第9話 思い出のスイーツ・その4

 一方、こちらはハンタマである。

 東赤スポーツの記者は全て横須賀スカジアムへの出入りを禁止されてしまったことで、編集長から大目玉をくらったものの、そんなことでへこたれるような彼ではない。

 取材しなくてもいいのならと、連日のように食べ歩きをしていた。

 野球の取材に行くのは腰が重いが、食べ歩きとなればフットワークは軽い。

 最近ではすっかり甘いものにはまって、都内各地の食べ物屋さんに出入りしていた。

 元々脂っこいもの、塩辛いものが大好きなハンタマである。

 ラーメン、チャーハン、ステーキ、焼肉に牛丼、カツ丼に親子丼、さらにはハンバーガーにフライドポテトと、この世に生を受けて以来、散々刺激の強いものを食べ尽くしてきた反動であろうか、無性に甘いものが食べたくなっていた。

 なるほど、塩辛いものの次には甘いものが食べたくなるのは道理である。

 この日も、流行りのタピオカドリンクを飲みながら、食べることなら得意なのにどうしてグルメリポートの記者にならずに、よく知りもしない野球の担当記者なんかになってしまったのだろうと、分厚い脂肪に埋もれてもはやどこが首だかわからなくなった首を傾げていた。

 ふと顔を上げると、和菓子屋さんが目に入った。

 条件反射的に、ふらりと店に入るハンタマである。

 どうやらここは羊羹が名物らしい。

 それならばと、二、三本の羊羹を購入し、店のイートインで早速食べてみる。

 さっき飲み物を飲んだばかりだ。ならば今度は食べ物が欲しくなるのは道理にかなっている。

 羊羹の包み紙を剥き、まるで骨つき肉でも食べるかのように片手で鷲掴みにして豪快に食す。

 もぐ、もぐ、むぎゅ、むぎゅ、もぐ。

 う、うまい。

 羊羹ってこんなにおいしかったのか。

 普通の羊羹もおいしいが、特にこの色の赤い羊羹がうまい。

 イートインで一人感動に浸っていると、お店の和菓子職人らしき人が挨拶にきた。

「お気に召しましたか、当店の羊羹は」

「は、はい。羊羹ってこんなにおいしいものだったのかと、感動していました。僕は今まで和菓子はあまり食べたことがなかったけど、いやあ、こんなことならもっと早くから食べておけば良かったなと反省しているところです。まったく、人生損していた気分です。特にこの赤い羊羹は絶品ですね」

「それは紅羊羹というものです。実は私は若い頃に横須賀の和菓子屋で修行をしていたんですが、そのときに学んだものです。でもさすがに本家の紅羊羹には敵わないと思います。少しでも味を近づけようと努力しているのですが」

「え!これよりももっとおいしいものがあるんですか?」

 おいしいものと聞いては黙っていられないのがハンタマである。

 それはどこにあるのか、なんていうお店なのか、普段の野球の取材では決して見せないような情熱的な態度でメモを取り出した。

「赤屋という店なんですけどね。場所は横須賀スカジアムの近くですね。だいぶ昔のことですので正解な住所は覚えていませんが。でも、もしかしたらもうないかもしれません。最近経営が思わしくないという話を聞いていましたから」

「と、とにかく行ってみます!」

 ビューンと、取るものもとりあえず店を後にした。

 軽い。

 この重たい体のどこにそんな軽いフットワークが隠されていたのか。

 食べ物のこととなると、ハンタマはコンドルよりも速く飛んでいく。

 兎にも角にも横須賀スカジアムに行くことにした。

 こうして本来ならそこにいないはずのハンタマが、横須賀スカジアムにいることになった。

 それは当初の赤ずきんの計画にはないものであった。


 日曜日のナイトゲーム。

 横須賀レッドリボンズは、本拠地に北海道ホワイトチョコレーツを迎えた。

 この日の横須賀市内はお天気が心配されたが、海からの湿り気を含んだ生暖かい風が分厚い雲を吹き飛ばし、試合開始時刻までには青空が広がった。

 休日とあって三万人収容の巨大なスタジアムが、ぎっしりとファンで埋め尽くされている。

 試合はレッドリボンズ打線が爆発し、5回までに10点取って試合を決めたかに見えた。

 ところが6回にホワイトチョコレーツに一点返されると、徐々に雲行きが怪しくなっていく。

 7回には満塁ホームランが飛び出して、10対5。8回にも2点返されてこれで10対8。

 楽勝に見えた試合が思わぬ展開になってきた。

 序盤、あれだけ元気に打ちまくったレッドリボンズ打線も、中盤以降は沈黙。

 8回裏にチャンスが回ってきたが、いつもならここで登場の代打の神さまは、なぜか引退してしまっていた。

 迎えた9回。

 レッドリボンズは抑えの赤崎康明あかざきやすあきを投入。

 しかし赤崎もピリッとせず、ツーアウトを取ってから三者連続でフォアボールを出してしまい、満塁のピンチ。

 ここで長打が出れば逆転されてしまう。

 ファンは一斉に思った。

 まったく、どこかにいいピッチャーはいないものか。

 そのときである。

 突然照明が落ちて、真っ暗になった。

 都会にある横須賀スカジアムであるが、それまで明るかったものだから、急に暗くなると目が見えない。

 ザワザワとスタンドはざわめいた。

 パッと電光掲示板がついて、そこだけが暗闇に浮かび上がる。

 映し出されたのは、レッドリボンズの帽子を目深に被った、一人のファンの女の子。

 少しうつむき加減なため、表情は見えないが、キュッとしまった頬から顎にかけてのラインは、かなりの美少女であることを思わせた。

 その女の子が口を開いた。

「ぼんそわ〜る、レッドリボンズファンのみなさん!今から初級フランス語の時間で〜すって、ノン、ノン。うちらは怪盗赤ずきんちゃんなのよ」

 おおおお、とスタンドがどよめく。

 これがあの、世間を騒がす世界的な大泥棒、怪盗赤ずきんちゃんか。

「みなさんも知ってのとおり、神さまのお菓子をいただいちゃうんだわ。どこぞの名探偵さんは、代打の神さま・赤藤幸三のチョコレートだと思ったみたいだけど、大間違いよ。それはいくらなんでも甘いわよ。スイートな考えだわ。日本人には甘すぎて食べられないギリシャのお菓子ぐらいスイートよ。みなさんがこんな場面で、一番すがりたくなる神さまって誰かしら?そうよね。今みたいなときだったら、代打の神さまよりも、守護神さまよね。それも絶対的な。そう、スカの大魔神と言われたあの人みたいな」

 そのとき照明が元に戻った。

 どこからかファンファーレが鳴り、一人の選手がゆっくりとマウンドに向かった。

 その背中には、栄光の背番号14が。

「ピッチャー交代!赤崎に変わって、赤村栄治!いいこと?鉄砲よりも速いと言われた、伝説のストレートを見せてあげて!」

 謎の背番号14がマウンドに上がる。

 振りかぶって第一球、投げた!

 バァン!

 まるで銃声のような音が鳴り響き、一瞬にしてボールはキャッチャーミットに吸い込まれた。

 凄い。凄すぎる。

 これが赤村栄治のピッチングか。

 観客は息を飲んで、背中の赤い14番を見つめた。

 バァン!バァン!

 あっという間にバッター三球三振。

 その瞬間、レッドリボンズの勝利が決まった。


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