第四章 欲望鬱勃

4-1 バルフェルクラート

 アッシュはシルフィアに正体を明かした翌日、白百合城を出た。バーンへの復仇を果たしたいところであったが、シルフィアが他の四輝将軍へ不可侵の約束を手配している間は、皇都へ向かうのは避けなければならない。また、一隊でも多くの銃士隊が皇都を離れる機を窺う必要もある。そのため、アッシュは故郷を焼いた者への復讐を優先することとした。こちらは、白百合城の城司を務めるボーガ・ルドフェルが、かつて凱皇金狼騎士団に所属していたため、当時の指揮官や部隊を記憶していた。


 現在アッシュが使うのは、ボーガの孫、グラハム・ルドフェルの肉体だ。十八歳で、年の割には背が低く線も細い。鏡を見なければ神経質そうな瞳を気にする必要はないのだが、目元までかかる長い前髪が煩わしい。馬上で揺れる度、風が吹く度、ことあるごとにアッシュは手で前髪を掻き分けた。すると、復讐心と闘志によって刻まれた眉間の深い皺が顕わになる。


 アッシュは左脇のホルスターに魔銃を隠し持っている。グラハムは城内での実情は兎も角、実際のところは皇帝の麾下にあり、北方将軍を監視する任務に就く魔銃使いであった。展開型の短機関銃は着弾地点に爆発を起こす能力があり、爆発の規模や起爆時間を自在に操れた。


 街道を北西に進むアッシュは三日かけて旧ペールランド国にして、現在はバルフェルト・フォン・ロアヴィエの治めるペールランド領に到着した。バルフェルトは現皇帝の弟に当たり、二年前のペールランド侵攻では総大将を努めていた。アッシュが銃士隊の捕虜になった時、銃士隊と行動を共にし森の中に現れている。


 バルフェルクラートは戦闘城塞の為、都市は石造の城壁に覆われている。円形の城壁には胸壁や銃眼が備えられ、また均等に見張り用の円塔が配置されていた。ただ、城壁の至る所は崩れており、石工達が補修作業をするための足場が組まれている。ロアヴィエ皇国の攻撃による破壊の爪痕は、完全修復には数年を要する。


 アッシュにとっては祖国の都に当たるが、訪れるのは初めてのことである。北方将軍シルフィアの紹介状があるため、城塞都市バルフェルクラートの城門はあっさりと潜れた。所持品の確認すらされなかったのは好都合だ。皇帝直隷の特殊部隊に所属するグラハムはその任務の性質上、魔銃使いであることは秘匿されているし身分の証になる物を所持していない。公の立場では、シルフィア卿の身の回りを世話する近侍に過ぎない。


 市内での行動は、世話係として衛兵の一人が帯同することになった。ファンダという若い兵士だ。バルフェルクラートの警備担当としては、四輝将軍の紹介状を持った者に害が及ぶことがあってはならない。とはいえ、若い使者ごときに大層な警護を付けるつもりもないからこその妥協点として、新米兵士が世話係になったのだ。


(監視と護衛が半々か。俺の身に何か問題が起きたら、警備隊長はファンダに責任を押しつければいいだけだ)


 行動に制約が出そうだが、都市内にいる限りアッシュはファンダと行動を共にするしかない。ファンダは面長の中央に点のような黒い瞳と高い鼻が集中し、何処か愛嬌のある顔立ちをしている。宿に向かう途中、アッシュは馬上からそれとなく城塞都市の警備事情を探る。


「使者が来る度に警護の者を帯同させていたら、人手不足になりませんか?」


「グラハム様が特別です。四輝将軍の紹介状を持った方がお供も連れずに一人で訪れるなんて初めてです。途中、危険など、ありませんでしたか?」


「優秀な馬ですからね。野盗が出たとしても、逃げ切りますよ。それに、銃士様のおかげで皇国にはもうドラゴンのような凶悪なモンスターも出ません」


 他愛のない雑談をしつつも、アッシュは自分の悪目立ちを実感する。シルフィアは会ってみれば幼いところの残る子供だったから失念しかけていたが、彼女は侯爵であり四輝将軍の一翼北方将軍。知名度とは裏腹に表舞台にまったく姿を見せないため、興味の対象になりやすい。その使者ともなれば、関心を抱かれるのは致し方ない。


(皇国のことは体の記憶に頼らず、自分で見聞きしていくしかないな)


 ロアヴィエ皇国の文化や風習、貴族としての振る舞いなど、分からないことが多すぎる。いずれも記憶の中にあるのだろうが可能ならば探りたくない。他人の記憶に触れる危険は身をもって知っている。グラハムの記憶に潜れば得るものは大きいだろうが、代わりにシルフィアの幼い体つきに対して抱く劣情までもが脳裏に浮かぶのだ。


「疎いところが多いかと思いますので、ファンダさん、頼りにしていますよ」


「ええ、任せてください」


 アッシュは若い兵士を持ちあげて、適度に利用する。午前中は都市内の視察と偽り、大通りや公共施設をファンダに案内させた。皇弟が治める地だかから、かつての都だからか、市街は活気に溢れていた。薬剤師、靴屋、毛皮屋が軒先の露台に商品を並べるその対面では、肉屋、魚屋、パン屋が道行く人に呼び込みの声をかけた。通りの両側に人だかりができ、余所見でもすれば彼等にぶつかってしまうだろう。こうなってくると、ファンダが馬の手綱を引いてくれるのが、頼もしく思えた。

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