第25話 恋のアカナチオ・その4

 取材を終えて開放的な気分になったハンタマは、早速街をぶらついて赤海グルメを満喫することにした。

 先程のインタビューをまとめて本社にメールすることになっているが、テープレコーダーに収めてあるし、まあ夜に旅館でゆっくりとやればいいだろう。

 それよりもせっかく赤海まできたのに、地元の名物を堪能しないで帰っては、何のためにきたのかわからない。

 ハンタマにとっては、生きることとは食べることである。

 ボールを蹴って追い回すことに何の意味があるのか、彼には理解できない。

 赤海には飲食店が多い。

 地元相模湾で獲れる海の幸はもちろんのこと、古くより文人墨客に愛された土地柄のため、美食家の舌を唸らせる洋食屋が軒を連ねている。

 また、人気の観光地らしく、お土産や食べ歩きに最適なスイーツなども充実している。

 まずは定食屋に入って腹ごしらえといく。

 昼食は新幹線の中でしっかりと弁当を食べてきてはいるが、一仕事すればお腹が空く。

 伊豆名産のアジをたらふく堪能できる、アジづくし定食というのを頼んだ。

 ふっくら肉厚のアジの干物に、新鮮なアジのたたき、カリッと揚がったアジフライ。どれも絶品である。

 特にアジのたたきは、脂が乗っておいしい。

 東京のスーパーで買う、パックに入ったものとはまるで別物である。

 そうか、これが本物のアジかと、ハンタマは感動した。

 僕が今まで食べていたのは、死んだアジだったんだ。

 これこそ本来のアジの味だと、小学生でも思いつかない低レベルな駄洒落まで飛び出した。

 ちなみに言うまでもないことだが、赤海でも東京でも、人が食べるアジは死んだアジである。

 エンジンがかかったハンタマは、続いて寿司屋に入った。

 今度は地魚の握りを注文する。

 アジ、サバ、イカといったお馴染みのネタの他に、伊豆といえばのキンメダイ、さらにはイサキ、シラス、メギスにイトヨリダイと、静岡の地酒とともに味わった。

 キンメダイは煮付けも頼み、しっとりとした身とトロッとした皮の甘みを楽しんだ。

 お皿を傾けて煮汁を飲み干したときには、さすがにお店の人に青い顔をされたが、そんなことを気にするハンタマではない。

 お魚の次は甘いものである。

 赤屋の一件以来、ハンタマはちょっと甘いものにはうるさい。

 どれどれ、このハンタマ様がひとつ味見をしてやろうと、半可通にありがちないやらしい目付きでスイーツのお店を物色した。

 さすがに東京の店には敵うまいと、高を括っていたが、あっさりと陥落した。

 まず目についたのは、大きなプリンの看板である。

 牛さんの絵のついた、かわいらしい牛乳瓶に入っていたのは、レトロで懐かしい味だった。

 その優しくて素朴な味わいは、保存料と添加物にまみれた現代人のハンタマの心にも、郷愁の風を吹かせた。

 ほんのりと焦がした風味のカラメルソースがまたいい。これなら何個でも食べられる。

 お次はドーナツだ。

 水っぽいものを食べたあとには、しっかりしたものが食べたくなる。

 モダンでお洒落な外観のお店は、焼きドーナツ専門店だった。

 油で揚げたドーナツと違って、あっさりしている。

 焼き菓子特有のパサつきがあるかと思いきや、しっとりとして食べやすい。

 バターの香りが漂って、なんとも幸せな気分にさせられた。

 固形物を食べたら、口を潤すものが欲しい。

 今度は屋台のようなお店で、いちごのソフトクリームを味わった。

 まわりは女性客ばかりだが、ハンタマの目には食べ物以外映っていない。

 いわゆるインスタ映えする見た目を堪能することなく、一気に口に押し込んだ。

 いちごの甘酸っぱさと牛乳ソフトの濃厚なコクが見事にマッチして、大満足の逸品であった。

 ううむ。赤海恐るべし、である。

 目に映る全てのものが五つ星だ。

 さて、それでは真打の登場である。

 現代風のスイーツもいいが、やはり温泉地といったらこれが欠かせない。

 温泉饅頭である。

 当然、赤海にも温泉饅頭を売るお店がそこかしこにある。

 目についたところに適当に入って買い求め、道端のベンチに腰掛けて食べようとした。

 と、そのときである。

 バサバサッという音が聞こえ、黒い影がハンタマの手元を横切っていった。

 あっと思ったときには、手に持っていた温泉饅頭が消えていた。

 カラスである。

 地面に転がった温泉饅頭を、器用にくちばしに加え直している。

「このやろう!」

 ハンタマは勢いよく立ち上がった。

 普段は温厚な、というより鈍いといった方が適当な彼だが、食べ物の恨みは人一倍深い。

 饅頭はきっともう食べられないのだが、だからといって潔く諦めることはできない。

「僕の饅頭、返せ!」

 カラスを捕まえようと手を伸ばした。

 だが到底ハンタマなんぞに捕まるカラスではない。

 饅頭をくわえているというのに、さっと余裕で身をかわす。

 動作の鈍いハンタマを嘲笑うように、しばらくひらりひらりとやっていたが、急にバサバサと飛び立って、細い路地へと入っていった。

「あっ、待て、盗っ人ガラス!」

 ハンタマも重い脂肪を揺すって、ドスドスと追いかける。

 カラスは彼をからかうように、路地の角のところで待っていては、さっと飛び立ってしまう。

 そうしていくつかの角を曲がったあと、ハンタマはとうとうカラスを見失ってしまった。

「ああ、くそっ」

 ハア、ハア、と肩で息をする。

 生まれてこのかた運動不足のハンタマには辛い。

 ポケットからハンカチを出して、額の汗を拭った。

 ぐぎゅるうう〜、と、胃袋が盛大な悲鳴を上げた。

 やれやれ。走ったらお腹が空いてしまったぞ。

 すると、甘いような香ばしいような、なんとも食欲をそそる香りが漂ってきた。

 これは、紛れもないあの香りだ。

 ふと顔を上げた彼の目に飛び込んできたのは、レトロな雰囲気の洋食屋。

 そうだ。まだ洋食を食べていないぞ。赤海といえば洋食じゃないか。

 こだわりの強い文人たちの要求に応えて味を磨いてきた赤海の洋食だ。

 これを食さずに仕事をするなど笑止千万、画竜点睛を欠くとはこのことだ。

 気づけば早夕食どき。カラスもねぐらに帰ろうかという時間だ。お腹が空くのも当然だ。

 腹が減っては負け戦というではないか。

 ここはひとつ、腹ごしらえしてから旅館に行こう。

 それに、宿で夕食の予約はしていない。

 スポーツ紙の記者が会社のお金で行く出張は、そんなに贅沢は期待できないのだ。

 偶然にも、僕は洋食屋の前にいる。

 決して自分が食いしん坊だからとか、食べ物に卑しいからとか、そういうことではない。

 これはまったくの偶然、運命のいたずら、神のお導きなんだ。

 ひょっとするとあのカラス、泥棒かと思ったけど、神様の使いだったかもしれない。あれ、足が三本あったかな。

 と、壮大なこじつけをしてドアをくぐった。

 足が三本あるのはヤタガラスといって、神武天皇が東征したときに大和の国へと導いたとされる。

 そんな伝説上の鳥が饅頭を盗むわけはないが、しかしあながち間違ってはいなかったかもしれない。

 このあと、思いもよらない出会いがハンタマを待ち受けていたのであった。

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