咄嗟の機転と作家の能力
本当に、一瞬の判断だった。
僕は「ペン」を召喚していた。手元に出てきたそれで、頭上に向かって……巨大な岩に向かって……大きく「バツ」を書く。
うまくいってくれ……!
「バツ」を書きながらそう祈っていた。しかし効果はすぐに表れた。
「……おや?」
『寄生種放出型エディター』が驚く。
「……入力している暇なんて、与えなかったはずだが?」
息を大きく、吐く。
心臓が早鐘を打っていた。呼吸が荒い。でも、でも。
生きている。うまくいったんだ。
「何をした?」『エディター』が首を傾げてくる。「何をしたんだ?」
「内緒だよっ」
諏訪井さんだった。一瞬で『エディター』との間合いを詰める。
破裂音。いや、爆発音か?
『エディター』の体が一瞬で飛ぶ。
諏訪井さんが蹴飛ばしたのだ。
「それ、ものの消去もできるんだね」笛吹さんだった。「どうやったの?」
「『バツ』を書きました」僕は荒い息のまま言葉を返す。「ワープの『穴』を消した時みたいに」
「ははぁ、分かった」笛吹さん……僕もヒサ姉って呼ぼうかな……がつぶやく。
「校正記号だね」
「校正記号?」
「気になったらググってよ」ヒサ姉が、拳を構える。「今は説明している場合じゃ、ないからさ」
よく、見てみると。
ヒサ姉の、体。衣服の下。襟ぐりや、袖から見えている部分、さらには手や足は。
小型の甲冑のようなもので覆われていた。頑丈そう。仕込み防具だろうか?
「あ、これ?」
ヒサ姉が自分の体を見て、笑う。
「身体強化系の魔道具だよ。私の『いかカノ』に出てくるの」
「身体、強化……」
「早い話が、パワードスーツかな」
どうやら防具だけでなく、武器でもあるようだ。
「重たいから、諏訪井くんみたいな高速移動はできないけど……」
と、ヒサ姉が話している最中だった。
「それは残念だな」
僕の目の前に、『エディター』がいた。本当に、瞬きをしたくらいの間だった。
だが、それだけでは、なかった。彼は僕の目の前に存在していただけではなかったのだ。『エディター』はつぶやいた。
「速く動けないから、こういう目に遭う」
僕の、隣。
伸びた『エディター』の、腕。
鋭く尖り、太い針のようになった、腕が。
ヒサ姉の体を、貫いていた。
ヒサ姉が、潰れた蛙のような声を出す。
『エディター』が、腕を抜いた。ヒサ姉の体から。
悲鳴が出た。とても、情けない。
僕の声だった。目の前で人が死んだ。目の前で人が殺された。その恐怖に、全身をがっちりつかまれていた。
アカウントだから、血は出ない。
アカウントだから、肉は飛ばない。
でも、そこにあるのは。僕の目の前で起きたのは。
明らかに死だった。人が今、死んだのだ。僕の目の前。僕のすぐ隣で。
しかし、その瞬間。
「
諏訪井さんがヒサ姉の方に両手をかざして叫んだ。何を言っているのか分からない。しかし混乱する僕の隣で、ヒサ姉がむくり、と起き上がった。
「あっぶねー。諏訪井くんいなかったら死んでたわ」
まるで何事もなかったかのように。
たまたま、転んじゃった、とでも言うかのように。
ヒサ姉はすっくと立ちあがった。ぱんぱん、と背中に着いた砂を払う。
「ありがとね。やっぱ戦闘中におしゃべりは駄目ね」
復活した。ヒサ姉が復活した。
もしかして。
僕は思い返した。さっき意識が切断された時。僕の意識が一瞬飛んだ時。
僕も殺されていたのか? それを諏訪井さんが「
「……能力を使う時は作品名だ」
亜未田さんがつぶやく。
「言わなくてもいいが、言った方がかっこいい。宣伝にもなるしな。君の場合は『渋谷スクランブル異能交差点』」
「なげーんすよ」諏訪井さんが悪びれもなく告げる。「それに、自分の作品内では『
「略称あると便利だよ」ヒサ姉。「まぁ、私の場合は身に纏ったりする感じだから戦闘中に能力名言うことないけど」
……つまりあれか? この人は毎回「『いかカノ』!」って叫びながらパワードスーツを着ているということか?
「ほい、お返し」
立ち尽くしていた『エディター』に、ヒサ姉が両拳をぶつける。
潰れるような音がした、と思ったら。
『エディター』が遥か後方に、吹っ飛ばされていた。
破裂音がして、近くにあった大きな岩が凹む。
『エディター』が叩きつけられたのだ。
「……そろそろお気づきじゃないと、いい加減鈍感だと思うんだが……」
砂煙の中から、『エディター』が出てくる。
「俺に殴ったり蹴ったりは効かないんだよ」
にゅるり。
そう、表現するしかない。
『エディター』の体が、変形したのだ。
スライム状の何かに。雫型の何かに。
そしてすぐさま、人型に戻る。
にたりと、笑う。
「俺は液体なんだ」
しかし亜未田さんが口を開く。
「殴ったり蹴ったりして吹っ飛ばされるということは、少なくとも形を保つ何か……コアのようなもの……があるか、もしくは粘度が極端に高いか、だ」
亜未田さんが手を構える。何かを持っているのだろうか? 僕の目には見えない。
「まるっきり攻撃が効かない、というわけでは、おそらくない。ハッタリだ」
「でも変形はできるみたっすよ」諏訪井さん。「厄介っす。刃物や針。もしかして銃とかにもなれるのか?」
「銃にはなれないが、こういうことはできるぞ」
『エディター』が腕を大きく振った。
途端に。
僕の肩を何かがかすめた。激痛が走る。悲鳴とも叫び声とも分からない何かが口から出る。その場に背中から倒れた。痛い。……痛い。
「避けなかったのかよ」諏訪井さんだった。「馬鹿。相手をよく見ろ」
「私、見てなかったけど無事だよ」ヒサ姉。
「ヒサ姉はアーマー着てるだろうが」諏訪井さん。
「雫をたくさん飛ばしてきたんだ。高速で」亜未田さんがつぶやく。「遠距離攻撃も可能か。あまり精度は高くなさそうだが」
「まぁ、ショットガンみたいな話だね」
『エディター』が笑う。
「もう一発い……」と、彼が言いかけた時だった。
『エディター』が腕を振りかぶった、その瞬間。
「『変幻自在のファントムナイフ』」
亜未田さんが、僕たちの目の前から消えていた。
次に瞼を開いた時、彼がいたのは。
『エディター』の懐。手には何かを……見えない何かを……持っている。
突進した? 僕が最初に抱いた感想はそれだった。
「ここがコアだな」
亜未田さんの低いつぶやきが聞こえた。
「潰した……いや、突き刺した」
『エディター』が唸り声……初めて聞いた、彼のネガティブな反応だった……を上げる。
「亜未田さん、かっこいいー!」
ヒサ姉。僕は解説を求めた。何が起きたんですか、と。
「亜未田さんは、見えない刃物を振るえるの。そういう意味じゃ、日諸さんと同系統?」
砂袋が、落ちるような音を立てて。
『エディター』が倒れた。
亜未田さんはその様子を、黙って見降ろしていた。
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