第444話 塩がない

 1日の塩分摂取量の目安は成人男性で7.5gで、女性ならば6.5g。

それは日本という減塩が健康に良いという考え方の、しかも塩が簡単に手に入る国での話。

異世界であるここではどうかというと、異世界の住人はほとんどが日本での目安量なんか摂取出来ていない。

理由は簡単。塩が貴重だからだ。


 よくラノベで一般庶民が薄い塩味のほとんどお湯のスープを食している描写があるが、それこそまさに塩が貴重で庶民には手に入らないからなのだ。

干肉からの塩分を利用するのは、それしかないからではなく、勿体ないからだったりする。


 この異世界で塩といえば、岩塩か海塩になる。

海塩はにがりの分離技術が無いと雑味が多く美味しくない。

だが、ここは魔法のある世界であり、錬金術師が簡単に塩を分離してしまう。

なので、ディンチェスターの街でも白くサラサラの塩を購入することが出来た。

ただ、沿岸部から運ぶ費用がかかり良質の岩塩の倍ぐらいするため、市民レベルだとあまり使われていない。


 そして、アーケランドには海が無い。

海塩は海に面した国土を持つ他国に握られた戦略物資だった。

アーケランドは、海塩の輸入ルートである隣国エール王国や農業国と戦争状態なため、海塩の入手は現実的ではなさそうだ。


 となるとこの地アーケランドでは岩塩を入手するのが現実的か。

岩塩は石を含むために不純物を取り除かねばならないので、値段や味の方は様々である。

塩といっても日本での純粋な塩化ナトリウムとはいかないので、味は不純物次第となる。

そのため、旨味を含むピンク塩なんてものもあるのだ。


 そんな貴重な岩塩の採掘は、アーケランド王家が独占した専売事業となっていた。

つまり、正統アーケランド軍には、直ぐに大量の岩塩を手に入れる伝手が無かった。


 カドハチも市場に流通している塩を買い漁るしかない。

だが、それをしてしまうと市民が困る。

塩が入手困難になり、価格が高騰してしまうからだ。

さすがにこれは悪手だな。


「塩ならば我が皇国でも算出しておる」


 サダヒサが皇国に塩があると言ってきた。


「え?」


 俺はつい驚きの声をあげてしまった。

なぜならば、皇国は北方の地にあり、そこは山岳地帯に閉ざされているからだ。

たしかにずっと北上すれば海があるかもしれないが、峻険な山々がそこまでの進出を阻んでいる。

まあ、確かに山から岩塩が出ても不思議ではないが、その山々は万年雪に閉ざされ、どう見ても採掘が可能とは思えなかった。


「塩泉が湧いているのだ」


 塩泉とは塩分を含んだ泉だ。

海岸地帯で井戸を掘ると、塩味を含んだ地下水が出る。

真水が欲しいのに、厄介者となる場合がほとんどだ。

だがそれは海が近いからであって、山岳地帯で出るとなるとそれは話が別だ。

たまたま地下に岩塩帯があり、たまたまそこに接した水に塩が溶けて、たまたま塩水の泉となって地上に湧いた有難い泉なのだ。


「その塩泉が湖をなし、日の光で水分が蒸発し、塩がとれるのである」


 あの有名なウユニ塩湖みたいなものか。

あそこは海が干上がったパターンだが、見た目は同じ感じだろう。

むしろ、地下から塩泉が湧き続けている方が、採取し続けても塩が枯れないので有利かもしれない。


「あ、その過程でにがりも分離されてるのか」


 にがりは、塩をじっくり結晶化させることで分離できる。

だから海水を煮詰めただけではにがりが残って美味しくないのだ。

岩塩は、それこそ塩の結晶だ。

それが溶け出したものならば、にがり成分が元々少ないのではないだろうか。

それも魔法で強制的にではなく、自然の力で分離される。

良い事尽くめかよ。


「その塩は手に入れられるのか?」


 俺が期待の目でサダヒサを見つめると、サダヒサは大きく頭を横に振った。


「直ぐには無理だ。

補給路を魔物の氾濫でやられておる。

皇国まで行けば問題ないのであるが」


「だめじゃん!」


 皇国までは陽菜クロエの転移も、俺の転移モドキも使えない。

誰かが取りに行くにしても、現実的ではない。


 5万人分の塩。

この世界では摂取量が少ないとはいえ、塩はある程度絶対に必要なものだ。

それにより寿命まで縮めている可能性がある。

さすがに1人1日5gはいるだろう。日本の減塩基準ならば7gは欲しい。

5gでも5万人ならば、1日250kg。7gならば350kgだ。

干肉の塩分はどれぐらい含まれているのだろうか?

そもそも干肉の在庫があるのか?


 そのタンパク質補給に巨大マグロを使おうというのだ。

それは干肉のように塩漬けではない。


「あー、マグロの血をもらっておけば良かったですわ」


 みどりさんが、ドラゴンたちが平らげた巨大マグロの痕跡を見て声を上げる。

そこには血だまりが出来ていた。


「たしかに血抜きもしないで丸ごとあげたからな。

わかっていれば先にみどりさんに吸わせてたのに」


 体長10mの巨大マグロの血液はそれなりに量がある。


「あれ? 血って塩分あったよね?」


 錬金術で海水から塩分を分離出来るならば、血液からだって出来て当然だろう。


「巨大マグロの血液から塩分がとれるんじゃ?」


 血液の塩分濃度は海水の1/3から1/4ぐらいだと言う。

これは生命が海から生まれたことに由来していて、太古の海の塩分濃度を体内に維持しているのだという。

なぜ今の海水の方が塩分濃度が高いのかというと、時間経過により地下から徐々に塩分が溶けだしたかららしい。

だから太平洋と大西洋では淡水の流入量の違いもあって塩分濃度が違っていたりする。


「わたくしも吸血には塩分を必要としていませんわ。

植物に塩は害ですもの」


 たしかに。農作物が塩害にやられたって聞くよね。

そうだったのか!

いけるぞ。


「ならば、翼竜が運んで来る魔物の血から塩抜いても良い?」


「かまいませんわ」


 まさかこんなところから塩を得られるようになるとは……。

俺が錬金術を使えたことも幸運だったな。


 そういえば、塩分不足を補うために、血を使った料理って世界には結構あるんだよな。

そのまま生で飲んだり、スープに投入したり、ソーセージにしたり。

あれは塩分と同時に鉄分も補給するためだろうか。


 良かった。最悪俺が転移モドキを使って農業国まで仕入れに行こうかと思ったぞ。

あまりここを不在にしたくないんだけど、それしか手段が無ければやるしかなかった。

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