第3話 釣りの先

 釣りを始めた時のことを思い浮かべていたなずなは、もうすでにあの頃のような胸の昂ぶりが無いことに気付いた。

 夏休みの短い間、毎週違う釣り場に行っては釣りを楽しみ一日を「趣味」で過ごす。憧れていた「趣味」中心の生活を繰り返しているうちになずなの心は釣りから離れようとしていた。

 ぼんやりと眺めていた明石海峡大橋をみて思い出す。5回目くらいの釣りはあの世界最長の吊橋の下で釣りをした。いろいろな種類の魚が釣れるとネットの口コミをみた次の日に明石海峡大橋へと向かい、丸一日釣りをしていた。結局その日の釣果は見るも無残な結果になってしまった。丁度大潮の日で潮流も早く、根掛かりもよく起こしてしまったのだ。

 今考えるとその日を境に熱が冷めていったのだろう。

 竿を持っていても風の中にある磯臭さを感じていた。

 

 強い日差しと磯の臭いに我慢しながら次のアタリを待っていたなずなは、海釣り公園に入ってからずっと隣にいた家族連れのアタリを見て、絶望感の正体に気付いた。

 その瞬間に何もかもが煩わしくなってしまった。

 手に持つ父から借りている竿も、着用が義務付けられているライフジャケットも何もかも、すべてを投げ出したくなったなずなは、海から反射された光が目に入り、手で遮って見えないようにした。

 釣りを始める前と同じ、いつものありふれた光だった。

 

 すぐに帰り支度をして受付を無愛想に通り過ぎ、須磨浦公園へと戻ったなずなは、いつもなら電車賃を節約するめために値段の高い山陽電鉄を使わず、JR須磨駅まで健康のためにと言い訳をして歩いていたところを、今日だけは山陽電鉄を使うことにした。竿以外はすべて海釣り公園の受付で借り、ほとんど手ぶら同然のなずなにとって、JR須磨駅まで歩くことはそれほど疲れるような道ではなかったが、釣りへの気持ちがごっそりと抜け落ち、釣りへと至る過程、つまり釣り場へと赴くための道のりさえも、歩く時間の無駄だと思ったのだった。

 

 竿の入ったケースを肩から下げ、須磨浦公園駅の自動券売機へと向かうつもりだったなずなの足は、なぜか隣接するロープウェイの券売機へと向かっていた。

 釣りをするため駐車場を利用したときに横目で見ていた登山者たちの気持ちを分かりたかったのかもしれない。

 沖から見えていた山に特別な感情を抱いていたのかもしれない。

 なずなの足は明確な感情を持ち、ロープウェイへと乗り込んだ。

 ロープウェイは鉢伏山上駅で鉢伏山の頂上まで行くことができ、その奥にある降旗山へ行くためには「乗り心地の悪さ」を売りにしているカーレーターと呼ばれる物で簡単に登頂することができるが、カーレーターを使わなくてもそれほど疲れる道ではない。もちろんそんなことを知らないなずなは、カーレーターという聞きなじみのない乗り物に乗ろうとしていたが、ロープウェイを乗ったために不意に出費してしまったことと、帰りの交通費を思い出し、どのくらいの距離があるかはわからないけど、案内板に書かれた簡易的な地図を見る限りさほど遠くはないだろうと思い、歩いて登ることにした。

 なずなにとっての初めての登山となる。その第一歩であった。

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