第15話

 

【15】




 スヴェンとテオを先頭に、五人は再び歩を進める。十分程歩くと、やがて三つ又に分岐する道に辿り着いた。


「昨日はここから左に進んだ道で襲われて引き返した。これまで八匹も一度に遭遇したことはないからね。巣に近いのかもしれない。まずはそちらを調べきるよ。いい加減、巣にぶち当たれば良いがね」


 連日の戦闘に嫌気が差し始めていたカーラがそう吐き捨てた。片手を上げて仲間の視線を集め、指示をする。


「スヴェン、先を見てきておくれ。一本道で敵を見つけたら牽引して来い。テオは先頭のキラーアントを仕留めろ。昨日と同じく衝突を起こせれば殺りやすくなる」

「了解、リーダー」


 指示を聞いたスヴェンが先行する。絞られた灯りから離れ、暗闇に紛れていく後ろ姿を眺めながら、テオは鞄から投擲散弾を取り出した。縄を握り、長さを調節する。


「ジャレッド、転倒しそびれた奴がいたら引っくり返してやりな。余裕があれば仕留めろ」

「任せろ」


 背負った盾を左手に構え、戦斧を引き抜いたジャレッドが応える。

 静かにルーカスとカーラの前に立つ姿は、突いても倒れる事の無い大木を思わせた。


「ルーカスは指示したらアタシとジャレッドに強化をかけてテオの後ろに下がりな。全体を見てサポートを頼むよ。テオ、後ろに敵を通すなよ」

「はい」

「分かった」


 一つ頷いて返事をしたルーカスが杖を両手に構える。同じく答えたテオも、前面に立つジャレッドと並んだ。

 数分待つと、前方から点滅する小さな灯りがテオの視界に入った。同時に、かちかち、がちがち、と石を打ち合せるような音が耳に飛び込む。


「来たよ。ルーカス、やりな」


 カーラの指示にルーカスが応える。ジャレッドとカーラの二人を、強化魔術の淡い光が包み込んだ。


 テオはその間に、ゆっくりと手にした縄を回転させる。

 縄が重みに軋む音が、やがてひゅんひゅんと風を切る音に変化した頃、暗闇を睨めたテオの目がスヴェンの姿を目視した。


 小型ランプをこちらに向け、四体のキラーアントを背にして疾走している。

 暗い道の中では小さな光を手にしたスヴェンより、光量を戻されたルーカスの魔導光で照らされた四人の方が見つけやすい。


 タイミングを測っていたのだろう。

 テオの手にする縄の加速を確認したスヴェンが、急激に加速した。


「ふッ!」


 スヴェンが横を走り抜けた事を確認し、テオは加速した投擲散弾を振り下ろした。

 乾いた破裂音が響き渡り、テオの鼓膜を揺らす。


 器用に調整された縄の誘導により、投擲された散弾は狙い通り先頭のキラーアントの頭を吹き飛ばした。


 巨体を引き摺るように倒れ込んだキラーアントに、後続の三匹が激突する。

 絡まるように転げ回った三匹の巨大蟻と一匹の死骸が、待ち構えた四人の眼前で停止した。


「フンッ!」


 一匹は思惑通りひっくり返ったが、残りの二匹は脇腹を地面に擦り付けただけで済んでいる。

 そのうちの一匹の浮いた半身が重力に従って地に着く前に、ジャレッドのシールドバッシュがその巨体を引っくり返した。


「ラァッ!」


 転倒しそびれたもう一匹の首は、カーラの素早い剣筋に刈り取られる。

 ひっくり返った二匹は、ジャレッドの戦斧により細い腰から胴を真っ二つに裂かれた。


「終わりかい?」

「はい。恐らく」


 照らした灯りを奥に差し向けたルーカスが後続の気配がないことを確認し答えた。スヴェンも息を整えながらそれに頷く。

 テオも強化を施した目を凝らしたが、特に動くものは見当たらなかった。


「テオ、悪いが先を見てきてくれ。スヴェンを休ませたら後を追う。敵がいたら安全な場所まで下がって、明かりをこちらに向けていてくれ」

「分かった」


 カーラの言葉に頷いたテオに、スヴェンが合図に使った小型ランプを投げ渡した。


「使え」

「ああ、助かる」


 受け取った小型ランプを持ち直し、テオはスヴェンが来た道を進んで行った。進むごと、後方の魔導光の灯りが遠ざかる。


 キラーアントの甲殻は黒に近い。この暗闇がカモフラージュとなり、明かりに乏しい状態ではその姿を捉えることも難しい。

 暗視を施した目で集中して前方を警戒しながら、テオは道を進んだ。


「行き止まり?」


 しかしその努力を嘲笑うように、じりじりと進むテオの前に現れたのは冷たい岩の壁だった。

 地面や他の壁と同じく、その表面には凹凸が目立つ。


「掘り進んでいるのか」


 行き止まりの壁を上から指でなぞりながらテオが呟く。

 垂直ではない。道に対して水平に凹んでいる。丁度、キラーアントがその硬い頭を突っ込むとこういう形になるのだろう。

 擦りながら下ろしたテオの指が、凹みの深さに届かず空を掻いた。


「さっきの奴ら、どこから来たんだ」


 行き止まりの壁に向けていた小型ランプで辺りを照らすも、他に道はない。昨日のように上に抜け道ができていないかとも思ったが、その様子は無さそうだった。

 ここに来るまでの間も、頭上には注意を払っている。見落としたということもないはず。


 そうテオが思案したところで、突如後方から怒号とも破壊音とも取れる大きな音と、微かな振動が響いた。


「なんだ、落盤したか!?」


 どれだけ巨大蟻を葬れようと、人間である以上生き埋めには無力だ。ホゾキから言われた言葉が脳裏を過るも、振動は続かない。


