弐 (――つまりは、レッド・フラクション)
「禁煙――、だ」
言い終えないうちに、タバコを取り上げる。サイバシみたいな指が。
イカツイ体躯に、いやに長い五本の指。金属製の義手で器用にタバコをコップに投下。メンソールの清涼感を垣間見せることなく、じゅっと短い音を立てて火は消える。
その男の所作と、それを眺めて「サイバァ」と感嘆の声を上げるヒイラギの両方に、サカキは小さく舌打ち。ご自慢のトサカを掻き毟りながら、
「てか、ここが禁煙になったなんて聞いた覚えないぜ」
義手サイバシの男は、三つ編みでまとめた総髪に、似合いもしない尖った黒眼鏡。ヒイラギのゴーグルと同じく、読めない表情で、やけに貫録たっぷりに。
「ここが、じゃない。クロツチさんの周囲十メートルが禁煙になったんだ。二週間前からの話だ。シティじゃ知らないということが命取りになるとも限らん。覚えておくんだな――便利屋」
カウンター席。固い木製の丸椅子。義手サイバシの背中越しに、スキンヘッドの大男がじろりと視線を寄越す。左の瞳を覆うのは望遠カメラにも似たレンズ。ソイツがサカキの顔を捉えるように不規則に動く。
サカキの溜息。さめざめと。しかし、掻き消される――ギターの旋律に。
しょっぱなからのチョーキング。
やがて叩き鳴らされる鍵盤。
響くウッドベースの低音。
トランペットとサクソフォンの競演。
揃いのスーツと
時刻は夜にはまだ早い時間帯。空を覆った鈍色に、感覚も麻痺しがち。とはいえ、夕刻は夕刻。営業開始にゃ早い頃合い。さりとて、本番さながらの温度と音頭。
バー、『ヴァルハラ』。ここいらの連中には馴染みの安酒場。
準備運動にも似たテーマの演奏はやがて、自由な
女のファンクな歌声に負けないよう、サカキは声を張り上げる。
「自分の禁煙、人に押し付けないで下さいよっ、クロツチの旦那!」
ずいと近づけてきた義手サイバシの顔。負けじとサカキが見据えていると、
「お前、ちょっとどいてろ」
黒眼鏡越しに、皺がれた声が聞こえた。
席を立つ義手サイバシ。その後ろから、皺がれた声にはお似合いの、皺がれたスーツ姿の中年が顔を出した。ひょろりとした体躯に猫背気味で。
「で、サカキ、今なんか言ったか?」
傍目には、イカツイ男二人に因縁でもつけられて、挟まれていたかのような中年。一見してはリストラされたサラリーマン風。徹夜明けにも似た小さな瞳が瞬いた。
ズームしっぱなしになったレンズのスキンヘッド。その隣へと、義手サイバシが引っ込む。
三人ともに揃いのスーツ姿。名刺代わり。全身にまとったその色は、『組織』の代名詞たる――黒。とはいえ上役らしきその男の衣装は、よれがひどくて一番瑣末。
再び溜息を吐いたサカキは、「なんでもないですよ」と呟いて。代わりにヒイラギがカウンターに乗り出す。
「そんでー、クロツチさぁん。オレたち何すりゃいいわけ?」
ヒイラギのゴーグルに歪んで映る姿。ムンクの叫びにも似た自分の顔に、クロツチはくつくつと笑う。
「なんでもかんでも神だ神だと煩わしい世の中で、このマチもサイバァサイバァと嘆かわしいもんだ」
お気にのゴーグルにケチをつけられ、口を尖らせる。少年のようなヒイラギ。
サイバシ男と左目レンズのスキンヘッドを後ろに置いて、クロツチは話を進める。独り言のように。そして問いに答えることもなく。
「かの〝
一人、遠い目のクロツチ。
「そういうのは別の機会に一人でやってくださいよ」サカキが頬杖をつきながら、
「まさかそんな話を聞かせるために呼び出したワケじゃないでしょう。わざわざ待合の場所を旦那んトコの息のかかってないヴァルハラにしてまで」
マチ一番の切れ者にして、『狂犬』と呼ばれていたのもいつの頃やら。今じゃそもそもそんな時代があったかどうかも怪しい――〝老いぼれ犬〟。
先を促すサカキに向けて、〝老いぼれ犬〟のクロツチは再びくつくつと笑う。それはどこか疲れたような、乾いた笑い。
「昔話に想いを馳せちまうのは、俺が年を取っちまったせいかねぇ」
