私は君の神様を知らない

とりよし断章

私は君の神様を知らない

 人の趣味を馬鹿にすると、その人に嫌われる。ありがちなお話である。言って聞くような人間ならば、趣味を馬鹿にすることはあるまい。先に書いた人達は、困ったことに実在し、そして変わらず人の趣味を馬鹿にし続けている。そこで、防衛策を講じなければいけなくなる。


 このような事態を避けるためには、趣味を明示しないことが一つ有効である。好きな音楽も、好きな服装も、好きな人でさえも、心に秘めて口を固く閉ざす。

そうして表面に出さない。こうすれば、悪意をもって馬鹿にしてくる人達は他の手立てを探すことになるだろう。束の間の時間稼ぎにすぎないが、有効である。

私の趣味は、彼らにとって不可侵アンタッチャブルとなり、私だけが触れることのできるものになる。心に神聖な存在を住まわすと表現してもいいだろう。使役の言いかたは不敬だが。


 趣味は、その人の行動を規定するという点において、神様と似かようところがある。私はそう考えている。学校や仕事や、その他の面倒なことから解き放たれたわれわれは、余暇を趣味のために使う。好きな音楽を聴き、自室でファッションショーを開催し、恋する人のことを考える。趣味に没頭していると、時間が経つのもあっというまだ。とても幸せな過ごしかたである。


 ある日われわれは素朴な疑問を抱く。

 

「私の趣味=神様は、私に対して絶対的な力をもっている。では一体、他の人に対してはどうなのか」と。


 そうして、趣味を外に出してみるのである。この出し始めの段階で悪意に遭遇すると、また心に閉ざす。ほとぼりが冷めて、また外に出す。こう繰り返していくうちにわれわれは自己開示の仕方を、自己開示する相手を学んでいくのである。


 ようやく本題に入るのを許してほしい。長い前置きが必要だったのである。


 私が初対面の人に、全力で自分のこと(つまり趣味=神様)を開示するのは、あまりない。私が成人してから出会った人達もたいていはそうであった。相手が悪意をもって接してくるかどうか、初対面ではわからないからである。しかし、仲良くなり、一緒に過ごす時間が増えるにつれ、状況は変わってくる。その人と過ごす時間が趣味になる。隣にいたくてたまらなくなる。誤解を恐れず言えば、その人こそが私の趣味となるのである。


 その人が何を考えているか。どんな書籍を読んできたか。何に感動したのか。その人の行動を規定するものが、(嫌われないようこっそりと)知りたくなる。

その人こそ私の趣味=神様であり、その人の趣味=神様もまた、私の行動を規定するものとなるだろう。私はまだ、君の神様を知らないのである。










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