31.学園祭
……体が重い。全身が鉛と化しているかのようだ。思うように動けない。
はぁ、はぁ、はぁ……。
呼吸もままならない。
絶好のスルーパスが出された。俺はそれに反応して走る……けど一歩目の反応が遅れ、ボールは相手のゴールキーパーにクリアされてしまった。クソッ!
めげずに敵陣目がけてドリブルで仕掛ける。一人かわし、二人かわし、三人目もかわした。視線を上げると近くには味方がいた。でも俺は自分で決めにいこうとシュートを放った。が、不運にもポストに嫌われた。ボールは相手に渡るとそのままカウンターを仕掛けられ失点につながった。クソッ! クソッ!
ピッピッピー。
試合終了の笛とともにチームメイト全員が一斉に俺の方を振り返ってきた。そして赤井が怒りの形相でこっちへ向かってくる。一歩、二歩、三歩……
来るな。来るんじゃねぇ! そんな目で俺を見るな! やめてくれ! やめろぉぉおおお!!
「うわぁぁあああ!! はぁ……はぁ……。なんだ、夢か」
時計を見る。まだアラームが鳴る三十分以上も前だ。でももう眠さなんて微塵もない。
ドドドッ、と勢いよく階段を駆け上がってくる音が聞こえてきて、ガンッとドアが開いた。
「どうしたの? 朝っぱらからあんな大声出して」
心配した母さんが様子を見に来た。右手にお玉を持ったまま。
「い、いや、なんでもないよ。今日の学園祭が楽しみで」
「なによそれ。変な子ね」
母さんはドアを閉めると階段を下りていった。
今日は学園祭当日だ。普通こういうイベントがある日は楽しみで早く起きることが多いのに、悪夢で目覚めるなんて。なにか悪いことが起きる前兆なのか?
まぁいいや。今日は開店前の準備があるから早めに行っておいて損はない。飯食ったら急いで行こう。
「おはよう」
教室へ入るなりそう言うとまばらな返事が返ってきた。学園祭といっても朝から騒がしいわけではない。まだクラスの半分の人数も揃っていなかった。俺も荷物を置くなりすぐに準備を手伝うことにした。そのうちに他のクラスメイトも続々と集まってきた。
「おはよう。瞬早いな」
太一が眠そうにあくびをしながら手伝いに加わってきた。
「なんか目ぇ覚めちゃって」
「なんだよ。そんなに今日が楽しみだったのかよ」
「いや、別にそういうわけじゃ」
まぁいいか。学園祭が楽しみじゃなかったわけではないし。
朝早く来たとはいえ、あと一時間もしないうちにお店を開店させなければならないから準備を急ぐ。準備は教室を本物のカフェのようにかわいくコーディネートしていく作業だ。主に女子の指示の下、男子が壁の高いところに飾りつけを行ったり机や椅子を運んだりする。要は力作業だ。美術部の女子たちはなにやら黒板のところに集まってチョークで絵を描いているけど、これがまた超上手い。チョークでここまでの絵が描けるのかと目を疑った。
徐々に教室がカフェへと姿を変えていく。壁紙はモノトーンベースで統一され、テーブルクロスに暖色系の差し色を入れていく。毎日ここで授業を受けているけど、今は全くそんな感じがしない。まるで本物のカフェに来たみたいだ。やっぱりこういうデザインは女子に任せた方が上手くいく。もし男子がやっていたら……想像するのはやめておこう。
最後に各テーブルに置いてある花瓶に花を挿して完成。できあがった教室を見てみんな感嘆の息を漏らしている。
「じゃあ最初シフトの人は着替えちゃおうか」
高橋の指示で衣装が手渡されていく。俺も最初のシフトだったから受け取った。渡されたのは高校生には着慣れないスーツみたいな服。肩のところとかきつくて動きづらい。
「いい感じだぜ。似合ってんじゃん」
「そうかな?」
なんか照れくさい。でもまぁ、悪くはないかも。