「知らないスよ」半ば投げやりなサカキの返答。
それを無視して、白髪交じりの短髪を掻くクロツチは、
「なんにせよ、そんだけ暇な時代になったってことだ。人間、暇になるとロクなことをしないものさ。元々は欠損した器官を補う為の物に過ぎなかった
と。
「それは俺のことを言ってるのか」
カウンター越しに声。渋く、響く。
不自然な歩き方――右足を引きずるような。板張りの床が軋む。近づいてきたのは、浅黒い肌に総白髪の男。
カウンターを隔てて、クロツチは、
「チェカ、あんたはむしろもっとサイバァ色を強めた方がいいと思うよ。その右足、なんならウチでもっと質の良い
ふんと鳴らされる鼻。不遜な〝老いぼれ犬〟を見下ろす。経年劣化は否めない、だとして幾多の修羅場を潜り抜けてきた瞳には凄味を秘めて。
ヴァルハラのマスター――チェカロッシ。栓を抜いたビールをカウンターに瓶のままで、
「お前んトコに貸しを作るのは構わんが、借りを作るつもりはねえな」
ぶっきらぼうに話す。
「もちろん感謝してるさ、開ける前の店でダベらせてもらえて」チェカロッシへと、クロツチはどこかからかうように返す。
並んだ五本の瓶ビール。そんなやりとりを尻目に、さっさと口をつけるサカキ。ヒイラギは一息に半分以上を胃に流し込む。
置かれた茶色の瓶に目もくれないクロツチは、「さて」と呟く。
サカキは長い睫毛をそちらに向ける。やや居住まいを正す。
時間を気にするように、懐から取り出した懐中時計をクロツチは一瞥。
だが――。
「昔、ここよりさらに奥まった山中に、悪党たちが潜んでいた」
変わらずの昔話めいた口上に、堪らずサカキが「おいって」と口を挟む。
しかし、「まあ聞いときなって」クロツチはそんなサカキを半ば無視して続けた。
「その環境が大きく変わったのは、三年前の〝災禍〟発生後だ。いまだに判明しちゃいない原因、それはそれとして、だ。結果として発生した大地震と津波で、ここいらの集落は壊滅的な被害を受けた」
「そんなの知ってるって」聞き流すサカキの代わりにヒイラギが相槌を打つ。
小さく頷いたクロツチは、
「お前ら幾つになった?」
「二十二だぜ」とヒイラギ。
「じゃあ、ここにきて何年だ?」
継いだ質問に、考えるでもなく答えるヒイラギ。
「かれこれ五年だな」
「お前らが新参者でないことくらいもちろん知ってる。だとしてお前らはちゃんとマチの歴史を理解してるか?」
質問攻めのクロツチに、サカキはつまらなさそうな顔をして。
「俺らが住み着いた頃のマチは、つまりはまだマチとも呼べない小さなコミュニティに過ぎなかった。いうなりゃ隠れ里。それも産廃みたいな山中の。そして今と違って、前進たる稼業に勤しんでた五人の悪党が完全に仕切る体制だった」
その通り、とクロツチは小さな瞳を瞑ってみせる。とはいえ、徹夜明けで眠い、ともとれるような所作。
「かの〝災禍〟以降、マチはマチとして呼べる程の規模となり、統制という言葉自体がなくなった。それはそれで自由競争の社会としちゃいいこったろうがな。まあ、何が言いたいかといや、とどのつまり〝災禍〟以降、マチには変化が訪れたってこった。そいつにゃ当然メリットとデメリットが生じる。得られるモンもあったが、失われたモンもあったってこった」
そこまで饒舌に話していたクロツチは、しかし思い出したように「ああ、スマン」と呟く。
「あの〝災禍〟じゃ、お前らも失った側だったな」
言い終えたクロツチに、他意もありありにあかんべえするヒイラギ。
サカキがその間に割って入る。
「で、旦那。その〝災禍〟の『前』と『後』の話がなんだってんです?」
クロツチはふむ、と仰々しく呟いて。
「『前』か『後』か、俺が今問題にしてるのは人間の歴史。つまりはマチの『前』からの住人と、『後』からの住人にまつわる歴史についての話だ」
曲がった背を伸ばして、腰を叩く。その後でクロツチはサカキの目を見据えた。
