時に始まるところが多い。開店時刻を狙って行ってみた。

 確かこの辺だったなと、記憶を頼りに細い路地を入っていく。

 ところがいくら探しても見つからない。

 あれ、おかしいな。確かこの辺りにあったと思ったんだけど。

 周りの景色は見た記憶があるのに、肝心の洋食屋がどこにも見当たらない。

 それどころか、食べ物に関しては犬よりも優れたハンタマの嗅覚を持ってしても、あの洋食屋独特のバターとデミグラスソースの混ざったような甘い香りを探り当てることができなかった。

 そのうちに正午を過ぎ、お腹の方も限界である。店探しは諦めるしかなかった。

 適当に昼食を済ませ、漫画喫茶に入って時間を潰すことにした。

 スタジアムには試合開始の2時間前に行けばいい。それまで昼寝をしていよう。

 横になって目を閉じるが、浮かんでくるのはあの子の微笑みばかりである。

 明日、東京に帰る前にもう一度店を探してみよう。

 ハンタマの恋の病は重症である。赤海の湯でも治せぬ。

 そのうちにウトウトしてきて、目が覚めたときには、時計はそれなりの時刻を指していた。

 ふわあ、そろそろ出かけるか。なんだか、夢にあの子が出てきたような気がするけど、ちぇ、よく覚えてないや。


 午後6時。運命の刻を告げるホイッスルである。

 既に冬の日は落ちて、上弦を過ぎた月が空の高いところに昇っていた。

 温暖な気候を誇る赤海であるが、12月の夜ともなるとさすがに息が白くなる。

 だが、ここオンセンロ赤海のスタジアム・ビッグスパは、もうもうと立ち上る熱気に包まれていた。

 もちろんスタンドが露天風呂だということもある。だがそれ以上に、歴史的な試合を見届けようと集まった赤海市民の興奮が、いつもはガラガラのスタジアムにただならぬ雰囲気を与えていた。

 J1昇格がかかっているためばかりではない。

 今朝の東赤スポーツで報道された記事を、みんな知っているのだ。

 横須賀スカジアムでも両赤国技館でも、怪盗赤ずきんちゃんは大勢の観客が目にするなか、堂々と犯行を行なっている。

 今夜もここでなにかが起きるのではないかという、不純な動機を抱いて球場入りした人も多かった。

 もちろん警察の方も厳戒態勢を敷いて、スタジアムを警備していた。

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