「キャー! カワイイ!」
女子たちの方が騒がしい。なにやら輪になって群がっている。気になって見に行くと、輪の中心にメイド服姿の石川がいた。
「優里カワイイよぉ!」
「そ、そうかな? なんか恥ずかしいね」
照れる石川に他の男子は皆釘づけ。全員目がハートになっている。でも確かにかわいい。小さい背にフリフリの衣装はよく似合う。その姿で上目遣いなんてされたら大抵の男子はイチコロだろうな。
着替えたメンバーで記念に写真を取ることになり、石川が隣にやって来た。
「ど、どうかな?」
そう言って俺を見上げてくる。頼むからその姿で下から俺を見上げないでくれ。
「に、似合ってるよ。すごく」
つい視線を逸してしまった。「よかったぁ」と微笑む石川に危うくイチコロにされるところだった。ハルにも見せてやりたいな。おっと、写真撮らないとな。――パシャリ。
「それじゃあ、みんなで円陣を組もう!」
「いいねいいね!」
クラス委員の高橋の提案にみんな賛同して円をつくる。写真を撮ったメンバーはその並びのまま肩を組むことになり、俺は石川の肩に手を回した。肩を組まなくても石川が華奢な体をしていることは分かっていたけど、実際に肩を組んだら想像以上に細かった。少しでも手に力を加えたら折れちゃいそうに感じたから、そっと肩に手を乗せる程度にしておいた。
円の中心で高橋が屈む。こういうのに慣れているのか上半身はピシッといい姿勢をしている。きっと野球部でも同じようなことをやっているんだろうな。
「執事・メイドカフェ、絶対成功させるぞぉ!」
『オー!!』
そして遂に開店の時間を迎えた。執事、メイド共々入り口に整列してお客様……じゃなくて、ご主人様をお迎えする。
『おかえりなさいませ! ご主人様』
「よっしゃー! 一番乗りぃ!」
開店と同時に威勢よく入ってきたのは堤だ。それと前島。
「なんだよ、お前らかよ」
「すまんねぇ桜庭。コイツがどうしても行きたいって言うもんだからさ」
前島が堤を指差す。
「女子高生のメイド服姿が見れると聞いて俺が来ないわけないだろう!」
「このエロオヤジが! なんでそこまで変態ワードを自信たっぷりに言いきれるのか不思議だわ」
相変わらず息の合ったコンビだ。見ていて飽きない。
「お前らホントに仲いいよなぁ」
「そんなことないよ。他の人と比べて一緒にいる時間が多いだけ。好んで一緒にいるわけじゃないし」
うんうん、と堤も大いに納得している。
「ふーん。でもつき合ってるようにしか見えないけどな」
『そんなわけあるか!』
ほら、息ピッタリ。
「じゃあつき合えばいいじゃん」
いやいや、と二人同時に首を横に振る。
「瞬は分かってないなぁ。俺たちは永遠に〝ただの〟コンビなんだよ」
いや、意味分かんないし。まぁいいか。
「でも来てくれたからにはしっかりとお世話しますよ。ご主人様方」
「おっ! それ執事っぽくていいね」
うんうん、と前島も同意。「その服似合ってるね」とも言ってくれた。
「こちらへどうぞ」
二人をテーブルへ案内して椅子を引いてあげた。前島はエスコートされていることにキャッキャと喜んでくれている。
「ご注文はいかがなさいましょう?」
「あのメイドさんで」
おい! そういうことじゃねぇよ。堤は俺に目もくれず石川にうっとりしている。まぁ堤らしいところではあるんだけど。1年の時から全く変わらないな。
「じゃあ私はアイスティーで。ほら、優里ちゃんに見惚れてないでアンタも早く決めなって」
さすが前島。こちらも気が利くところは変わってない。
「おぉ、すまんすまん。じゃあ俺も同じやつで」
「かしこまりまし――」
「あっ、そうだ!」
今度はなんだ?
