魔王国衰滅記──勇者の侵攻に起因する魔王国の混乱と衰退について──

奏條ハレカズ

勇者越境

越境の空 一

 魔王国軍騎竜兵中尉まおうこくぐんきりゅうへいちゅういであるヤーゼフ・シルヴィウスがその村の近くにいたのは、たまたまであった。

 厩舎に繋がれた軍飛竜の運動不足を避けるための週に一度の偵察(という名目の散歩)に新入りの兵を二人ばかり連れて出ていたのである。

 ヤーゼフたちが所属する第三辺境衛隊だいさんへんきょうえいたいの第一騎竜兵中隊。その本部より南に数レーグ(一レーグは一〇〇〇リーグである)に位置する国境空域付近の村、ヴァジマーリ。

 優雅に両翼を広げ旋回する飛竜の下で、その惨劇は起きていた。

 振るわれた槍斧そうふは、半固形の物質で構成された人型──粘体族スライムの青年を腰斬ようざんした。

 辺りには、先程まで畑を耕していたものがゼリー状の肥料となり散乱している。

 それは紛れもない虐殺の現場であった。

 ヤーゼフは顔から血の気が引くのを感じ取る。

 同じ魔族が殺されているという事実にではない。

 それを行っている襲撃者、その筆頭らしき青年の羽織った外套には、ヒト国のやんごとなき紋章、王室紋が刻まれているという事実が何を意味するかを理解してしまったのだ。

 しかし彼の士官としての理性は彼が恐怖に支配されることを許容しなかった。血色の失われた顔のまま、ヤーゼフは自身の後方を随伴飛行する部下に尋ねる。

「おい、確認だ。あれがヒトにみえるか?」

 それは確認というより、ヒト国からの襲撃であることの認識共有に近かった。

「はい。はい、中尉殿!あれはヒトです。ヒトがスライムを殺してます!」

 兵の声はひきつっていた。無理もない。田舎で育ったわけではない彼では、ヒトが魔族を殺すさまなど見たことあるはずもないのだから。

 しかしそんな配慮などしている場合ではない。ヤーゼフは固まった表情を微塵も変化させずに命令を下す。それを可能にしたのは、まったく魔王国の士官教育の賜物だった。

「ヘルゼル一等兵、雑嚢ざつのうに入ってる雑記帳に襲撃者の人数、装備を可能な範囲で記録せよ」

「り、了解。ええと、剣士が一、戦士らしきが二、術師が一、計四人。装備は──」

 さて、どうすればいいのか。ヤーゼフは思案した。

 ヒトが魔族を殺す、という状況はけして珍しいものではない。ヒトの賊に親を殺された子供など、探せばすぐに見つかるだろう。

 問題は、眼下にて粘体族たちを殺戮している青年たちが恐らくヒトの王の勅命を受けているということだ。

 ひいては外交問題、悪ければ紛争に発展しかねない事態だ。早急な対応を行わなければならない。

 事件が起こったのが国内であるからには、動くべきは軍より先に警務署だ。

 中隊本部に帰還し上官に報告、そこから軍より警務署に通報する。最寄りの管区警務署を脳内で検索しつつ、同時に愚痴も心中にこぼす。

 こんな場合──最悪ヒト国からの武力攻撃の可能性も考えなければならない状況──だというのに、対応するには『所定の手順』を踏まなければならない。軍隊はどこまでいっても国家機関。お役所的呪縛からは逃れられないのだ。

「記録、完了しました!」

「よし、全速力を以て中隊本部へ帰還する。吹き飛ばされるな──」

 中隊本部へ進路を向けようと手綱を握った瞬間、兵竜一体となった悲鳴が聞こえた。

 振り向けば、地上より放たれた鋭弾術式えいだんじゅつしきがもう一人の兵──グレナデス一等兵の下腿部を飛竜の腹ごと貫いていた。

 襲撃者どもに発見されたのである。

「くそっ、グレナデス!」

ヤーゼフは揚力を失った竜からとっさにグレナデスを引き離し、自分の飛竜に乗せる。

 グレナデスの飛竜は頭から大地と抱擁を交わし、ごきりという不気味な音を発した後動きを止めた。

 地上の術師は、第二弾を放とうと詠唱を開始していた。

 襲撃者一行は、飛竜を一頭墜としたことによりかなりの自身をつけたようだった。

 ただ撤退したところで、二〇〇リーグある鋭弾術式の射程圏からは逃れられない。どうにか奴らの行動を一瞬でも鈍らせる必要がある。

 ヤーゼフは背中に担いだ銃杖じゅうじょう──歩兵のものと比べて若干短縮されている──に手をかけた。

「ヘルゼル一等兵、射撃用意。一発食らわせた後全速離脱する」

「了解」

「無理に当てなくともかまわん。射撃は小官のそれに続け」

 銃杖を構え、激発室に魔力を充填すると同時に大まかな照準をつける。

 もとより騎射のためそこまでの精度は期待できないが、付近の土でも巻き上げて襲撃者どもが怯んでくれるならそれでよい。

 銃杖の激発準備が完了したのは、術師が詠唱を完了させるよりも二秒ほど早かった。

「撃て!」

射撃術式が銃杖先端の宝玉部より発射されると、ヤーゼフらはその着弾を見届ける前に移動を開始した。

 耳元を切る風音に混じり、ドンという着弾音、続いて巻き上げられた土の雨が降る音が聞こえた。

 射撃術式を通常弾ではなく着弾が少々派手な曳光炸裂弾えいこうさくれつだんを使用したのは正解だったのだろう。背後から鋭弾術式が飛んでくることはなかった。

 ともあれ、急がなければならない。ヤーゼフはこれから起こるであろうことが、きっとろくでもないということを確信していた。


 この世界において、文明の火を獲得した生物は『人間』と称される。『人間』は、大きく二つに分類される。

 猿人より進化した『ヒト』と、それ以外の人型二足歩行文明生物である『魔族』だ。

 これらの人間は、その歴史においてそれぞれ集団を形成し、いつしか国家を獲得した。

 問題は、“形成された国家がすぐ隣り合っている隣国同士”ということだ。

 これが『天より高き、雷鳴轟く山脈を隔てて──』と云われるのであればまた話は変わったのだろうが、ヒトと魔族はうまいこと付き合っていかなければならないお隣さんとなってしまった。

 隣国ということ、ヒトと魔族の生物学的、社会学的差異、そして歴史的経緯を考えれば、そこに紛争が絶えないのは想像に難くない。

 しかしそんな両国がこの二〇年大きな衝突、つまり国際法という喧嘩のルールに規定された『正式な戦争』を起こしてないという事実は、特筆されて然るべきである。

 これは一八二六年に即位した魔王、グレゴリウスに依るところが大きい。

 グレゴリウス王は、魔王国で初めて“世襲ではなく選挙によって選ばれた魔王”である。

 各部族(部族といっても、実質的には行政単位に近い。)の長による推薦と投票で選ばれたこの猫人びょうじんの即位を以て、『近代』の始まりとする歴史学者も多い。

 とにかく、グレゴリウス王の治世は良い時代であった。なにしろ当時を知る者は口を揃えてこう言うのだ。

「あれこそが、魔王国の黄金の時代であった」と。

 これは、そんな賢王の治める魔王国が勇者の侵攻に混乱し、いかに衰退していったかという物語である。

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