山に馳せ

トキ

第1話 「趣味」ってなに

 太陽がいつものように照り付けてくる。

もう八月も終わりというのに、夏はこれからだと言わんばかりに太陽は昇る。

 神戸市のとある海釣り公園。

 家族連れや休日はいつも釣りをしている様な人に紛れて、少女は絶望に近い何かを感じながら釣りをしていた。

 おかっぱというには少し長い髪を後ろで無理矢理一つに結び、少しくたびれた藍色のサファリハットを浅くかぶり、オシャレなアウトドア雑誌の表紙を飾るような釣りガールの服装をし、たった1人でもう何時間とあたりのない竿をかすかに視線の端に捉え、明石海峡大橋を眺める少女がそこにはいた。


 彼女の名は下沢なずな。


 今までたくさんの「趣味」と呼ばれているものに挑戦してきたなずなは、高校2年の夏に釣りという「趣味」を見つけた。正確に言うならば「見つけた」というよりも「作った」と言うほうが正しいのかもしれない。



 夏休みが始まる数日前の土曜日。なずなは父親に頼み込み、この海釣り公園へ来た。

「今度は釣りか」

 父の運転する車の助手席に座り、遠足前の子供のような目で景色を眺めていたなずなは「お父さんに付き合うのもこれで最後だよ」と言い放った。


 これまでなずなは父が「趣味」として行っている事全てに挑戦してきた。将棋・ギター・カメラ・DIY。どれも最初の内はのめりこめたのに何かの拍子に興味や面白みが失せた。今となってはなぜそれらを「趣味」にしようと思ったのか、なずなには解らない。

 おそらく唯一続いているのは読書と散歩くらいだろう。といっても読書は父の書斎にある小説や教養がつくと書かれた帯がついたままの本で、自分が面白そうと思ったものしか読んでいない。散歩に至っては雲一つなく、宇宙さえも見えてしまうような、そんな快晴の日に限る。体育系の部活をしていないなずなにとって散歩と学校の体育だけが運動になっている。年頃の女の子にとって、散歩はただの散歩以上に意味を持つ。


 この二つだけでも十分「趣味」と呼べる。


 友達は口をそろえて言うがなずなにとってこれらは「趣味」ではない。ただの生活に過ぎない。なずなにとっての「趣味」とは、自分の時間と身体を際限なく犠牲にできるほど楽しいことだ。

 だから読書と散歩は「趣味」ではない。

 太陽が沈むと月が出てくる。それほどまでになずなにとっては当たり前の、日常のことなのだ。


 車でどこかへ出かけるときは運転する父との会話もそこそこに、すぐ寝てしまうなずなだが今は寝ていられない。これから一生を費やし「趣味」に没頭するのだと脳裏によぎるだけで目が冴え、少しだけ鼓動が早くなる。  

 直ぐに飽きるかもしれない。とは思わないようにした。「趣味」を持たず、日陰で野ざらしにされた氷がゆっくりと角を失い溶けていくように1日を過ごす、そんな今の自分に戻りたくなかった。

 国道2号線を西へ走る事20分。阪神高速道路3号神戸線若宮ランプと2号線が合流する緩く大きなカーブを曲がり見えてくる神戸市唯一の水族館を過ぎると、松並木の隙間から海に反射された太陽の光がチラチラとなずなに訴えかけてくる。逸る気持ちを抑えようと一度目を閉じ、深呼吸。ゆっくりと瞼を持ち上げもう一度顔を左側へと向ける。

 次第に松並木が家並みへと姿を変え道路が海岸線の真横に来た時、沖へ400mほど伸びる釣台が見えてきた。


 なずなの「趣味」の時間が始まった。

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