資料
楽器カタログhttp://teiscotone.web.fc2.com/zzshashin/shiryoukan/catalogue/00catalogue.html
BOSS
https://guitar-hakase.com/2121/
個人投資家
https://fudousan-kyokasho.com/individualinvestors-11088
株の売買
https://hoken-all.co.jp/media/kabu-kaikata/
美容師試験日程
http://www.sb.rbc.or.jp/2006/11/post_19.html
ゴー・ユア・オウン・ウェイ:フリートウッド・マック
デスペラード:イーグルス
人生を語らず:吉田拓郎
十七歳:南沙織
時の過ぎ行くままに:沢田研二
風に吹かれて:ボブディラン
悲しくてやりきれない:ザ・フォーク・クルセダーズ
あっ!;村八分
ラスト・フォー・ライフ:イギー・ポップ
タイムマシンにお願い:サディスティック・ミカ・バンド
イマジン:ジョン・レノン
世界の終わり:THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
自転車でいける距離の印刷屋で版下作りのバイトを始める
毎月のバイト代は、3万円になった
夏頃、自分たちで広告代理店を併走させることを思いつく
同時に音楽制作もスタート オリジナル曲を貯める 楽器も買う
1980年代に全ての機材を揃え、スタジオとライブハウスをスタートさせる
音楽事業は小橋がサポート
音源を海外からリリース
レコード会社を作る。メディアを作る、ロッキングオンをモデルに
1969
大学生ひとりにかかる学費と生活費は年平均で26万~30万円。3年で10万円の増加
1971
丸の内エリアにあるホテルが丸の内にある企業46社、416人の男性の昼食について調べたところ、トップは日本そば、次いで中華そば、どんぶりもの、カレーライス。1回の食費は平均256円、1日のこづかいは700円
1974年
大卒初任給(公務員)72.800円 高卒初任給(公務員)59.200円
牛乳:40円 かけそば:170円 ラーメン:190円 喫茶店(コーヒー):200円
銭湯:75円 週刊誌:130円 新聞購読料:1.100円 ※7月改訂 新料金1.700円 映画館:1.000円
1970年代半ば特に1974年(昭和49年)の日本の物価の異常な物価高騰。
1986年
12月 日本のバブル経済のスタート。
1987年
2月9日 NTT上場(政府保有株放出:1986年11月、1987年11月、1988年10月、1998年12月、1999年11月、2000年11月)
10月19日 ブラックマンデー
アルバイトニュースは50円
1979年にカセットMTR 『TEAC 144』が発売された時は世間に衝撃を与えました。
TR-808はローランドが1980年に発売したリズムマシン[
78年、リズムボックス界の王様,ROLAND CR-78の登場。
リズムボックスでありながらユーザーパターンが打ち込めるという画期的なマシン(以前にもROLAND FR-15というパターンを打ち込めるマシンも存在しましたが)。のちにこれがTR-808の開発に繋がって行くのは既知な話です。
YMOの歴史
1978年7月10日、YMOはレコーディングを開始[6]。
1978年9月、松武秀樹をサポート・メンバーとしてライヴを日本楽器 池袋店東ショップ (YAMAHA) で行う。
東京ロッカーズ
自身もミュージシャンであると同時にプロデューサーとしても活動していたS-KENこと田中唯士が東京のインディーズ・シーンを活性化させようと、1978年7月から8月にかけて自身の所有する貸しスタジオである六本木のS-KENスタジオにて毎週日曜日に開催したギグの名前として『東京ロッカーズ』の名称を使用したことに由来する。1978年の後半には、主な出演者による関西ツアーを行なう。1979年3月には、CBSソニーからのオムニバス盤を録音、そして4月に発売し、名古屋、京都、久留米、福岡、小倉と各地でギグを行なうが、その後、所属レーベル、レコード会社ごとの活動が目立つようになり、東京ロッカーズという言葉は使われなくなった。
僕たちは自分たちが幸せになることよりも、僕たちの後の世代を幸せにしたいと思た
そのためには、未来にダメになってしまう日本のために何かをしなくてはと思ってた
このどん底の国を救うのは、テクノロジーとロックンロールじゃないかと思った
でも、いいこともあるみたい。東京でオリンピックがあるのよ、ねえカンジ
そこにササイが、残念だが、オリンピックは中止になった
え!なんで!
コロナウィルス 。そして香港の問題や台湾を交えて米国と中国が戦闘状態になっている
その先は? わからない。けど日本は開戦前夜になっている 憂鬱な空気
俺たち、何をやるためにここに来たのか
未来の日本は寂しい国だ
それに比べていまは未来に夢がある そんな未来にしたい
なにをする なにができる わからない、考えよう
高校を卒業する
そして2020年を迎える
僕は影のプロデチューサーになって、バンドをデビューさせる
ミュージシャン・ヤクザ・政治家・コンピュータプログラマ・経営者
政治家や官僚は成功までに時間がかかる ヤクザよりもハッキング 英語ができること 株で大儲けできること
デビュー前のバンドを青田買いしてメジャーレコード会社を作る レコード会社のあとは出版社
2020年になにがしたい?この国をよくしたいが、どうすればよい
2020年の課題は何だろう
少子化・食の危険・学校を作ろう・会社を作ろう・街を作ろう・食べ物を作ろう
学校は授業料を無料にする 年収が200万円以上は受験できない
貧乏だけど、優秀な子供を育てる 1980年代には資金を集める
バブル経済でマンション投資 未来がわかるから、株の投資
1990年から学校を開始する(小学校と中学校)
この学校はすべての授業でパソコンを使う
16年後には小学校1年生が大学を卒業する、つまり2006年
10年後には中学校1年生が大学を卒業する、つまり2000年
7年後には高校1年生が大学を卒業する、つまり1997年
4年後には大学生が大学を卒業する、つまり1994年
卒業生のほとんどはプログラマかエンジニアになる
小説的には成功を目前に、全員が消えてしまう つまり老衰
あるいは、犯罪がらみのような大きな事件が起きて
全員が消える、そして元の世界に戻ってきている
そして、東京のロックバーに集合する
ケイは死んでいる
カンジ:元デザイナー趣味の音楽を生かしてレコード会社を作る
ケイ:美大に進学しつつ、カンジをサポート
ササイ:元証券マンみんなで作る会社を統括していく
ユースケ:元システムエンジニアもっと早くからコンピュータをやってアプリを作りたい
コマツ:元ヤクザもうヤクザは嫌なので株や投資を勉強したい 大学には進学する
トモコ:またアナウンサーになるんじゃなくて違うことがしたい
クボタ・元教員 学校作りに奔走
トモコ:1998年 40歳 ケイと同じ
ケイ:1998年 40歳
コマツ:2005年 47歳
クボタ・2005年 俺らが47歳 コマツと同じ 15歳年上なら60歳 定年
ユースケ:2010年 52歳
カンジ:2020年 61歳
ササイ:2024年 65歳
2024年 なんらかの集まりがあった(クラス会) その二次会のロックバー
そこで、残りの人生を考えた時に、何ができるのかと考えた
そこで、残り少ないけど未来を変えようと思った
政治家を送ろう でも時間がないよな あーもっと若い頃にやっていれば
この記憶はササイの記憶。そしてその話をした帰りにササイは転送される
物語が進み、成功の兆しが見えたころ 全員が未来に転送される
カンジは、まだバーを経営していた
そこに昔のメンバーが入ってくる で終わり
未来の記憶 森川眞行 @morikawaw2c
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