 岩が崩れるなら相応に揺れるはずだ。この程度で終わるなら落盤ではない。なら今の音は何だ。

 浮かんだ疑問に答えを出したテオが、今しがた歩いてきた道を大急ぎで引き返す。


 落盤でないのなら、あの音は何者かが起こしたものだ。この暗い洞穴にいるのは巣食う巨大蟻と調査に来た冒険者達である。


 先程の音が襲撃した巨大蟻を打ち倒した音であるならいいが、二日間彼らの戦い方をそばで見ていたテオは、音の原因は別の物ではないかと予想していた。


 カーラ達四人の冒険者の戦い方は、武器を中心としたシンプルなものだ。魔術を使うこともないので爆発なんて起こりえない。

 ましてや、全員が静音性を重視しているのか、ただそう言う型なだけなのか、インパクトの際に上がる掛け声でさえそう大きくなかった。


 彼らが大きな音を立てる時は、意図的な挑発か、仲間と連携を図るタイミングを合わせるためである。それだってあんな怒号や破壊音にはならない。

 それ以外で言うなら、これまでに一番大きな音を立てていたのはジャレッドの盾が敵の攻撃を防いだ打撃音だが、それだってテオが使った投擲散弾よりもずっと静かだ。

 そもそも、打撃を受け止める盾の音と、先程響いた音では種類が違うように感じた。


「……は、ふッ…」


 全力で駆けたせいで上がる息を抑え込む。

 現状が全く読めなかった。不測の事態は常に覚悟しているが、覚悟があれば動揺の全てが無くなる訳では無い。動揺しても動けるようにするだけの心構えだ。


 特に進んだ先が行き止まりであった今、退路は後ろにしかない。


 合流する。まずはそれを目指す。

 もしカーラ達四人が襲撃を受けていたとして。彼らも簡単にやられるほど甘くない。

 だが昨日がそうだったように、数が増せば撤退を余儀なくされる。この道が行き止まりだったなら、敵は別の別れ道の方から来ているのだろう。


 今、後ろから対応出来ないほどの巨大蟻に来られれば、待ち受けているのは袋小路に追い詰められた惨状のみ。

 それならば、一撃必殺の投擲散弾を持つテオが出来るだけ早く合流し、敵を減らすことが出来れば巨大蟻壁も突破し逃げられる。

 だがこれは、ただの襲撃であった場合だ。


 走るテオが、四人と別れた地点に差し掛かる。別れた時には無かった瓦礫がそこかしこに落ちていた。


 走る速度を緩めて周囲を観察すれば、天井に大きな穴が空いていることに気がつく。範囲が狭いことから崩落した様子ではない。


 テオにはその穴に見覚えがあった。先程の行き止まりのような円形、そして昨日の天井に開いた横道のように奥の見えない深さ。


 キラーアントが天井を食い破って落ちてきたのだろう。先程の音は掘り進められたことで出た瓦礫と、貫通した事によりキラーアントが落下した音だったのかもしれない。


 そしてそれが幸か不幸か、カーラ達四人が休んでいる場所の真上だった。

 偶然ではないのかもしれない。この鉱山に蔓延る巨大蟻が、カーラ達を襲撃するため意図的に穴を開けた可能性もある。


 逃げているのか、それとも戦っているのか。

 少なくともここに辿り着くまでに行き会わなかったのだから、入口からここまで来た道を戻る形で移動しているはずだ。

 そしてここにキラーアントの死体がないことから、巨大蟻もカーラ達を追って移動していると思われる。

 それならば、少なくともテオがすぐ袋小路に追い詰められる心配はない。


 テオは思考に囚われて止まりかけた足を再度動かした。

 今度は慎重に、先に敵を見つけられるよう索敵しつつ進んでいく。


 現状は多少理解出来た。

 多分に予想が含まれるが、巨大蟻、鉱山、大きな音、瓦礫、天井の穴、これらを繋ぎ合わせた連想ゲームで、テオはこれ以外を思い付けない。


 少なくともカーラ達が襲っているか襲われているかであるなら圧倒的に後者である可能性が高いし、彼らが逃げ切れたとき次に襲われる相手で言うならテオがその筆頭だ。


 合流する。一人で群れに当たるのは危険だ。目的は変わらない。


 三又の道に戻る直前、一体のキラーアントが道を塞いでいた。生きている。彼らが逃げた後に別の道から現れたのだろう。

 足音を殺し、気配を殺し。テオは背負った鞄から投擲散弾を取り出した。残数は五だ。


 巨大蟻にはまだ気が付かれていない。無防備な横腹が晒されているが、このまま狙うには距離が遠かった。


「……気付くなよ」


 口の中で音を殺して呟き、テオは手の中の縄を回転させる。擦り足で徐々に彼我の距離を縮めた。ひゅんひゅんと、空を切る鉄の音が大きくなる。


 半歩進む。半歩進む。

 半歩進む。半歩進む。


 繰り返し慎重に距離を詰める。有効射程まで後一歩という所で、巨大蟻が振り向いた。


 その口元に、垂れ下がる物体が見える。おおよそ赤い。純粋な赤ではない赤黒いなにか。人の拳一回り少し小さい程度の大きさのそれは、ぶらりぶらりと、柔らかくその口元で揺れている。


 まるで、酸化した血液のような色だ。ような、では無いのかもしれない。暗いため分かりにくいが、それでも暗視効果が施されたテオの目はそれが何なのかを彼自身に理解させた。


 肉だ。



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