第50話 笛を選ぶ3
【50】笛を選ぶ3
「私、こっちがいい」
そう言った膝の上の少女は、テオの眼前に花の形をした縦笛を差し出した。先程までアピールされていた小鳥の水笛はその膝の上に放置されている。
「花?」
「ええ、花がいいの」
「鳥はいいの?」
「鳥は要らない。花がいいの」
白金の目を溶けるように細めさせた少女が強請った。その姿を見たテオは先程のアーニーの言葉を思い出す。小鳥の水笛を欲しがったのはキャロルだったが、花の縦笛を選んだのはニーナだったはずだ。
先程小鳥の水笛を強請っていたのがキャロルだと教えてくれた目の前の少女が花の縦笛を求めるのなら、今の少女がニーナなのだろう。
「君はニーナ?」
「ええ、そうよ。鳥はいらないから、花にして」
「でもキャロルは鳥がいいんだろう? 鳥も花も両方買おう。その方が二人とも嬉しいだろう?」
「私、鳥はいらないわ。花だけでいい」
「ええと、そうだなあ。君には花を買うから、キャロルには鳥を買おう。花は君の。鳥はキャロルの。自分が欲しいものを人に否定されたら嫌だろう」
腕に抱えた少女の眼前に水笛を差し出したテオが言う。いつも説教など受けるばかりで自分から誰かに何かを説くなど録にしたことがないテオの視線は、うろうろと定まらなかった。
だが、言葉を宛てられた少女は眠たげな瞼を持ち上げてテオの顔を見上げ、ゆっくりと視線を下に下ろすと所在無さげに呟いた。
「…………それは嫌ね。ごめんなさい」
「分かってくれたなら良いよ」
「もうしないから、これも欲しい」
「ああ、うん。分かった分かった」
ずいと縦笛をテオの顔に押し付ける少女をテオが肯定する。一向に腕の中から立ち上がろうとしないニーナと目を合わせたテオは、一つ息を吐いて膝に頬杖を付いた。
「寒いのはもう大丈夫かい?」
「ええ。多分、もう暖かい」
「そうか。それは良かった」
息を吐くように笑ったテオを見上げたニーナは、フードからはみ出した白金の髪を指先で弄りながら口を開いた。
「貴方、誰にでもああなの?」
「ああって?」
「見かけただけの子どもだったのに。安いものではなかったのでしょう?」
そう言ったニーナの指が白金の髪を逃がし、テオが肩に提げていたままの鞄をつついた。
その中にある長年テオが着古したカーキ色の上着は、朝方まで少女が身に付けていた物であり、あの日路地裏で座り込んでいたニーナにテオが譲ったはずのものだった。
「前も言ったと思うけどこれは貰い物だよ」
「でも随分汚した物でしょう。使い込んだものに愛着は湧かないのかしら」
「湧くこともあるね」
例えば鉱山で使っていた大振りのナイフよりも、手に馴染んだ獲物の方がテオにとっては大事なものだ。
しゃがみこんだテオの膝の上にしなだれ掛かるようにしたニーナは、尚も自分を支え続ける男から目を離さずに問いかけた。
「そんなものも手放すの? 知らない人にも明け渡せるの?」
「時には。そうすることもあるかな」
「どうして? 大事なもの、好きなもの、したいこと。それくらいは自分の手元に置いておけばいいのに」
「ううん。なんと言ったらいいか」
首を後ろに倒して空を見上げたテオが呟く。
五年前、この街に来たばかりの頃を思い出したテオが懐かしさに顔を綻ばせながら口を開いた。
「貰い物をしてばかりだと、悪いことが起きるのだと。師匠から教わった」
別段叱られていたわけではなかった。ただ単に、師匠がその話をしたかっただけなのだと思う。
「貰い物には妖精がいて、その妖精が集まると悪さをするのだと。だから貰い物に着いている妖精が自分の元に溜まる前に、他の人に分け与えなければならないよ、と」
そう言った師匠から手渡された大きな金属の塊は、今日までテオの元で沢山の命を潰して来た。今は宿に置いてある、成長期を終えてもその長さを到底越えられない自らの武器を思い出しながら、テオは腕の中の少女を見下ろした。
鼠色のフードの下、黙って話を聞いている少女の瞳は眠たげながらもしっかりと開かれている。見つめ返す白金の瞳から目を逸らし、テオはゆっくりと目を閉じた。
「俺は沢山を人にもらって生きているから、頑張って沢山を他の人に回さないといけないんだ。じゃないとすぐに妖精に怒られてしまうからね。だからあんなぼろでも君に上げた。ごめんな」
乾いた笑いで話を締めたテオを見上げた少女が小さく首を傾げて口を開いた。言葉と共に吐き出される吐息がテオの首筋を擽る。
「それって貴方のしたいこと?」
「しなければならないと思っているよ」
「そう。私、妖精は怖くないわ。困ったらいくらでも貰ってあげる」
「そうか。ありがたいね」
「でしょう?」
鼠色のフード越しに頭を撫でたテオの手に擦り寄るニーナは微笑んだ。その顔を直視できないまま、テオは小さく息を吸う。
「所で、アーニーはどうしたんだ?」
「……話をしたいなら変わるけれど、私、貴方にもっと抱っこしていて欲しい」
「え? あ、うん。帰ったらするよ」
「……約束よ」
呟いたニーナはテオの小指を自らの小指と絡め、二度ほど縦に揺すった。テオが見慣れないその行為に首を傾げている間に、少女達の交替は済んだらしく、次にテオの顔を見上げた少女の瞳から眠気は無くなっていた。
未だに自らの体を抱えたままのテオを見上げた少女が絡まった小指を離し、鼠色のフードを一段と深く被り直す。目元を隠した少女は、やがておずおずと口を開いた。
「テオ、あのね」
「うん」
「僕、あの馬がいい」
浮いた爪先を擦り合わせる様にした少女が言う。
細い指が先が指し示す先に置かれた木彫りの馬が、嘶くことなく静かに立ち竦んでいる。
少女の両手に抱えられた木製の花びらが、揺れることなくその胸元に収まっていた。
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