第24話 恋のアカナチオ・その3
元々、オンセンロのユニフォームは、赤海という地名にちなんで赤色をしていた。
だがその色を、大胆にも黄緑色に変えたのである。
シャツ、パンツ、ソックス、スパイクと、全て黄緑色一色に統一したのであった。
つまり、ピッチの芝生の色と同じ色である。
激しく運動している相手選手からすると、ぱっと見、オンセンロの選手がどこにいるのかわからない。
芝生に身を隠せるようになったのである。
これによってステルス性を身につけた。いないと思ったところから、急にオンセンロの選手が現れるのだ。
なんともせこい戦術だが、実は赤間監督の狙いは別のところにあった。
彼が身を隠したかったのは、相手チームではなく、オーナー。つまり奥さんの睦美からなのだ。
黄緑色の芝生の上に赤いユニフォームだと、選手の動きがよくわかる。
サッカーに疎い睦美の目にも、熱の入った試合なのかそうでないのか、はっきりとわかってしまう。
あまり活発でない試合をしていると、奥さんにどやされる。それで色を変えたのだ。
いやはや、せこすぎる。
おまけにシャツには、よくあるようなスポンサーの名前が入っていない。
そのかわりに、微妙に地の色と異なる黄緑色で、温泉マークが散りばめられている。
これにより、本当に芝生と見分けがつかなくなる。
背番号の文字もよく似た黄緑であるため、後ろから見ても誰が誰だかわからない。
徹底的なステルス機能搭載である。
さらに、赤間監督が行なった改革はこれだけではない。
スタジアムも、睦美の財力を利用して徹底的に改装してある。
試合を盛り上げるためではない。
相手チームが、せっかく赤海に来たんだから、もうサッカーなんてやってないで早く温泉に入ろう、と戦意を喪失してしまうように演出がしてあるのだ。
なんと大胆にも、スタンドで温泉に入れるようにしてしまったのだ。
熱狂的なサポーターが集まるゴール裏の席には、椅子の下に足湯が流れるようにした。
普通サッカーの応援というと、身振り手振りをしながらみんなで歌を歌ってタオルや旗を振り回したりする。
中には、ピョンピョン飛び跳ねて声援を送る人もいる。
だが、赤海が誇る良質の温泉に、一旦足をつけてしまうと、もうそこから動きたくなくなる。
選手に声を送ることなど忘れて、いい気持ちになってしまう。
メインスタンドおよびバックスタンドに至っては、水着着用ではあるが、完全に温泉プールである。
ピッチを見下ろせるように少し高い位置に作られていて、種類も豊富だ。
普通のお湯の他に、薬湯、ジェット湯、炭酸泉、檜風呂、おまけに岩盤浴まである。
ピッチの上では普通にサッカーが行われているが、誰も熱心に試合を見たりしない。
この席で観戦する人たちは、完全に温泉目的でスタジアムにやってくるのだ。
そんな中で試合をする選手たちの心境はいかばかりか、である。
スタジアムの中は温泉のにおいで満ちている。
浴衣を着た売り子さんたちが、温泉饅頭や温泉卵を売り歩いている。
いつもならサポーターから、闘志を掻き立てる勇ましい歌が聞こえてくるが、ここで聞こえるのはこんな歌だ。
おいでませ赤海 恋の街
疲れを癒す 極上の宿
くつろぎの時間 あなたと二人
湯の花さく 常春の楽園
ゆるりゆるりら ひとやすみ
ゆるりゆるりら ほねやすめ
赤海観光協会公式ソング『恋の街赤海』である。
この歌が延々とスピーカーで鳴らされている。
こんな歌を聞いていると、ここは羽を伸ばしにくるところで、目を三角にしてサッカーをやるところじゃない、という気になってくる。
おまけにオンセンロ赤海のやる気のない戦術である。
息巻いて乗り込んできた相手チームの選手たちも、徐々に戦意が削がれてくる。
どうせ相手も点を取るつもりはなさそうだし、このまま引き分けでもいいか、と気が緩んだところで、ブラジル人ツートップにやられるのだ。
ただ、そうは言っても相手もプロのチームである。
そう簡単には勝たせてくれない。強固な守備を誇るオンセンロはなかなか負けないが、また勝つこともほとんどない。
毎年、ホームゲームで数試合勝つだけで、ほとんどが0-0の引き分けである。
それでも赤間監督は、J3に落ちさえしなければいいと思っていた。
元々隠居するつもりの身である。
J1に昇格してしまったりしたら、忙しくなる。
そんなチームだから、東赤スポーツの編集長も言っていたことだが、誰もオンセンロがプレーオフに進出するとは思っていなかったのだ。
ところが、である。監督の希望とは裏腹に、奥さんの睦美がだんだんとサッカーに興味を持ち始めた。
そして有り余る財力を投じて、元ブラジル代表ストライカーを二人獲得したのである。
結果、今シーズンは彼らの活躍もあって、リーグ全体の6位に滑り込み、見事ギリギリでJ1参入プレーオフへと進出した。
おまけに睦美が、J1に昇格した暁には年俸を倍にするという条件を出したため、ブラジル人二人は俄然やる気を出し、プレーオフの決勝戦にまで駒を進めたのであった。
「わしはもうサッカーなんて疲れることはしたくないんだよ。毎日のんびりと温泉に浸かっていたいんだ。まあ、女房が旅館を経営しているおかげで、その希望は叶っているがね。そうでなければそんな生活もできないだろうし、でも女房のおかげでサッカーをやらされるし、どちらがいいとも言えないなあ」
赤間監督は諦めたような、なんとも言えない表情を見せた。
ハンタマはそこにサラリーマンの悲哀を見たような気がした。
ハンタマとて他人事ではない。
スポーツなんてちっとも興味がないのに、スポーツ新聞の記者になってしまった。
だからといって仕事をやめてしまうと、彼の旺盛な食欲を満たすだけの収入を得ることはできなくなる。
大好きな食べ物のためには、好きでもないスポーツの記事を書かなくてはいけない。
ハンタマと赤間監督は、同時に、はああ、と大きなため息をついた。
いやいや、監督に比べれば僕はまだマシかな。
赤間睦夫の奥さんが赤間睦美だなんて。きっと僕ならうっかりして名前を取り違える。
どうでもいいところに同情するハンタマであった。
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