「『前』からの悪党たちは住む場所には困っていたが、金には困っていなかった。そしてここいらで絶大な権力を有する者は、津波でやられたこの土地を持て余していた。そりゃそうだろう? 知ってて浸水想定の立ち入り禁止区域に人を住まわせていたんだからな。そしたらおのずと答えは導き出される。ウィンウィンの関係。悪党たちは住む場所を得、権力者は金を手に入れた」
「ああ、五人の悪党たちがこの土地を買ったって話でしょ」サカキが応える。
「ルールを作らないというルールをマチのルールと決めた五人の『大悪党』たち。あんたんトコのネロと、『
そのとおり、とクロツチ。
「五人と権力者の間で滞りなく契約は完了した。だからこのマチは、表向きはどうであれ、本来なら五人の大悪党の安住の地となるだけのはずだった」
「だが、『後』からの住人たちがやってきて、そうはならなかった」サカキが引き継ぐ。
「例えば米軍の『ユージン作戦』。復興支援の目的で訪れた人間の中に二心があるヤツがいないとも限らない。目端をつけてた連中は後から後から押し寄せてきた。小さいながらも港まで完備するマチ。それを悪党が運営してると聞けばなおさらの話」
「『ユージン作戦』にしても結果論だ。全部が全部それ目的ではなかったろうよ。当初は善意目的でやってきて、あれやこれやと尽くしてくれてたはずの人間が、やがてこのマチが生み出す『旨味』に気付き、そんで染まっちまったってだけの話さ」
さもなく話したクロツチ。つまりはギブミーチョコレートの見返りに過ぎない――と。しかしてその頼りない顔に覗くのは苦さの色。そのチョコレートはビターに過ぎた、とでもいうような。
「被災者の慈善活動を目的にやってきた〝シスター〟アンジェリカも元はそんな人間だった」
長い昔話の到達点。ようやく出てきた〝シスター〟アンジェリカという言葉に、聞き耳を立てる。サカキも、ビールを早々と空にしたヒイラギも。
「素養があったのか、上手くいかない慈善活動にウンザリしたのか、今となっちゃもう解らないことだが、結局〝シスター〟はこのマチへと身を堕とした。そして〝神父〟の『仕事』を手伝うようになった。〝神父〟の仕事はお前らもちろん知ってるな?」
サカキが頷く。
「マチでゴロゴロ出る死体を処理する代わりに、『寄付』と称して組織から金を巻き上げる、でしょう?」
「なんであれ、必要な仕事には変わりない」念頭に置いてクロツチは、
「なら、今じゃ〝神父〟に変わってその『葬儀』の一切合切を仕切るようになってた〝シスター〟が、『
「サカキのもそうだし」ヒイラギが言って、サカキは「俺のはバプテスマられちゃねーっての」と口答える。
そんなやりとりを尻目に、いつしか始まっていた
しばし耳を傾けた後でクロツチは、
「〝シスター〟の仕事ぶりに、〝神父〟は引退した。そしてマチを離れた」
「もう死んでるって噂だぜ」即座にヒイラギが言った。
「一年以上も音沙汰がなければまあそうなるわな。〝神父〟の行方を知る者は〝シスター〟だけ。そして〝シスター〟が〝神父〟の務めを完璧にこなせるなら、〝神父〟の存在自体が忘れ去られて当然。存在の忘却は死と同義と呼べなくもないだろうさ」
「だけど、それが良くなかった?」サカキが訊くと、クロツチはどうだかねぇ、と曖昧な返事を返す。
「良い悪いは別として、〝神父〟がいなくなると〝シスター〟は一層
「ついでに口の上手さも、でしょ」サカキが口を挟む。
「〝災禍〟の後遺症に悩める子羊たちに響かなかった説法も、ここいらの悪党共には大評判。ま、所詮はそいつだって二心が生み出した結果に過ぎないとして。なんにせよ、
≪――修道女さま有りがたかりし、アリがたかりしツラの皮――≫
「色と金が絡めば、宗教も詐欺と大差ない、か?」クロツチはからかうように、
「あれはもう神の使徒というより、金の亡者だったからな。『
「そして〝シスター〟の最後の客はアオドリだった」間髪入れずにサカキが核心を突く。
上役の話は中座。義手サイバシとズームレンズなスキンヘッドが、がたと丸椅子を鳴らして立ち上がる。巨躯。二人立ち上がると、イカツさも二割増し。
