ホメオボックス・21回目の脱皮

中川さとえ

21回目の脱皮

「えっ…。なんで?」

電気代が五万を越えてる。母と僕はエアコンも着けないで(あるけど)倹しく暮らしてた。どうしてこんなに?

先月母が死んだ。そのこと自体は何年か前から覚悟を強いられてて、比較的上手く受け止められたと思ってたんだ。けどこういうのが、結構衝撃くるなぁ。

…大丈夫だよ。母さん。ちょっと驚いた、それだけ。

母が泣くんじゃないか、といちいちを引きずってしまう。こういうのもちゃんと振り切ろう。

取り合えず電気会社に電話してみた。

お待ちください、で待って答えを聞いた。

母は二軒分の電気代を払い続けてた。もうひとつの住所が耳に届く。

…俺バカだ。電話しなくても見れば分かる話だった。請求書の住所こそうちだけど名前は父親のそれだった。母は別れた父の分も払ってた、ずっと払ってた。

そうそう、別れたくせに形を壊しもしなかったんだよね。離婚届を出してなかった。だから僕が出した死亡届で戸籍からちゃんと抜けれたんだよ。母さん。


「…行こう。」あの日母は僕にそういった。ちゃんと閉まっていないドアの間から、没頭してるいつもの父親の背中が見えてた。

「お母さんといこう。私たちは普通に暮らそう。」

僕は迷わず母さんの手を握った。さよなら僕らは行くね。ココロでそう告げて僕らはそこを出た。


そこはどうみても廃屋だった。電気のメーターが静かに回転していることに誰も気が付かなかったろう。

父がまだいるのかはわからない。でもいるなら話をしないとと思った。僕は母さんのように黙ってあなたの分を払い続ける気はさらさらない。

割れたガラス、傾いた薄い壁、積もる埃、滲みる澱。

生活してる気配がなかった。留守なのか、それとももう居ないのか。

でもメーターは動いてる。

欠けたコンセント、千切れたコード、破れた配線、時折零れて走る微かな電流。

ここは、小さい僕と元気だった母ともうひとりが住んだ場所。「入っちゃいけないよ」と言われた四角い白い部屋がほらそこにある。

いつも薄暗くてひんやりした怖い部屋。壁棚に溢れている瓶、瓶、瓶。これなあに?聞いてみたことはある。「それはホメオテックス。」僕には恐い絵本にあったホムンクルスにしか見えなかった。可哀想なホムンクルス、はじめから死ぬために造られるホムンクルス、そして死んだらきゅっ、きゅって瓶に詰め込まれて静かに並ぶんだ。瓶の中だから土には成れない。

その人はいつも水槽や檻を覗き込んではガラスの皿を触って、可哀想なホムンクルスをまたつくる。ナニをしてるかなんてわかりたくもない。

僕は時々泣いてしまってその度に「君は止めておく方がいいかな。ここには入っちゃいけないよ。」と言われた。困ったなて顔で僕にそう言った、僕の父親。

白い部屋への扉を開ける。鍵はない。そうだ初めからここに鍵はなかった。

白い部屋はうっすら汚れてた。誰も掃除等しないから。そして月日はかなり経ったから。

にしても印象が違いすぎる。こんなにスカスカなとこだったのか…?。

理由がわかった。

壁の棚が空だ。あんなにぎちぎちと並べられてたホムンクルスたちの瓶がひとつもない。スカスカだ。これはきっと"虚無"の姿。

でも水槽や檻はある。水槽につながる装置が動いてる。それと動いてるエアコン。加湿器。…そうか電気は要る。檻の中は空に見えた…あ、ちがう。なんかある。なんだろう?皮かな。殻のほうがあってる?

蛇かなんかが脱皮したあとの殻だ。なんだろな。

「君は止めておくのがいい。」

そう言われたこと、よく覚えてる。そうだよ。僕は嫌だ、そんな研究。だから父親の領域には近寄りたくもない。けれど大きくなった僕は結局理科の講師をしてる。全く違う道をいこうと思ったんだよ、ほんとうにさ。

「1、2、3、」僕はつい皮を数えてた。きちんと伸ばして重ねられてる。指を折って数えて続ける。

「15、16、17、18、19.」

20か。20回脱皮した、ナニか。次があるとしたら21回目。

皮を一つ一つ確かめてしまう。父親が造るホムンクルスはたいてい蜥蜴からだった、このこも蜥蜴だったのかなと思いながら。段々大きくなってる。

ああ、このこは生きれたんだな。不思議な感覚が沸く。生きて脱皮して大きくなって生きてまた大きくなって…。頑張って生きてる。えらいぞ。えらいぞ。僕はそう思ってしまう。ホムンクルスは胎児のまま死ぬのがほとんど。生まれても呼吸するかしないかで死んでしまう。そんな体に造られたから。

