第二百六話「地下廃駅」

 サメっちは冷たく暗い地下通路を一生懸命走った。

 頼りない懐中電灯の明かりだけを頼りに、言われた通り振り返ることなく。


 途中何度も転び、サメっちの膝小僧がうっすらと赤く染まったころ。


「ふぎゃっ! あれ? 行き止まりッス?」


 長く続いた地下通路は、一本道の先でぷっつりと途切れた。


 サメっちは勢い余ってぶつけた鼻をさすりながら、壁をよく見る。

 すると壁の一部に、小さな取っ手がついているのがわかった。


「んしょ……んんんー……! 重いッスぅ……!」


 入口と同様、壁に偽装した隠し扉がゆっくりと開かれていく。

 扉の隙間から、ホコリと鉄さびの匂いがサメっちの鼻をくすぐる。


 サメっちが顔を覗かせると、まず目に入ったのは真っ黒にすすけたコンクリートの壁であった。


 広く細長い空間の天井を、丸い柱が等間隔に支えている。

 どうやらそこは、今は使われていない古い地下鉄のホームのようであった。


 しかし路線自体は現在も使用されているのか、目の前に二本並んだレールはよく整備されている。

 だがところどころ壁が崩れ、人の気配をまるで感じられない荒廃したさまはまさしく廃墟だ。


 サメっちは懐中電灯であたりを照らしてみる。

 ボロボロの駅名表示板には、こう記されていた。



「……はつだい……ッス?」



 “旧初台駅跡”