「今日の午後、うちのクラスの演劇があるんだよ。瞬、一緒に見に行こうぜ。主演はなにを隠そうあの光野だからな」
堤め、俺の方を見てニヤニヤしやがって。
「愛ね、めちゃくちゃかわいいんだよ! 桜庭も絶対見に来た方がいいよ!」
前島まで。
「お前らは演劇に出ないのかよ?」
「俺たちは出ない」
キッパリと言いきられた。
「俺たちは衣装づくりの部隊だったからな。今日までが大変だったんだよ。でもがんばったかいがあってみんなかわいくできた。でもな、中でも光野は格別だぜぇ」
「分かった分かった。そこまで言うなら見に行くよ。とりあえず飲み物持ってくるから。――ゴホンッ! ごゆっくりどうぞ」
その後も堤はアイスティーをすすりながら石川のことを「カワイイカワイイ」と言い続けていた。まったく。
ブー。D組の演劇が開演した。作品は『美女と野獣』。
「出てきた出てきた」
堤が俺の肩をバシバシ叩いて知らせてくる。見れば分かるって。
「どうだ? カワイイだろ?」
光野はヒロイン役ということもあり、他よりも目立つ青いドレスを身にまとっている。仕草の一つ一つもとても滑らかで、優美で、その姿は本当に作品から出てきたヒロインのようだった。
「瞬はいいよなぁ。あんなにカワイイ子とつき合ってるんだもんなぁ」
「だから違うって」
舞台に目を戻すといかにも動きのおかしい人物が一人いた。動きがおかしいっていうかハッキリ言って演技が下手。セリフもなんか棒読みだし。
「あちゃー。アイツの演技下手はやっぱり直らなかったか」
堤も肩を落とす相手とは無論ハルのことだ。しゃべる時計の役かなんかで、そのぎこちなさは小学生の演劇会を見ているようだったからおもしろくて思わず笑ってしまった。
クライマックスでは光野が更に輝かしい黄色のドレスに着替えて、野獣も無事人間に戻ってめでたしめでたし。会場から盛大な拍手が送られると同時に、光野の役名とともに『かわいー!』と黄色い声援も叫ばれていた。
「どうだ? よかっただろ?」
自分が衣装を手がけた演劇が大成功に終わって堤は満足そうな顔をしている。
「うん。すごくよかったよ」
ハルや光野にも一言声をかけていってあげようかな。
「俺、ちょっとハルのところに行ってくるね」
「本命は光野なんだろぉ? おうおう行ってこいよ」
「だから違うって」
笑いながら堤とはそこで別れた。
舞台が終わった演者たちは教室に戻っていると係の子から聞いて早速向かった。教室に着くとここでも舞台の成功を一同で祝っていた。ハイタッチする者、肩を組んで写真を撮る者、あそこのセリフかっこよかったよねぇと好演を振り返る者。それぞれが楽しそうにしていて団欒に賑わっていた。ハルもまだ時計の衣装を身にまといながら共演者の子たちと話していた。
「ハル」
「瞬!」
クラスメイトの子にゴメンといった仕草をしてこっちに来る。
「演劇見たよ。すごくよかった」
「ホントか? よかったぁ。どうだった俺? かっこよかっただろ?」
「すごーく演技が下手だったよ」
ガックシと分かりやすく肩を落とす。
「やっぱりかぁ。俺演技とか超苦手なんだよね」
「そんなことだろうと思った。おもしろくて笑っちゃったよ」
「笑うなって。これでも一生懸命練習したんだぜ。少しは褒めてくれよ」
「ゴメンゴメン。あれはあれでいい味出てたよ」
「それ褒めてないじゃん」
「確かに」
ハハハッ、と二人で笑い合っていたら後ろの人にぶつかってしまった。振り向くと……光野だった。
「ゴ、ゴメン」
「うん……大丈夫」
いきなりのことで戸惑ってしまった。別にあの一件があったからってわけじゃないし、俺たちは今まで通り普通の関係だって思っているけど……あぁもう! 堤のせいで変に意識しちゃうじゃんか!
光野の後ろで前島が「なにか言ってあげなさいよ」と言わんばかりに激しいジェスチャーを俺に送ってきている。そうだな。なにか言ってあげないとな。でもなんて言ったらいいんだ?
「よ、よかったよ、演劇。すごく」
「見てくれたんだ。ありがとう」
「その衣装もよく似合ってる」
「ホントに? ありがとう!」
そう微笑む彼女は本当に作品のヒロインみたいに――
「瞬! 瞬!」
時計の衣装を脱いだハルにバシバシと肩を叩かれた。光野の後ろで前島が「もうっ!」と地団駄を踏むのが見えた。
「なんだよ?」
「この後なにもないならさ、一緒に学園祭回ろうぜ! 演劇も終わったことだし、俺はもうフリーなんだ。せっかくの学園祭だから楽しまなくちゃな」
「いいね。確かに楽しまなくちゃね。――そうだ! ハルに見せたいものがあるんだ」
光野の方をチラッと見ると既に前島や他の人と話していた。まぁ一言声をかけられただけでもよしとするか。
俺はハルの手を引いて教室を飛び出した。向かうはもちろん――
「あれ見てみなよ」
