化け物バックパッカー、花畑にとっての花粉になる。
オロボ46
対策は必要だ。どんな対策が必要なのかを知るには、経験が必要だ。
暗闇に包まれていたテントの中が、シルエットが見える程度に明るくなった。
テントの中には、ふたつの人影がある。
うずくまる人影。そして、寝袋に身を包んでいる人影。
人影の側には、それぞれバックパックのようなものが置かれていた。
寝袋に包んだ人影が起き上がった。
その人影は寝袋から下半身を出さずに、大きく口を開ける。
何かが出そうで、何かが出ない。
その何かを出すために、人影は大きく息を吸った。
「ばくじっ!!」
大きなくしゃみに、うずくまっていた人影は跳び跳ねた。
まぶたから、触覚を出すほどに。
「坂春サン、ドウシタノ!?」
触覚を出した人影は、寝袋の人影に向かって奇妙な声を出した。驚いて声が奇妙になったのではなく、元からこのような声のようだ。
「あ、ああ……なんだか鼻が……」
寝袋の人影は鼻声で答え、「ばぐじっ!!」と再びくしゃみをする。
その様子を見ているかのように、触覚の人影はその触覚を出し入れしていた。
「モシカシテ……風邪ヒイタ?」
「いや、寒気もしなければ頭痛もしない。違和感があるのは鼻だけだから……花粉症だな」
テントの中を、ゴソゴソと何かを探す音が響く。ティッシュでも探しているのだろうか。
「ア、ソウイエバ坂春サンノ目……真ッ赤ッカ」
色を判断できない暗闇であるにも関わらず、触覚の人影は納得したように寝袋の人影を指差した。
「まいったな……今まで花粉症なんてかかったことがないから、薬は全然持っていないぞ……ばくじっ!! いかんいかん、早く街にいって花粉症の薬を買わなくては」
モゾモゾと寝袋を脱ぐ音が聞こえてくる。
その間に、触覚の人影は衣服のフードで触覚を隠し、テントの入り口に手を伸ばした。
「ネエ、“
差し込む光の中、影のように黒い指の先にある鋭い爪が、テントの外を指さした。
テントの周りには、花で埋め尽くされていた。
紫色の花は、来た道すらも覆い隠すように咲いていた。
ただ、テントが設置されている部分を除いて。
「……いきなり鼻がかゆくなったのはこのせいか? いや、それでもいきなり花粉症になる理由とは考えられないな」
黒い手を差し置いて出てきたのは、老人だ。
この老人、顔が怖い。目が赤くなって余計に怖い。
派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドというファッションは、この花畑の中でも目立っていた。
先ほどまで黒い指を指していた人物は、黒いローブを着込んでいた。
先ほどまで出していた触覚は、顔を隠すフードのおかげで見当たらない。その体形は女性に近かいが、しぐさは少女のようにも感じられる。
「ソレニ、昨日マデハコノ辺リッテ……タダノ草原ダッタヨネ?」
ローブの少女に確認され、“坂春”と呼ばれた老人は考えるようにうなずいた――
「ばくじっ!!」
――と見せかけて、くしゃみをする。
「どちらにしても、花粉症という異常事態になっている俺から見てみると、早くここを立ち去りたいものだがな」
ふたりはそれぞれ自分のバックパックを背負うと、花畑の中でテントをたたみ始めた。
マスクを付けた坂春がくしゃみをするごとに、ローブの少女は心配するように坂春を見つめる。
そのテントから少し離れた場所に、もう1人の人影があった。
花粉対策のマスクに保護メガネを付けた女性だ。
女性はテントに目を向けると、首をかしげながら近づいてきた。
「ちょっと君たち、こんなところでなぜテントを張っているんだ?」
声をかけられたふたりは、一斉に女性の顔を見た。
「……俺も花畑にテントを張ったつもりではない。信じてもらえないと思うが、昨日はなかった花畑が朝に広がっていたんだ」
坂春が答えると女性は目を丸くする。
「あそこの看板は見なかったのかい?」
「いいや、そんなものはなかったぞ」
女性は考え込むようにマスクに手を当てたが、「あ、そっか」と何かを思いだしたように手をたたいた。
「立ち入り禁止だったのか?」
「ま、まあね。でも看板が見なかったのは仕方ないよ。なんせふっと……ゲフン、ちょっとした理由でのけていたからね」
訂正した言葉に、ローブの少女は首をかしげる。坂春は気にせず次の質問に写る。
「その言い方だと、この辺りに済んでいるのか?」
「ああ。昔から住んでいるわけじゃないけど、この花の調査でね」
「ということは、この辺りに住んでいる……」
そこまで言いかけて、またしても「ばくじっ!」とくしゃみをしてしまった。
「……もしかして、花粉症?」
「その通りだ。なあ、この辺りにコンビニはあるか?」
女性はしばらく考えこむようにマスクに口を当て、うなずいた。
「コンビニはないけど……私の家に薬がある。すぐ近くだからよってくれ」
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