第二百二十八話「奪うものは必ず奪われる」

 洋上プラットフォーム全体を揺るがすほどの大きな爆発が、打ち寄せる波のように何度も繰り返される。

 いななきのように鳴り響く警報は、まるで数多の怪人を閉じ込め続けてきた“村”の断末魔であった。


「…………!」


 ウサニー大佐ちゃんが目を開けると、毛むくじゃらの大きな体が、まるで壁のように視界を覆っていた。

 一拍遅れて、彼女は自分の置かれた状況を理解する。


「ベアリオン様……?」


 降り注ぐ瓦礫から、ベアリオンはウサニー大佐ちゃんを、その身をていしてかばったのだ。


 だが重さ数トンはあろうかという瓦礫の直撃を受ければ、強靭な肉体を誇るベアリオンとて無傷で済むはずがない。


「なぜ、なぜこのような……ベアリオン様ァ!!」


 だがそこでウサニー大佐ちゃんは、はたと気づく。


 さらにもうひとつ、巨大な影がふたりを庇うように覆いかぶさっていることに。

 ベアリオンの目が大きく見開かれていることに。


「キュルルルルルゥ……」

「晴、香……おめえ……」


 それは巨大な恐竜と化した、ベアリオンの家族・・

 体長十八メートルのティラノサウルス、晴香であった。


 彼女はその巨体で受け止めたのだ。

 コンクリートの巨塊を、巨木のような鉄骨の支柱を。


 二本の太い足はコンクリートの床にめり込み、硬い鱗に覆われた背中からは大量の血が滝のように流れ落ちている。

 その傷の深さたるや、一見しただけでもはや助かる見込みはないように思われた。


「「……………………」」


 ふたりの獣人は言葉を失った。


 姿を変えられ自我を失い、催眠ガスで意識を失い。

 なにもかもを奪われたはずの“晴香”は、確かにふたりの命を救ったのだ。


 だが血を流し、頸椎をへし折られてなお、その巨体の生命力は彼女に死の安らぎを与えてはくれなかった。


「キュルルルル……ルルルルゥ」


 “晴香”はまるで、『さあ首を落とせ』と言わんばかりに、ベアリオンの眼前へと鱗の薄い喉元を差し出す。


 自由を奪われ、自我を奪われた彼女はしかし。


 死さえも奪われてなるものかと。

 覚悟と尊厳まで奪われてなるものかと。


 彼女はまるで、そう言っているようであった。


「ウサニー、これから起こることをよく見ておけえ」


 ベアリオンはウサニー大佐ちゃんの頭を軽くなでると、血がにじむほど強く拳を握りしめた。


覚悟に応える・・・・・・、それが家族・・の流儀ってもんだあ。もしオレサマがこうなったら、おめえがやるんだぜえ。なあウサニー、おめえもオレサマの、家族・・だろうがあ」