扉の陰に隠れるようにして教室の中の石川を二人で覗く。冷静になってみるとなんかストーカーみたいなことしてる気がするな。
「どうだ? 似合ってるだろ?」
「うん」
ハルは健気に働いている石川から目を離さずに頷いた。その顔は嬉しそうだ。
「中入ろう」
「いや、いい」
俺の服を引っ張って制止する。
「なんで?」
「ほら、アイツ慌てん坊だろ? 俺が行ったりなんかしたらますます慌てそうだし、転んだりでもしたら大変だ」
「でも行ってあげた方が石川も喜ぶと思うよ?」
「またあとでにするよ。今は忙しそうだし」
「分かった」
カフェは後にして、外の模擬店でなにか食べることにした。
「腹減ったなぁ。瞬はなに食べたい?」
「そうだなぁ。たこ焼きかな」
「いいねたこ焼き! 俺も食べたい」
時間が進んでくると他の学校の制服も増えてきた。別に意識しているわけじゃないけど、西和大付属のそれがよく目に留まる気がする。本当に気のせいだけど。
「あっ、たこ焼き見っけ」
相当腹が減っていたのかハルはそそくさと屋台へ向かっていった。こういう時はホント速いんだから。
俺もハルの後を追おうとしたその時だった。雑踏の中にたたずむ一つの人影をハッキリとこの目が捉えた。捉えてしまった。行き交う人で見え隠れしているけど、確かにそこにいる。頭では否定したがっているけど心が悟っている。逃げられない、と。
額からは変な汗が滴り落ちてきて、身構えるように肩や拳に自然と力が入る。体も固まってしまって動かない。
さっきから目に留まっていた制服。先週も見たエナメルバッグ。そして今でも脳裏に鮮明に焼きついている、〝あの目〟。ソイツは一切俺から目を逸らさずに真っすぐと俺の元へ向かってくる。徐々に近づいてくるソイツから俺はどうしても目が離せなかった。
周囲の活気溢れる喧噪などもはや俺には聞こえなかった。学園祭を楽しんでいた気持ちが一転して恐怖へと変わる。
「よぉ、桜庭」
遂に俺の前へ来るとソイツは言った。
「……赤井」
赤井は寸分たりとも俺から目を離さない。あの日と変わらず、俺を許さないと言った時の目で俺を縛りつける。
そうとは知らずにたこ焼きを買ってきたハルが嬉しそうに戻ってきた。
「瞬の分も買ってきたぞぉ……って、友達か?」
ハルは俺と赤井を交互に見てからたこ焼きを一つ口に入れた。
「どうやらそんな感じじゃなさそう――」
「お前、今テニスやってんだってな?」
ハルに構わず赤井は言った。俺は頷きも返事もせず――正確には体が全く動かず――ただ赤井の目を見続けることしかできなかった。
「……やがって」
赤井がなにか言った。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったけど、口の動きで「逃げやがって」と言われたのが俺にはハッキリ分かった。
「どうせテニスでも上手くいかなかったらまた逃げるんだろう」
「瞬はそんなヤツじゃねぇ! 少なくとも自分の練習不足を棚に上げて敗戦の原因を誰かに押しつけるようなヤツとはな」
初めて赤井がハルを見た。怒りに満ちた形相で、その目はハルを睨み下ろしていた。体格差はハッキリ言って一目瞭然だけどハルも食い下がっている。赤井はフンッ、と不機嫌そうに鼻を鳴らすと再び俺を見た。
「俺は逃げない。絶対にレギュラーの座を勝ち取って、今度こそ全国へ行く」
俺の目を見てそう言い残すと、赤井は踵を返して雑踏の中へと消えていった。ハルは俺に寄り添ってくれながらも、赤井の後ろ姿に「ふーんだっ。クソ食らえっつーのっ!」と顔のパーツを中心に寄せて最大限のしかめっ面を浴びせていた。でも俺はなにも言い返せなかった。
「気にすんなよ。あんなヤツ」
ハルは優しく言葉をかけてくれた。
俺が赤井になにも言い返せなかったのは単に恐怖で言葉が出てこなかったこともあるけど、それ以上に「逃げた」っていうアイツの言葉が俺の核心をついていたからだ。一度は苦しみながらも受け入れた過去の選択を再び掘り返され、現実を突きつけられたからだ。それは以前鈴木たちから赤井の奮闘ぶりを聞かされていたのもある。〝あの試合〟以降俺はサッカーをやめたのに対して赤井は続けていて、そして今の地位を手に入れた。結果から言えば俺は逃げたことになるのかもしれない。ただあの時はそうするしかなかったんだ。
でもそんなことは分かっている。分かっていて俺はあの時受け入れた。ただ赤井に言われてそのことを未だに吹っ切れずにいた自分自身の存在も認めざるを得なかった。
それでも赤井に言われたことだけが全てじゃない。そうじゃないんだ。もう見えなくなってしまった赤井の背中に向かってそう叫びたかった。でもなにが全てじゃないのか、それは俺自身でも分からなかった。
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