第7話
【07】
ルーカスという男がいる。
この国の国教である聖教。
その聖教に聖職者として仕える彼は、冒険者に就く聖職者の多くがそうであるように、聖職者と癒術師を兼任してそのパーティに属していた。
蝋燭の灯りに灰を溶かした様な、清潔に手入れされた淡い赤毛。人懐こく垂れた濡れた赤土色の瞳。
袖を通すローブは祖父のお下がりらしく、やや古めかしいデザインだが非常に質のいい品だ。地面に付けば腹ほどの高さになる木製の魔導杖はローブとは逆に新しく、冒険者としての活躍に合わせて最近新調したばかりだった。
いつもにこやかで裏表がなく、愛想があって人当たりも良い。柔らかな言葉遣いに、細かな気配り。教養に裏付けられた立ち居振る舞いは美しく、しかし決してそれを気取ることは無い。
ピンと伸びた背筋は自信の表れのようだが、それが決して驕りや傲慢から来たものでは無いことは、少しルーカスと付き合えばすぐに分かった。
その能力も申し分なく、アンデッドの浄化から負傷者の治療まで、聖職者としても癒術師としても、求められた役割は十分にこなして見せた。勤勉な性格で、常に学びと修練を欠かさない。
暇があれば知を求めて書を嗜み、体力が許せば己の内にある術を鍛える。正にお手本のような冒険者の鑑であり、清廉潔白な信徒であった。
そんなルーカスなので、仲間からの信頼は厚く、周囲からの覚えも非常に良かった。
そんな相手を、テオはとても苦手に思っていた。
正確には、テオには諸事情があり聖教というもの自体を好いていない。そのため、聖職者という人種そのものが苦手だった。多少過激な言い方をするのならば、それは嫌悪にも近しいものだった。
テオはその聖教嫌いが祟ってソロをやっているほどである。ポーロウニアのギルドで聖教嫌いの冒険者は誰かを尋ねれば、誰もが真っ先にテオの顔を思い出すことだろう。それだけ普段の生活から態度があからさまだった。
聖職者が聖職者然とし聖職者らしく声を張り、いと素晴らしき聖教の教えとやらを説いていれば、足音をがたがた立てながらその場を立ち去る。立ち去れないなら耳を塞いでそっぽを向く。
知らん振りが出来ない分、大概の人間がテオの聖教に対する苦手意識を初見で察せるほどに、酷い態度であった。所詮名前だけ綺麗なゴロツキの一端である。むしろテオの方が、その口を閉じて手を頭に向けて畳んでいるだけ、行儀がいいのかもしれない。
そんなテオであったが。
丁度一週間前、やらかしていた。
その日のテオは酷く気分が落ち込み、酒場で一人酒を煽っていた。ぐるぐると頭の中で撹拌される感情を、なみなみと酒のつがれたグラスを傾けて腹の底まで誤魔化すのに必死だった。
城壁の防衛戦がここ最近では珍しく、芳しい結果を残せたために、戦勝ムードの冒険者たちがあちらこちらで祝杯を上げている。
そして、そのひとつがルーカスの所属するパーティであった。
余程喜ばしいことがあったのか、ルーカスが声高に聖教の素晴らしさを歌い上げる。手にしたジョッキに揺蕩う酒や場の雰囲気に呑まれていることもあったのだろう。普段なら考えられない程の浮かれ具合だった。
今にも飛び跳ねそうなほど機嫌を良くしたルーカスが、真っ赤に染めた頬を緩ませてテオよりも小柄な体を揺らしている。開いた口からは小気味のいい賞賛が止まらない。
不運なことに、最低な気分と浴びるように飲んだ酒のせいでろくに腕が上がらず、テオは耳を塞ぎそびれてしまった。ぼんやりしたテオの耳に、踊るように跳ねたルーカスの声が飛び込んだ。
誇らしい。栄誉である。素晴らしい。胸を張って。ああ、やっと今日、報われた!