だが、それに気づきもしないようなクロツチ。口も付けない瓶をじっと見つめていた。
「あいつは才能のない男だった。つまりは悪党としての――、な」
静かな声音。それがギターのハウリングに呑みこまれていく。
イカツイ男が二人、挙動を止める。
「二年もこんな世界で生きて来られたのが奇跡と呼べるくらいに、なんの取りえもないヤツだった。だから周りの連中はヤツのことを『アホウドリ』と呼んでた。聞けば、ヤツの顔を見るたび誰ともなしに阿呆というからだという」
そこまで言ってクロツチは、サカキの顔をまじまじと見た。
「だが、それっておかしくないか? 阿呆、阿呆と鳴くのはアホウドリだが、阿呆と呼ばれるのはアホウドリじゃない」
眉間に皺を寄せて、今さらながらに考え込む。傍目には、リストラの理由をどう家族に告げようか――と悩んでいるような皺だらけの中年。その顔に向けてサカキが口を開く。
「だから、か。だから、あんたが『名前』を付けてやったのか?」
クロツチは相も変わらずくつくつと笑う。
「だっておかしいだろ。ヤツぁアホウドリじゃないんだから。だったら『アオドリ』のが良いだろ。まあ、幸せを運ぶってそいつにあやかるってのも、馬鹿な話には違いないがねぇ」
でもさ、とヒイラギ。
「そんなバカな『名前』なら『狩り』にも合わなかっただろうし、バカな名前なりに良かったのかもよ。才能がないってんならそれはそれで守られてたんじゃね。与えられた名前に。つまりさ、そいつは旦那の『
大真面目に話すヒイラギに、クロツチは「そりゃ一理ある」と愉しげに。
「『履歴』も『名前』も後付けで、欲しけりゃ奪やいいこのマチだ。確かにアオドリなんて名前欲しがるヤツぁいなかったなぁ」
そして懐かしむように言った。
皺がれた中年の感慨を見るでもなく、サカキは左耳のピアスをいじる。話に飽いたというのは誰の目にも明らかに。
やがて、
「出来の悪いのほど可愛いとはいうけれど、そんなガラじゃないでしょ、旦那。だからあいつはやってない、なんて言い出すつもりもないでしょう?」
不躾な言葉を吐く。
クロツチは小さな瞳を瞬いて、「それぁまだ解らんよ」
おいおい、とケチをつけるサカキを置き去りに、
「阿呆なりに可愛げのあるアオドリに、俺はたまに小遣いを恵んでやってた。そしてそれをどうやら馬鹿正直にコツコツ貯金なんてしてたあいつはまあ、やっぱり悪党の風上にも置けんヤツだった。それでも念願だったらしい、〝シスター〟の『
サカキはウンザリしながら、しかし繰り返してきた事実を告げる。
「アオドリが『
そしてクロツチは、「ああ、そうだな」さらりと肯定した。
サカキはクロツチの顔を覗き込むように継いだ。
「〝シスター〟を
「仕事――、か」クロツチは溜息をつく。やれやれというように。
「いいか、サカキ。すべての事実が〝シスター〟殺しをアオドリがやったと決定づけていたのだとして、すべての真実が公に
「消えたアオドリを見つけ出してケジメをつけさせろ、とでも? それならそれでマチ一番の勢力を誇る旦那んトコで探した方が話が早いでしょ」
「すべて、だと言ったはずだ」クロツチの呑気な声。だが小さな瞳に映る眼光は鋭く、
「お前らが探し出さなきゃいけないのはアオドリだけじゃない。〝シスター〟が殺されて以降、行方を眩ました〝
しっとりとした曲調に変わる楽団の演奏に、しかし店内を侵していくのは不穏な空気。固い木の椅子が、なおさら居心地を悪くする。
そんな張りつめた一瞬間に、「マスター、ギムレット」ことさら明るい声。ビードロの傘に灯り始めた明かり、乳白色。それをゴーグルに反射させてヒイラギが注文していた。
「まだ開店前だ」チェカロッシが不愛想に言い、「だってビール出してくれたじゃーん」ヒイラギが返す。
「それはあくまで俺の善意だ。営業外こそゆえのサービスだ」
「いーじゃん、オレはーマスターのギムレットが飲みたーいのーよー」