「……………………はい。承知、しました……ベアリオン様」


 ウサニー大佐ちゃんの心には、もはや止めようなどという気は微塵もない。

 彼らの、家族としての覚悟に水をさすような無粋は、もうない。


 自身のちっぽけな愛だの嫉妬だのは、覚悟の前では塵に等しい。


 たとえその結果、修羅の鬼畜と化そうとも。

 百獣軍団かぞくとして、覚悟をもって覚悟に応えねばならないと。


 ウサニー大佐ちゃんは目をこれでもかと見開いた。

 ベアリオンの覚悟を必ず見届けるという、固い意志をもって。



「すまねえ晴香あ。オレサマもそのうち、そっちに行くからよお」



 硬い拳は鋼の銃弾と化し、引き絞られた上腕二頭筋は撃鉄と化す。

 獣の瞳は照準と化し、一撃で標的を死に至らしめんと狙いを定める。



 覚悟の一撃が放たれようとした、そのときであった。



「……ァァァァァァアアアアアアアアッッッ!!!!!」



 ぽっかりと空いた天井の穴から、人が降ってきた。

 具体的には、男と、その腕に抱かれた女の子と、黒い剣が。


「ウゲッフォア!!」


 男は“晴香”の背中に激突して、潰れたカエルのような悲鳴をあげる。

 それは上層階で戦っていたデスグリーンこと、栗山林太郎その人であった。


 落下の衝撃で、林太郎の腕の中からサメっちが弾き出される。


「ふぎゃんッス!」


 恐竜の背中をまるで滑り台のように転がったサメっちは、拳を構えたベアリオンの前に顔から落下した。


「いたいッスぅ……はっ! オジキとウサニー大佐ちゃん、無事だったッスね!」

「お、おうサメっちい……」

「はうあッス! ふたりともすごく怖い顔してるッスよ! 作戦失敗ッスか!?」

「いや、そういうわけじゃあねえんだけどよお……」


 晴香の背中で大の字に伸びきっていた林太郎が意識を取り戻す。


 背中から落ちたとはいえ、ほぼ最上層から最下層までの落下である。

 下が硬いコンクリートの床であれば無事では済まなかったであろう。


「いてて……し、死んだかと思った……」

「でっ、デスグリーン大佐! 貴様よくもベアリオン様の覚悟をォォォ!!!」

「は? え? な、なにがァ?」


 起き抜けにウサニー大佐ちゃんの罵倒を浴びた林太郎は、状況がまだ理解できずにいた。



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。



 そのとき再び、プラットフォーム全体が大きく揺れた。

 しかし爆発によって、ではない。


 この場にいる林太郎以外の誰もが、揺れの“発生源”を呆然と見つめていた。


「あ……?」


 ただひとり状況が飲み込めない林太郎の目に映ったのは。

 床に深々と突き刺さった黒い剣であった。


「キュルルルゴアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」

「うそおおおおおおおおおおんッッッ!!!」


 それが床ではなく、巨大な生物の背中だと気づいたときには。

 既に林太郎の身体は、高く宙を舞っていた。


「兄弟い!!!」


 弾き飛ばされた林太郎の身体が硬いコンクリートの壁に打ちつけられる直前。

 ベアリオンは矢のような速さで駆けると、とっさに林太郎を受け止めた。


 その衝撃はすさまじく、受け止めたベアリオンの巨体が壁に埋まるほどであった。

 一瞬でも判断が遅れていれば、林太郎の四肢はばらばらに砕け散っていたことだろう。



 だが命の危機という意味では。

 それは早いか遅いかというだけの問題であったに違いない。



「キュルルルルゴアギャギャアアアアアアアスッッ!!!!!」



 もはや声なのか音なのかわからないほどの大音声だいおんじょうが、空気をびりびりと震わせた。

 四人の怪人の前で、背中に剣を突き立てられた巨体がゆっくりと頭をもたげる。


 その怪物の背に刺さっている剣は、けしてただの剣にあらず。

 一時的にとはいえ、全身の100%を怪人細胞に作り替える凶悪な魔剣である。


「デスグリーン大佐、これはいったいなんだ! 貴様いったなにをした!」

「おい兄弟い……こりゃあちっとばかし不味いんじゃあねえかあ……?」

「はわわわわ、アニキぃぃぃサメっちおしっこちびりそうッスぅぅぅ」


 全身怪人細胞化の脅威を、林太郎は誰よりも、その身をもって知っている。


「うわ、やっべ……」


 林太郎の脳裏をよぎったのは『持ってこなきゃよかった』の一言であった。



 爆発的な戦闘力と、無尽蔵の再生力をもたらす純粋無垢な怪人細胞化。


 ただしそれらと引き換えに、理性は蹂躙され、ただ怒りだけが増幅される。