抜け殻がだんだん体になってる。当たり前か。つい細かく観察してしまう。大きさとか形状とか、理科の講師だなぁてちょっと思う…

あれ…。

次の瞬間僕は震えた。

これ………。


忘れてた記憶が甦る。

うっかり夜中に見てしまった夢。眠る母。深く深く眠る母。傍らに立つ父。蒼い服の父。

「…行こう。」

母がそういったのはその日から一週間後くらいのことだった。


水槽。管で繋がる大小の水槽。小さい幾つかは生態系が既に出来てる。電気が無くてもここの命は生きていくけそうだ。平和なアクアリウム。柔らかな藻の世界。こちらは魚だ。小さい小さい魚たち。バイオトーブが完成してるようにも見えるけど。

その奥に鎮まるひとつ。大きいひとつ。水が濁ってて見通せない。

…覗き込む勇気が出ない。


視線を投げて気が付いた

かつて見た背中がそこにある。相変わらすシャーレに没頭して。駆け寄った。

「父さん!母さん死んだんだぞ、いつまでもナニやってるんだよっ」

それは確かに父親だった。

けどもう生きてないはわかった。座って没頭したまま死んだのか。姿がまだ残ってるからそんなに前じゃないんだろう。けれど…。だんだんだんだん腸が煮えくり返ってきた。どこまでもどこまでも自分勝手なやつ……!殴り倒そうしたそのとき、音がした。

水槽だ。

濁りのなか僕は感じた。ある。鼓動だ。ナニかが生きてる…。

何故そうしたかわからない。気がついたら僕はブレーカーを必死で落としてた。そしてそこから逃げた。全力で逃げた。


次の請求書はあまり変わらず、その次の請求書は一万円なかった。終わったんだ。そう思った。

でも…、


僕はまたそこにいった。知ってしまった以上、埋葬してやろうと思った。警察にいうのも躊躇われて、そっと父を裏の庭にでも埋めてやろう、そう思った。

考えたらそれが間違いだったかもしれない。けどその時は分からなかった。

扉を開けたら空気が澱んでいた。そうか、エアコンも止めたんだ。窓を開ける。がたついたけど開いた。

奥に進む、あの部屋だ。

入った。僕は息を飲む。

腐った水の匂い。やはり奥の水槽は持たなかった。手前の小さい水槽の命は涼しいカオで生きてる。別の世界なんだ。

戦慄だ。

足元に皮が横たわる。脱皮したんだ。

そうか、世界が腐ってきたから水槽から出たんだ。そして脱皮した。21回目の脱皮。

「ミーーーーーー!」

振り向くとその姿。

「ミーーーーーー!ミーーーーーー!」

ああ、声も出せるんだね。

ホメオテックス、ホメオボックス。はじめは核。そして肺胞。

父さん…。何てことした。材料採るのに受精卵を使ったな。何てことする、何てことするんだよっ!

「ミーーーーーー!ミーーーーーー!」

ああ、よしよし。よしよし。

父の死体が減ってる。

そうか、…そうだよな。

おなか空いたんだ。そうだよな。生きてるんだもんな。生命あるんだものな。

「ミーーーーーー!ミーーーーーー!」

そうだ。僕を食べておくれよ。そうしてくれたらそれがいい。僕は君を殺そうとした。無意識にだけど君を殺そうとしたんだ。

それは僕に近づいた。そしてぺたんと僕にくっついた。

「ミーー、ミーーー。」

僕はただただ泣くしかない。それは不思議そうに僕を見てる。よしよし。

僕はそれをそっと抱き締めた。

どんな姿であったとしても、そして神に認められてないとしても、母さんの卵子と父さんの精子の受精卵から出た生命だから、君は僕の妹だ。

「ミー…、ミー。」

そうだな。ちょうど母さんが死んで父さんも死んで、僕は独りになったところなんだ。

君とふたりで暮らそうか。ヒトの世界のどこか隅っこでこっそりと。

「ミ、ミー。」

ふふふ、嬉しい?そっか。なら良かった。

でももう屍体なんか食べちゃ駄目だよ。おなか壊すだろ。

捜すよ僕。君が食べれるもの、過ごせる場所。

だから、長く長く生きるんだよ。約束だよ。

「ミーミーー。ミーーー」

僕は妹を抱き締めて泣いた。妹は、すごく嬉しそうだった。









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