魔本司書ヴィオラの日常

鳩藍@2023/12/28デビュー作発売

魔本司書ヴィオラの日常

 

 魔本司書ヴィオラの朝は、食料を調達しに図書館の中庭へ向かう事から始まる。


 図書館の中庭に設置されている飼育小屋から卵を失敬。家庭菜園の野菜とハーブ、軒下に吊るして干して置いたキノコをいくつか。果樹園は昼に来るのでここではスルー。

 収穫物をいったん厨房において、外に仕掛けて置いた罠の確認。ツノウサギを三羽も手に入れられたので、今日の晩御飯はちょっと贅沢にしようと決める。


 外でツノウサギの肉を処理した後、簡易厨房に立った彼女は竈に火を入れ、朝食の準備の為に『同僚』を呼び出した。


「『百選』ちゃーん!」


 厨房の本棚から、使い込まれた一冊の本がヴィオラの声に応じて抜け出す。フワフワと宙を舞い、彼女の前までやって来て目の高さで制止した。


 本の表紙には『初心者でも簡単! お料理レシピ百選』とある。


「肉とキノコのスープの頁を開いてちょうだい」


 宙に浮いたままの本は、触れてもいないのに勝手に頁が捲れ、ヴィオラの指示通りの頁を開く。

 ヴィオラは本に書かれた手順どおりまず鍋に水を入れて火にかけ、ハーブで肉の臭みを取り、ひと口大に切ったキノコ・野菜と共に煮込んでいく。


「野菜オムレツの頁を開いてちょうだい」


 スープを煮込んでいる間に、ヴィオラはオムレツを作り始める。これまた本の手順通りに色とりどりの野菜を刻み、解いた卵と混ぜて塩を振り、油を敷いたフライパンで焼いていく。


 オムレツとスープ、堅焼きパンをテーブルの上に配膳。食後のお茶用にケトルに水を入れて竈の上に放置。


「命の糧に感謝を」


 簡単な祈りを捧げ、いざ実食。卵のコクと野菜の甘さが塩で上手い事引き締められた少し固めのオムレツに、ウサギ肉とセロリがホロホロに煮込まれ、脂と混ざったキノコの深い味わいが広がるスープ。


「ん~美味し~。流石わたし、何百年も作ってるだけあるわあ」


 堅焼きパンをスープに浸してふやかしながら、自分で作った料理を自画自賛していると、『初心者でも簡単! お料理レシピ百選』が彼女の横でパタパタと表紙を開け閉めする。


「ゴメンゴメン、『百選』ちゃんのおかげでもあるわ。いつもありがとうね」


 魔本『初心者でも簡単! お料理レシピ百選』――通称『百選』ちゃんは、胸を張るように自分の本体を後ろに傾けた。


「今日はツノウサギが三羽も獲れたから、晩御飯はちょっと豪勢にしたいの。おすすめは何かしら?」


『百選』はヴィオラの言葉に応えるように、パラパラと頁をめくる。香草焼、シチュー、ステーキなど色々な頁を見ながら、食後のミントティーを飲みつつ晩の献立を考える。


「――ありがとう『百選』ちゃん、また晩もよろしくね」


 献立が決まると『百選』はフヨフヨと浮いて、定位置に戻った。

『魔本』とは、意思を持った本たちの総称である。『百選』のような単なる(?)料理本もあれば、呼んだものに知識を授ける本、自分の意思で魔法を使う本もある。

 古参の本などは念話を使えたりもするので、誰も立ち入らない図書館でも、ヴィオラは話し相手には困らなかった。


 朝食を終え、いよいよ魔本たちのいる蔵書スペースに向かう。


 壁一面に整然と並ぶ本、本、本。

 室内の本棚に隙間なく詰められ、盗難防止に鎖でつながれた本、本、本。

 数千冊にも及ぶ魔本たちが、圧倒的な存在感を放っていた。


「おはよう、みんな」


 ヴィオラが声を掛けると、魔本たちは一斉にカタカタと小刻みに揺れる。


『おはようヴィオラ女史。今日も息災で何よりだ』

「おはようございます、『大全』先生」


 ヴィオラが『大全』先生と呼んだ魔本――『魔本管理大全』が念話を飛ばしてくる。彼女にとって『大全』は、魔本司書として赴任した当時から頭が上がらない師匠のような存在だった。


『今日も虫干しの続きかね?』

「はい。今日はB1155番の棚までのみんなを干そうかと」


 『大全』と話しながら、ヴィオラは中庭に続くドアを解放。そして梯子を使って目当ての棚に上る。

 彼女は棚の前で鍵束を取り出し、魔本たちに告げた。


「さあ、解錠した方から順番に中庭に行ってくださいね」


 彼女は鍵束から真鍮の鍵を選んで、盗難防止の鎖の錠に差し込んで回す。鎖から解放された本はフワリと飛んで、先程開け放ったドアから中庭へ飛んでいった。

 次から次へと本たちが飛び出し、最後の本が外に出たのを確認し、彼女は魔法で掃除道具を呼び出した。


 口元を布で覆い、上の棚から順番にはたきをかけていく。この本棚には魔本を保管するための特殊な術式が使われており、食器の時のように魔法でキレイにする事が出来ないのだ。なので、掃除は必然的に手作業になる。