 それが“黒い剣”だ。


 ドラギウスは言った、乱用は控えるようにと。

 今更ながら、林太郎はその忠告を真摯に受け止めるべきであったと後悔する。


「キュルゴギャアアアアアッッッ!!!!!」


 傷を負った箇所はみるみるうちにふさがり、怪人細胞の浸食が全身の鱗を闇色に染め上げた。

 黒々とした巨体を震わせ、魔獣と化した“恐ろしき竜”の双眸が獲物を睨みつける。


 だがその眼が捉えていたのは、四人の怪人ではなかった。

 巨人が振るう槍のように、太く鋭い視線は彼らの背後に注がれていた。



「ひッ……!」



 “村”の自爆スイッチを押した姿勢のまま、恐怖のあまり固まっていた“村”の職員たちだ。

 黒竜と化した“晴香”から自由と肉体を、あまつさえ死の尊厳をも奪った張本人たちだ。


「キュルルルルル……」

「ま、待ってくれ。私は上の……丹波たんば室長の指示でやっただけで……! わ、悪かった、謝るよ。欲しいものがあればなんでもやる。だから一度冷静になって話を……」

「キュルルルゴゴゴギャギャギャギャアアアアアアアアスッッッ!!!!!!!」



 これから起こるであろうことを察した林太郎は、そっとサメっちの目を覆った。





 それ・・が終わったあと、林太郎は黒竜と化した晴香の背中から“黒い剣”を引き抜いた。


 意外なほど素直に差し出された剣を、未来の自分と重ねるように、鞘へと納める。

 自身が手にした力と、それによってもたらされるものの重さを確かめるように。


 奪うものは、いつか必ず奪われる。

 奪われたものは、いつか必ず奪い返す。


 摂理は黙して語らず。

 そうあれかしと、ただ在るのみであった。




 ………………。



 …………。



 ……。




 高速ヘリを操縦していたベテランヒーローは目を疑った。

 洋上プラットフォーム“ヴィレッジ”が紅蓮の炎に包まれ、骨組みだけを残して崩壊しようとしているではないか。


 汗が頬を伝ってしたたり落ちる。

 なにせあの崩れゆく“村”にはいま、ヒーロー本部の実質的なトップ、長官と参謀本部長がおわすのだ。


 アパッチファイブの隊長は最悪の事態も想定しつつ、通信機に指をかけた。


『こちら垂直離着陸戦隊アパッチファイブ、シックス・ツー。“村”にて大規模な爆発を確認。ヘリポート上に数名の職員を目視している』

『本部了解。ただちに人命救助にあたれ。二次災害の発生に留意せよ』

『シックス・ツー了解。しかし怪人の襲撃にしては爆発の規模に画一性のようなものを感じる。本事象はきわめて人為的なものであるように思われる』

『こちら本部。シックス・ツー、余計なことは考えるな。オーバー』


 接近するにつれ、操縦桿からは猛烈な気流の乱れが伝わってくる。

 だが彼は極めて高い操縦技術を駆使し、なんとかヘリポート上でのホバリングに成功した。


 すぐさま搭乗していたヒーローたちが、ヘリポート上でなぜかぐるぐる巻きにされていた職員たちの回収にあたる。


「おいしっかりしろ! 他の連中はどうした!?」

「……残りの職員は、みんな収容区画に……あいつらはもう……」

「馬鹿を言うな! 暮内長官は? 鮫島参謀本部長はいないのか!?」

「……もう手遅れだ……ここもじきに崩壊する……なにもかもおしまいだァ……」


 職員の言葉を聞いたヒーローたちはお互いに顔を見合わせた。

 ヒーローたちは誰ひとりとして口にはしなかったが、状況からこの爆発が職員たちの手によるものだと察する。


 だが目の前で泣きわめく職員たちからは、怪人と刺し違えるような覚悟を感じられない。

 もっと別の、まるでなにか大事なことを隠そうとしているかのような印象を受ける。


「おい! もうもたないぞ!」

「……やむをえん。生存者の探索を打ち切ってここを離れる。総員撤収!」


 ヘリが上昇するやいなやヘリポート全体に亀裂が走り、先ほどまで彼らがいた場所は瓦礫となって海面へと落ちていった。


「くっ、爆風の影響で警告が鳴りやまん。致し方ない、上昇する」

「待ってくれ! いま海面になにか……要救助者かもしれん!」

「こちらでも視認した。あれは……なんだ?」


 それは紫色の光であった。

 光の中心に人影のようなものがかすかに見える。


 だが人影にしては少し、いやかなり大きい。

 紫色の光は、遥か眼下の水面でだんだんと大きくなる。



 そのときヒーローのひとりが叫んだ。



「サメです! サメがタイ焼きと恐竜を抱えています!」





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