2-10 ドワーフの義賊フランギース

 陽が沈み、魔性の者が夜を渡り歩くとされる深夜、リッキは再び塀を乗り越え、格子窓の前にやってきた。


「ねえ、おじさん、起きてる? ねえ。リッキが来たよ」


「……昼間の子供か? こんな夜中に出歩くと子供でも淫魔に玉を食いちぎられるぞ」


「玉ってなあに? ねえ、林檎、食べる?」


「……林檎? 何のことだ?」


「ここにおっきな林檎の木があるの」


「林檎? ロアヴィエアは春に林檎がなるのか?」


「本当だよ、林檎だよ」


 リッキは林檎をいくつか格子窓の隙間から牢に落とした。


「ここは子供の来る場所じゃない。帰れ……」


「周りに起きている人は誰もいないから大丈夫だよ」


「牢には見張りがいる」


「ミハリ? もう一人臭いがするけど、すやすやが聞こえるから寝ているよ」


 囚人はここでようやく、相手が嗅覚や聴覚に優れていることに気付き、興味本位で視線を窓に向けた。四角く切り取られた月明かりの中に、獣耳が二つ小さく揺れている。


「……お前、獣人か? 獣人の鼻や耳はそんなことまで分かるのか?」


「リッキは半獣だよ」


「そうか……」


 男が林檎を食べ始めたから、リッキも林檎を齧った。


「リッキ……。お願いがあるんだ」


「いいよ」


「まだ何も言っていないが……」


「いいよ。サルーサお姉ちゃんがね、困っている人は助けてあげなさいって言ってたの」


「……牢の鍵を持ってきてくれないか」


「鍵って何?」


「寝ているヤツが腰に下げている物だ。音を鳴らさないように慎重に持ってきてくれ」


「うん、分かった!」


 獣人の少女は脱獄に加担している意識はなく、ただ、変なおじさんがいたから遊んでもらっているつもりであった。大半の獣人の例に漏れずリッキは好奇心の塊だし、親切な相手には直ぐに懐く。鍵の束を入手し、牢屋から男を解放する。


「おじさんはおじさんじゃなくて、お兄さんだったんだね」


「ん、ああ……」


 アッシュは二十三歳。キーシュは二十歳。精神も肉体もまだ若い。


「助かった。俺は――」


 アッシュはどちらの名前を名乗るべきか判断に困る。とりあえず、間を稼ぐために頭を撫でてやると、リッキは嬉しそうに目を細めて喉を鳴らす。尻尾がわしゃわしゃと揺れる。すると、丁度そのタイミングで隣の牢から細く声をかける者があった。


「おおい、ワシも出しくれぇい。もちろん、出してくれなかったら大声で看守を起こすぞぅ」


「お前か……」


 昼間、リッキが去った後に隣の房に入れられた男だ。散々、出してくれと喚き散らしていたので、アッシュからの心証は悪い。


「あれ。おじさん、いたの? リッキ、全然、気づかなかったよ。クンクン……」


「まあなあ、職業柄、体臭は薄くなるように食事には気を遣って――」


「やっぱり土の匂いだ! お部屋に土があるのかと思ってた!」


「ワシ、土の匂いがするのぉ?!」


「胡散臭い男だな……。出してやるが、騒ぎは起こすなよ」


「おう。恩に着るぜい。にっしししっ」


 男の名はフランギース。四十八歳の盗賊だ。皇宮の宝物庫から財宝を盗んだこともある大泥棒にして、盗品を貧しい者に配る義賊でもあった。ただし、自称である。凱汪銃士隊の隊舎なら金目の物があるかと期待して侵入した。気配を消して潜入する盗みの技は一流で、隊員の部屋からいくつかの金品を盗むことに成功。街で盗品を現金に換え、味をしめたフランギースは隊舎に戻った。獣人の鼻や耳からも逃れられる彼だが、そのときは運が悪かった。丁度、救護所で治療能力者が魔銃を起動したのだ。魔銃起動時は五感の全てが強化されるため、フランギースは敢えなく気配に気付かれてしまった。


「おいおい、じろじろ見るない。男に見つめられても嬉しくないぞ。それとも、ドワーフが珍しいかよぉ?」


「ああ。俺の知っているドワーフとは随分と違うようだ」

 亜人種ドワーフは総じて背が低くて足も短く、丸っとした寸胴体型。だが、フランギースはキーシュよりも背が高く、足は長く、線は細い。ドワーフらしい特徴は髭が濃いくらいだ。本人に言わせれば人の雑踏に紛れ込むには都合のいい体格と顔だ。生まれつきの鋭い眼光を隠すために、おちゃらけた表情を作る。


「皇国五百年の歴史なら血も薄くなるもんさよ。この子の耳や尻尾みたいに、先祖の特徴を強く残しておる方が珍しいわい」


「そうか」


 アッシュの祖国では亜人種がほとんどいないため驚きはしたが、特に強い興味を抱くわけでもない。大陸の東に位置するロアヴィエ皇国やアッシュの祖国は本来なら亜人種は少ない地域だ。リッキやフランギースは奴隷として連れてこられた者の末裔にあたる。

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