チェカロッシとヒイラギのどうでもいいやりとりに、だがしかし不穏な空気が晴れていく。その中で、クロツチが口を開いた。
「まあね、お前の道理も解るさサカキ。だがな、思いとは裏腹に世の中ってのは面倒に出来てるんだよ。数にかまけて得られた真実なんて、実際本当のところなんて解らないのさ。おっかない顔つきとサイバァつきの連中を野に放ったとして、入り混じりすぎた視点と暴力で脚色された真実なんて、そいつは本当のところで真実じゃないのさ」
「だから俺たちだと?」
サカキの問いに、クロツチは皺の寄った小さな瞳を瞬かせる。
「見てみろ、おじさんなんてこんな人の好さそうな顔をしてるってのに、肩書と始終張り付いてる強面共のせいで、結局はみんな口を
室内灯の乳白色を受けて、オモチャのピアスが赤く煌めいた。
やがて、サカキはメンソールを取り出す。片手で器用にブックマッチを着火。
サイバシとレンズ――サイバァつきの大男が動こうとした瞬間、クロツチが待てをかける。
「知ってるかサカキ。タバコってのは副流煙のが体には悪いらしい。とはいえ、だ。健康なんぞに気を遣うようになったってのは、俺が年を取っちまったせいなのかねぇ」
うまそうに煙を吐くサカキはやはり、「知らないスよ」と返す。
小さな瞳を細めるクロツチは、
「真実は真実として、この件はもうすぐ終わる――」
やがて昇る紫煙を目で追う。そして、継いだ。
「――〝神父〟はもうじきマチに帰って来る」
サカキが目を剥く。
「〝神父〟の行方は〝シスター〟だけが知ってたはずじゃ……」
「かつての盟友とはいえ、ここまで所帯がでかくなっちまった大悪党たちだ。その足並みはもうてんでを向いてるのさ。情報や根回しはお互いだけの機密。そんな中、マチを離れた〝神父〟と接点をネロファミリーは持ち続けていた。そいつは〝シスター〟も知らない、ファミリーと〝神父〟だけの秘密。そして〝シスター〟自身が救われちまったって話は、既に〝神父〟へと伝えてある。不承不承には違いないだろうが、〝神父〟は返り咲くってこった」
サカキの目をじっと見つめてクロツチは締めくくる。
「いいか、サカキ。これは言うなれば切り札だ。このマチで唯一お前らが知り得た情報、その切り札こそがおそらく真実を真実として丸く収めてくれるはずだ」
と。
「クロツチさぁん、切り札ってのは切らないからこそに切り札のはずだぜ」
ギムレット片手に陽気な声でヒイラギ。
締めの言葉を汚されて、この日初めてクロツチは苦笑う。「そいつもまた一理あるな」
その後で取り出した懐中時計を再び眺めて、
「ここは俺の奢りだ。めいいっぱい飲んで、めいいっぱい仕事に励んでくれることを祈ってるよ」
クロツチが席を立つ。大男二人も後に続いた。
人の入りが目立ち始めた店内に、開店の合図のようにトランペットが吹き鳴らされる。
「って言ってんだから、飲まなきゃ損だぜ、サカキ」
クロツチの消えたスイングドアの奥、帳の降り始めた宵の色を見つめていたサカキは、ヒイラギの声に我に返る。
カウンターに視線を戻すと、卓上には、皿にてんこ盛りの――ピーナッツ。酒のツマミにゃイマイチの。
一瞥して溜息まじりに見上げると、ヒイラギはすでに二杯目のギムレットを空にする。
店内には、異物をあちこちに付けた面々がずらり。ビードロのぼんやりした明かりに照らされて、まるで異形の展覧会。トンボに、カマキリに、バッタ。どこか虫を連想させるサイバァな
虫たちは視線を投げる。ベースのウッドに蜜でも求めるように。
震わせる羽音を先導するのは女の歌声。異形をした者たちの芯に響くミュージカ。ソイツは国境を、種を超えるらしい。
カンカン帽と揃いの
その中で、サカキは短くなったタバコを灰皿に押し付けながら、
「マスター、梅酒ロックで」
ややあって、
「あと、紙となんか書くモンも貸してくれ」付け足した。
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