用務員さん

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用務員さん

 高校三年生、受験生の冬。

 雪の降り出しそうな空は真っ暗で、クラスに残る生徒は私を含めて4人しかいなかった。ほんの30分前まで、居残り練習に励んでいた吹奏楽部員の声がチラホラ聞こえていたが、もう皆帰ってしまったようだ。

 時刻は20時を過ぎていた。1月のこの時間はこんなに暗いのかと改めて窓の外を眺める。あともう少しだけ過去問を解いたら帰ろう。そう決めて、次に机から顔を上げた時には、残って勉強をしていた他の3人の姿ももうそこにはなかった。

 

 最後に校舎を出る生徒は廊下やトイレの電気を全て消して帰るのがお約束だ。校舎の鍵は17時には全て閉まっていて、居残っている生徒のために南校舎の一階にある玄関の鍵だけが開いている。私のクラスは3年1組で北校舎の3階にあり、南校舎の1階にある玄関はちょうど対角線上に位置していた。7組まで長い廊下を歩いて突き当たりで左に曲がるとこれまた長い渡り廊下がある。南校舎まで続く暗い廊下を歩いてそのまま図書室を通り過ぎると左手側に1階まで続く階段がある。階段を降りると今度は正面に小さな玄関、左側に教務職員室があって扉の前に立て掛けられてあるボードに鍵を引っ掛けて返す。そのまま職員室から見て右側に伸びる廊下を少し歩くと事務室と大きめの玄関があり、この玄関はずっと鍵が開いている。長い道のりだが頑張って歩くしかない。この学校は新しい学校だが、夜の闇に包まれた校舎は不気味な雰囲気を漂わせていて少し怖い。だから最後の1人にならないようにいつも気をつけてたのに……。特にこの渡り廊下なんて不気味でしかない。月明かりが青白く廊下を照らして自分の足音が耳元で聞こえるのではないかと思えるほどの静寂。

 

 1階の教務職員室で鍵を返そうと扉に近寄った時、すりガラスの窓の向こうに人影が見えた気がして身体が強張る。真っ暗なのに、なんで。人影が近づく。ガラッと大きな音を立てて扉が開いた。

「何してるの?こんな遅い時間に」

そう言ってにこにこと笑う気さくな男の人は中庭でよく見かける用務員さんと同じ制服を着ている。私はホッとして答える。残って勉強してたの。そうか偉いなぁと笑う彼は優しそうで背の高い40代くらいに見えた。ネームのところに鈴木と書かれてある。

「寒いなぁ、カイロ背中に貼ってたんだけどね。こんなに寒くて冷たいと、意味ないんだ。」

冷えちゃうなぁと困ったように笑うその人にカイロ持ってますよ、あげましょうかとスカートのポケットに手を突っ込んで気が付く。


 あれ?私家の鍵……忘れた?落とした?


 いつも制服のスカートのポケットに入れてある家の鍵が入っていない。ひんやりとした重みがない。胸ポケットに入れていた時はよく落としたが、スカートのポケットに入れていて落とすことなんてあり得ない。大きめのキーホルダーだって付けている。落としたら必ず気がつくはずだ。カイロは落ちてないんだから。教室に忘れたんだろうか。両親は今日も帰りが遅い。鍵が無いと家に入れない。手に汗をかきながら先程来た道を戻る。


 図書室の横を通り少し歩くと、月明かりに照らされてキラリ、何かが廊下の床で鈍く光る。鍵、あんなところに。やっぱり落としたのか。こんなに静かな廊下で私は落とした音に気が付かなかったのか。さっきの人、鈴木さん、電気も付けずに何してたんだろう。真っ暗な職員室で。冷たいなぁと耳元で聞こえた気がして歩く足を早める。あぁ嫌だ。嫌な感じがする。嫌な違和感だ。走り出したい、でも走り出したら何かがそこの暗闇から飛び出して追いかけてきそうで。違う、変な風に関連付けてるだけだ。暗くて寒いから勝手に怖がってるだけだ。


ぷるるるるるるるるるるるるるるるるるる


電話の音が聞こえた。心臓が口から飛び出しそうなくらいに跳ねて、音の発信源を探す。

図書室の電話が鳴っているようだった。

17時以降は外部からの電話は鳴らないようになっている。そもそも図書室は職員室からしかかけられないのではないか。じゃあかけているのは誰なんだ。いったい誰が。


 1階まで長い階段を一気に駆け降りる。職員室には目を向けたくない、見てはいけない。でもどうしても職員室の前を通らないと帰れない。玄関にたどり着けない。お願い、何もありませんようにと祈る。


 次の瞬間私は絶句した。


 全開に開け放たれた職員室の扉の奥、鈴木さんの姿が見えた。こちらをずっと見ているその顔は到底この世のものとは思えない形相だった。

さっきの優しい笑顔は消え去り頭から爪先までびっしょりと濡れているように見えた。

青白い顔、血の気の引いた唇が微かに動いている。デスクの受話器を耳に当て、ぶつぶつと何かを呟いていた。



 あのあと震える足を叱咤してなんとか玄関から走り出た。2日ほど学校を休んで登校すると担任から体調は大丈夫かと聞かれた。


「先生、用務員の方のお名前はなんですか」

「なんだ、確か今の用務員さんは藤堂さんじゃなかったか。そんなこと気にしてどうした」


鈴木さんという方はいないんですか。

小さな声で尋ねた私に担任は首を傾げた。

いなかったと思うけどなぁ。この学校は用務員さんよく代わるからな。前の人は木村さんだった、鈴木さんではなかったよ。


「あ、でも俺が赴任してくる3年前にも一度代わってるんだよ。ちょっと嫌な話だがその時の用務員さんが自殺したらしくてな。生徒と一部の教員からいじめがあったそうだ。まぁ噂程度にしか聞いた事ないから信憑性は低いけどな。」

 陽気に笑って今度その人の名前聞いてみるよ、畑中先生ならもう長いことこの学校にいるし知ってるだろうと立ち去る担任に、聞かないでいいですとだけ答えてそれ以降、私は放課後に残って勉強するのをやめた。


 


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