第5話 山頂にて
頂上に着いてどれくらい経ったんだろう。
おそらく旗振山で採られたであろう丸太に、薄い板を乗せただけの簡易的なベンチ。雨風にずっと曝され、元の色がわからないくらいになっている。
真ん中に座るのは何だかベンチを独り占めしている気分になるから端のほうに腰を掛ける。角を手で触ると微かに腐敗した木の屑がついてきた。
やっぱり真ん中あたりに座れば良かった。
今から動いても遅くはないかな。
そんなことを考え、結局ベンチの端に座って風景を楽しんでいると、周りにいた登山者たちの顔ぶれが変わっている。さっきまで私のほうをチラチラ見ていた登山者たちが居なくなっていた。多分、私を見ていたというよりは隣に立て掛けた釣竿入れを見ていたんだと思うけど。私だって不思議に思う。いつもは山を見上げる側の道具が、我が物顔でベンチに腰かけ、海を見下ろしているんだから。
さすがにそろそろ歩き出そうと思ってベンチを立ち上がり、進行方向を見るとこっちにもいい景色が。
あれはどこまで見えているんだろうか。
今日は八月の末。天気は快晴でも遠くの景色は霞んでいる。
うっすらと大阪の奥に山っぽい線は見えるけど、私はそれが山なのかどうかはわからない。わかるのは海と街の境だけ。
大阪方面が見えるベンチに、私はまた腰を掛ける。
今度はさっきよりも綺麗なベンチだ。端に座ることに抵抗感はない。そして机もある。
ここで食べるお昼ご飯は多分、最高だろう。
このベンチに座る前に気づいた。私の後ろで山に有るまじき「いらっしゃいませ」と書かれたのぼりがなびいている。
チーズケーキと書かれた看板に目を惹かれ、ちょっと入ってみようかと扉の手前まで近寄ってはみたものの、常連さんの空気感と足を踏み入れたら何か話しかけられるんじゃないかという、私の小心者が不意に出てしまい、踵を返してこのベンチに座ってしまった。
旗振茶屋と言うらしい。
看板にそう書いてある。
創業昭和6年とも書いてあった。
そういえば富士山には寝泊りできる山小屋があると何かの番組で見た気がする。案外、山でもご当地料理的なものがあるんだろうか。この小心者が居なくなるようになればそういった事も楽しめるのに。
なんて、特に思ってもいない事が頭の中を回る。
釣りをしていた時はずっと次のことを考えていた気がする。
獲物が食いついたらどうするか、その獲物は何なのか・・・それが楽しい部分でもあったけど、楽しくない部分でもあった。緊張の糸が張り詰めたままになる。どうにも少し息苦しい。
和らげようとしても無意識に海の臭いを思い出し深呼吸もできてなかった。
このベンチに座ってどれくらい経ったんだろう。
スマートフォンを触るわけでもなく、景色を見ながら自分を他人事のように考えていると思っているよりも早く時間が過ぎていて、自分から動き出すのが億劫になってしまった。帰らないといけないのに動き出せない。そんな自分を誤魔化すように、ぼやけた空を眺めていると肩をつつかれたと同時に声が聞こえた。
「もしかして、下沢さん?」
どうにも聞き覚えのある声。
記憶をかき回したが、結局答えが出ずまま振り返ってしまった。
「どうも。お久しぶりです。」
何その話し方と、笑われてしまった。
夏休みに入って以降、釣りばかりしていてまともに同級生と遊ぶ機会が無かったから、咄嗟に出た言葉が変にかしこまってしまい、自分でも少し笑ってしまった。
隣のクラスの鵯梓さん。体育の授業の時ぐらいでしか話さない人。
お互いにまだ自己紹介をしていないと思う。
体操着に書かれた名前を見て呼び合っている程度の間柄だけど、お腹を押さえてまだ笑っている。よほどツボにはまったらしい。
「さすがに笑いすぎだって」。
ごめんごめんと涙目にして平謝りで返してくる。まだ軽く笑いながら、どうしてこんなところにと聞かれ、私は下を向いて小さくため息をしてから答える。
「釣りに飽きちゃってさ。なんとなく目に入ったロープウェイ乗っちゃった」。
「そっかー」とか「ふーん」とか、ありふれた返事を残して、早くどこかに行ってほしかった。
彼女は私の期待を裏切って口を開く。
「そろそろ下山しないと危ないよ?」
私が考えたく無かったことを有り体に言ってきた。
なおかつ心配もされた。
仕方ない。
考えようともしていなかった、自分に降りかかっている問題を彼女にどうにかしてもらおう。
「膝が痛くてさ」。
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