『ヴィオラさん、森鶏もりにわとりの卵はいかがでしたか?』

「『魔獣の生態と飼育』さん、今日は野菜と一緒にオムレツにしたの。美味しかったわ!」

『それは何より。晩御飯は何にするご予定ですか?』

「ツノウサギが獲れたから、香草焼を作ろうと思って。シチューも考えたけど、鍋物は一人じゃ食べきれないからねえ。余ったお肉は干すか燻すか考え中」


 魔本と時折雑談にふけりながら、空いた棚をすべて乾拭きした所でお昼の時間になった。ヴィオラは梯子を降りて、本たちが居る中庭へ向かう。


 中庭の上には模造太陽が設置されており、常に程よい日光を庭全体に降り注がせる。宙に浮いた無数の本たちは、銘々に頁を開いて日光浴を楽しんでいた。


 ヴィオラは果樹園から林檎を一つもいで、隅に置いた椅子に腰かける。


「命の糧に感謝を」


 祈りを済ませ、魔法で綺麗にしてから思い切って丸かじり。甘みと仄かな酸味が口いっぱいに広がって、爽やかな香りが鼻を抜ける。


『よお、相変わらず美味そうに食うじゃねーの』

「『農業百科』さん、こんにちは。あなたのおかげよ」

『いやいや、嬢ちゃんがキチンと面倒見てるからさ。俺らも畑も、人の手がなきゃすぐに荒れちまうからな』

「そうねえ……」


 虫干しに参加していた『農業百科』の言葉に、ヴィオラは庭に浮かぶ本たちを見つめる。


「私以外の人にも読んでもらうのが、一番いいんだろうけどねえ」


 およそ五百年前、邪竜の復活によって文明が一度滅び、都市ごと地下深くに沈んでしまったこの魔本図書館を訪れる者はいない。


 本来ならば魔術師や賢者と言った探求の徒によって、あるいは暮らしに必要な知識を得たい民たちによって、彼らは手に取られ、読まれるべきだった。


 幸か不幸か、魔本を保護するために建物と土地全体が強力な結界に守られていたおかげで、地下に落ちても無事ではあったが、彼らは以降、読者に巡り会う機会を永遠に失ってしまったと言っていい。


『なあに、嬢ちゃんが読んでくれれば俺らは十分報われらあ!』


 『農業百科』がそう言うと、周りの本たちも同意するように動き出す。何冊かの本がクルクルとヴィオラの周りを旋回し、周りの本たちと共にハートマークを作る本たちもいた。


 彼らは優しい。だからこそヴィオラは、みんなに報いたいという思いが強い。


 この図書館が地下に沈んだ時、ヴィオラは『魔本管理大全』と契約を交わし不死となった。

 不死の身体を維持するために食事が必要だったので、魔本たちの知識と力を借りて模造太陽を作り、畑を耕し、罠の仕掛け方や肉の捌き方を学んだ。


 今の暮らしは全て、魔本たちがあってのもの。


 そして、五百年と言う長い年月で孤独に押しつぶされずにいるのも、魔本たちが話し相手となり、彼らに綴られた多くの物語に心を救われてきたからだ。


 だが、地下深くに沈んでしまったこの場所まで、来館者を迎える事は出来なかった。

 敷地の中に小型の魔獣が繁殖しているので、どこかに出入り口はあるのかもしれないが、彼女は『大全』との契約によって、魔本図書館の敷地内から出られなかった。


 だから魔本たちに、ヴィオラはいつ何時もこう言う事にしていた。


「――ありがとうね、みんな」


 ヴィオラは本たちに礼を言うと、林檎を食べ終え、虫干しの終わった本たちを引きつれて戻ろうとした時だった。


『ヴィオラ女史、大変だ、大変だよ!』

「『大全』先生? どうなさったんですかそんなに慌てて」


 日頃おだやかな『大全』が、この五百年で聞いた事もないような声で念話を飛ばしてきた。


『ヴィオラ女史、それに他の魔本たちも落ち着いて聞きなさい……来館者だ』


 ヴィオラも、周りの本たちも、驚きのあまり声が出なかった。


「ほ、本当ですか先生。来館者……来館者ですって!!」


 ヴィオラは居ても立っても居られず、中庭の扉から蔵書スペースへ飛び込む。


 そして五百年もの間、自分以外に開かれなかった正面扉の前に、一人の青年がいるのを見つけた。


 ヴィオラに気付かずきょろきょろと落ち着きなく周りを見渡す青年の服は土ぼこりで汚れ、あちこちが傷だらけだ。


「……ね、ねえあなた、大丈夫?」


 五百年ぶりに人に声を掛けたヴィオラの声が震えていたのは無理もなかった。青年はヴィオラに気付くと、目を見開いて彼女に駆け寄った。


「す、すみません! ここは『ヴィブリオ国立魔本図書館』で合っていますか!?」

「は、はい! あの、館内ではお静かに……」

「や……や……やったぞーーー! 伝説を見つけたーーー!」


 青年は両手を挙げて歓喜の声をあげたかと思うと、そのまま床に倒れて気を失った。


「ちょ、ちょっと? しっかりしてえ!?」


 こうして、ヴィオラは実に五百年ぶりの来館者を何とも騒々しい形で迎える事となった。


 ヴィオラに介抱され、晩御飯にたっぷりのシチューを振る舞われた青年は『冒険者』と呼ばれる人間で、国の依頼を受けて地下に沈んだこの図書館を探しに来たのだった。


 彼が冒険者ギルドに情報を持ち帰った事で、『五百年前に消え去った伝説の魔本図書館』の実在が証明され、魔本たちが本物の陽の下で、多くの読者に出会えるようになるのは、もう少し先の話である。


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