 新宿と渋谷の境界、初台の地下に眠る廃駅である。

 昭和末期に破棄されたこの駅は京王線の整備拠点として利用されているものの、人が立ち入ることは滅多にない。


 一千万人が住む東京23区内において、人ならざる者が身を隠すにはまさにうってつけの場所であろう。


 そして百獣軍団の前身たる“百獣大同盟”が、かつて隠れ家として利用していた拠点のひとつでもあった。



「あったッス!」



 目当ての金庫はさびれたホームの片隅にひっそりと、まるで忘れ去られたように置かれていた。


 大きさはサメっちの背丈ほどもあったが、隠し金庫というにはいささか小さい。

 だが重厚な扉には百獣軍団の所有であることを示すかのように、“獅子と爪痕”の刻印が描かれていた。


 サメっちはネガドッグから預かった鍵で金庫の扉を開く。


 仮にも百獣軍団でも上層部しか存在を知らされていない隠し金庫である。

 さぞや金銀財宝が眠っていることであろう。


「これッス? 思ってたより小さいッスね」


 と思いきや、金庫の中には小さな箱がひとつ置かれているだけであった。



 サメっちが箱を手に取った、そのとき。




「ご苦労さまでした」




 背後からとても聞き慣れた女の声がした。


 育ての親に代わり、何年も面倒を見てくれた彼女の声を聞き間違えようはずもない。

 振り返ると、サメっちがいま最も会いたくない人物がそこにいた。



「お、おねえちゃ……」

「私はあなたのお姉ちゃんではありません」



 ぴんと伸びた背筋にすらりとした鼻筋、サメっちの亜麻色の髪より少し暗いブラウンの髪を束ねた女性。


 サメっちこと冴夜の実姉・鮫島朝霞は眼鏡越しに無感情な目を向けると、傍らに控える部下の烈人に指示を出した。



「暮内さん。金庫の中身の回収をお願いします。怪人の抵抗があった場合は鎮圧してください」



 上官から命令を受けた暮内烈人は、既にヒーロースーツを身にまとった戦闘態勢であった。

 赤いマスクと胸のエンブレムが、薄暗い地下鉄ホームの非常灯が放つ光に鈍く輝く。



「冴夜ちゃん! そいつを俺に渡すんだ!」

「いやッス! ビクトレッドは制汗スプレー臭いから嫌いッス!」

「えええっ!? 朝霞さん! 俺そんなに臭いですか!?」

「臭くないのですみやかに対象の確保をお願いします」


 烈人は己の腕をくんくんと嗅ぐと、気を取り直して両手を構えた。



「了解しました! ビクトレッド、冴夜ちゃんを確保します!」

「百獣軍団の秘匿物の確保を最優先でお願いします。怪人はどうでもいいです」

「またそんな意地張っちゃって! 朝霞さんの妹でしょう冴夜ちゃんは!」

「私に妹はいません。知らない人です」

「ああもう! とりあえず捕まえますから、後で絶対仲直りしてくださいよ!」



 なにやらヒーロー側は内輪もめを起こしているようであった。



 しかしサメっちにとっては絶体絶命のピンチであることには変わりない。


 今度こそ駄目かも。

 そんな思いがサメっちの脳裏をよぎった。


 ビクトレッドは全国のヒーローの頂点にして、いまや押しも押されぬヒーロー本部の“エース”だ。


 かの者に対抗できる怪人はそう多くない。

 たとえばサメっちの兄貴分、極悪怪人デスグリーンならばこの窮地を難なく切り抜けることだろう。


 だがサメっちは救援を出さなかった。

 否、出せなかったのだ。



 サメっちを縛りつけていたのは、嫉妬であった。



 どういうわけか、このところ林太郎から大きな信頼を得た剣持湊。

 そして林太郎の片腕として、極悪軍団の資金難を解決せしめた黛桐華。


 極悪軍団という小さな組織の中にあって、サメっちは急速に存在感を増したふたりに対抗心を燃やしたのだ。


 それは子供が大人の注目を浴びたいと願う、純粋な自己顕示欲だったのかもしれない。



 だが自分も湊のように剣を作ってみたが、ただの飾りにしかならなかった。

 桐華を真似してお金を稼ごうとしたが、逆にピンチを招いて多くの仲間を失った。



 いまサメっちが直面している危機は、サメっち自身が見栄を張り、意地を張った結果に他ならない。


 サメっちは、林太郎に自分という存在をアピールしたいと欲する反面。

 同時に悲惨な結果を招いた自分の醜い欲望を、林太郎に見られたくないと願ったのだ。



「さあ冴夜ちゃん、なにも怖がることなんてないぞ。お兄さんと一緒に行こう!」



 ビクトレッドの大きな手が、荒い鼻息がサメっちに迫る。


「あ、アニキぃ……」


 いまさら呼んだところで来るはずがない。

 他ならぬ自分自身が助けを求めなかったのだから。


 恐怖と自己嫌悪が、サメっちの中でドロドロの渦となる。



 黒いうねりは、ついにその大きな両目からあふれ出した。




「びええええええええええん!! アニキ助けてッスうううう!!!!」




 そのとき、地下廃駅のホームに。


 ごう、と風が吹いた。



 レールの先の闇の奥から、轟音が近づいてくる。


 ヘッドライトのまばゆい光が、サメっちを背後から照らす。

 駅そのものは廃棄されたが、路線はまだ生きているのだ。



 光をまとった地下鉄の車両が、火花を散らしながらサメっちとビクトレッドのすぐ脇を走り抜ける。

 まるで暗い地下の闇を切り裂き駆ける、鋼の龍であった。



 その巨大な龍が、ほんの少し腕を振るったかのように。



「うげぶああああッ!!」



 時速数十キロで走行中の地下鉄。

 その側面に掴まったひとりの男が、車両の勢いそのままにビクトレッドの顔面を蹴り上げた。


 赤いスーツは盛大にホコリを散らしながら、ホームの端から端まで吹っ飛んでいく。


 いっぽうの男は、廃駅のホームに真っ黒な剣を突き立てながら勢いを相殺する。


 もうもうと立ち込める土煙の向こう側で。

 竜を彷彿させる緑のマスクに、走り去る地下鉄のライトが鈍く反射する。




「寄ってたかって子供を泣かせるたあ、とんだヒーローがいたもんだ」




 突然のことに唖然とするサメっちと朝霞の目の前で。

 アークドミニオンが誇る第四の組織、極悪軍団の象徴・死神のエンブレムがひるがえった。



 その意匠を背負うことを許された唯一の男の名は、極悪怪人デスグリーン。

 ヒーロー本部が最も警戒する、目下最大の敵である。



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