その演説のような歓喜の声を浴びたテオは、気が付けばルーカスの胸ぐらを掴み、その腑抜けた顔にあらん限りの心情をぶちまけていた。
目を見開いて驚くルーカスは、何を言われているのか理解が追いついていないのかもしれない。それでもテオの口は止まらなかった。そもそも理性で歯止めがかかるなら、今ごろテオは財布を置いて酒場から飛び出ている。
喚くテオを止めたのはルーカスの仲間だった。口を回すことに必死になっていたテオは、屈強な重戦士の腕から放たれる拳をまともに受けることになった。吹っ飛んだ拍子に隣のテーブルを倒し、埃だらけの酒場の床に転がり、最後には壁にぶつかって気を失った。
目が覚めた時、テオは酒場の外壁に凭れるように転がされており、何故かそばにはホゾキが居た。
コップ一杯の水を貰って、一言二言言葉を交わす。恐らくその後宿に戻ったはずだが、酷い酩酊状態であったテオはその辺の記憶が曖昧だった。
恐らくアイザックの言っていた、子どもに泣きついた、とはこの後のことだ。全く記憶にない。
まあ、そんなことがあったので。
「今回の合同作戦、よろしくお願いしますね。テオさん」
目の前でにこやかに握手を求めるルーカスと、その相手であるテオを怪訝な顔で睨める彼の仲間達。三人の仲間の内やや一名はその怪訝に少々の呆れも混ざっていた。
それらを前にしたテオは、滝のように背中を流れる冷や汗に体温を奪われる。先週の事に関しては、先に手を出した自分が悪いとテオは考えていた。
だからルーカスにはいつか謝罪をしなければならないとは思っていたし、そしてその機会が訪れるのはもう少し後になるだろうとも思っていた。少なくとも鉱山の事件に関わっている間にルーカスと顔を合わせる予定はテオの中には無かった。
彼らは城壁の防衛依頼の方に当たっていたのではなかったか。だからあの日のルーカスは嫌に機嫌が良かったのだし、そもそも既に入っていた城壁の仕事は報酬が良く、それを蹴ってまで鉱山の仕事を受けるメリットはあまりない。
だからこそ鉱山で昼の調査をするパーティが見つからないのだ。城壁を避けて鉱山へ来るのは、あちらの戦闘に嫌気が差したか着いていけないと判断した冒険者くらいだ。そしてルーカスのパーティはそのどちらにも当てはまらない。
確かに彼の仲間の一人と飲み交わした時、多少の愚痴は聞いた。けれどそれってそこまで本気だったか、とテオは記憶をひっくり返すが、現状は変わらない。
「……すう」
テオは一度落ち着こうと息を吸い込む。肺に溜め込んだ酸素を吐き出す前に、テオは全力の勢いで腰から体を折った。
指を伸ばして腿の横に、曲げるのは腰だけで背は伸ばす。兄弟子に叩き込まれた謝罪法を脳で必死に再現する。
こういうのは勢いでやってしまわないといけない。
尻込みしていては、延々と飲み込めない感情を抱え続けることになる。酒樽から溢れるほどの申し訳なさと恐怖心を、テオは勢いのままに言葉にした。
「先日は!!! 大変申し訳ございませんでした!!!!」
腹の底から叫んだテオの声に、ルーカスの肩がびくりと上がる。
ぎゃ、と小さな声がルーカスの口から漏れるが、すぐに立て直した。しかし目の前のテオの姿を認識してさらに目を丸くする。
「い、いいんです! あれはもういいんです! お願いですから! 頭を、頭をあげてください!」
慌てて頭を上げさせるルーカスは声が情けなく裏返った。両手で杖を抱えたまま、怯んだように腰を引かせる。
その背後で、二人を見守っていた仲間達の豪快な笑い声が上がった。やはりその内やや一名は腹を抱えるレベルで笑い転げている。
しばらくの間、その賑やかな騒ぎ声が鉱山の前に響き渡った。
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