第二百四話「東京新宿地下ウォーカー」

 東京品川の地下深く。

 アークドミニオン秘密基地は、いつもと変わらない穏やかな日常の只中にあった。



「身体と頭を動かすには糖分が必要不可欠だ。でも食べすぎはよくないぞ。……よし、これでいこう。どこも不自然じゃあないはずだ」



 いつもより少し静かな廊下を歩くのは、長身に白衣をまとい両手で紙袋をかかえた湊である。

 湊が目指しているは、長い廊下の先にある極悪怪人デスグリーン・栗山林太郎の部屋であった。



「林太郎とキリカ……いるかな……」



 ふたりはどういうわけか、このところ部屋にこもりっきりで姿を見せていなかった。


 なにやら重要な特訓でもしているらしく、部屋の中からは叫び声や、しきりになにかを叩くような物音が聞こえていたのだが。

 湊も邪魔しては悪いと思い、そっとしておいたら気づけば丸三日も経っていた次第である。


 そこでこうして差し入れと称し、わざわざ調理室からお饅頭をもらってきたのだ。


 なんだかんだ考えを巡らせつつも、湊は林太郎の部屋の前へとたどり着いた。



「……林太郎?」



 同じ極悪軍団の仲間とはいえ、いきなり扉を開け放つわけにもいかない。


 それに特訓というものはえてして秘密が伴うものだ。

 親しき仲であっても、一歩と言わず二、三歩ひくのが湊の生まれ持ったさが・・であった。


 湊は中の様子を窺うべく、ドアにそっと耳をつける。


 部屋の中からはぺちぺちという不思議な音とともに、ふたりの話し声が聞こえてくる。


『……ほうらどうした黛。口先では強がっていても、丸裸にしておさえこんでやったら可愛いもんだ。げへへへ……』

『んんッ……あっ……ダメですセンパイそんなところ……んっ』

『うひゃひゃひゃ、ここが弱いのか? ええ? 弱いところをつついてやれば脆いもんだなァ。ほうらどんどん入っていくぞォ』

『ら、らめれすぅーーーッ!』



「はわわわわ、はひゅああああーーーッ!!」



 予想の外から耳に入ってきた嬌声に、湊は腰を抜かしへなへなへにゃんとへたり込んだ。

 手にした紙袋から、お饅頭がころころと転がり落ちる。


 湊は混乱する頭の中でいろいろと考えを巡らせてみるが、いままさに部屋の中で尋常ならざる痴態が繰り広げられているのは間違いないように思えた。

 丸裸にしておさえ込み弱いところをつつくなど、どう解釈してみても林太郎が桐華を手籠てごめにしているとしか考えられないではないか。


 湊の顔は石炭をくべられた窯のように赤く燃え、頭のてっぺんからは沸騰したやかんのように蒸気とステーキナイフが噴き上がる。


 よもや湊のあずかり知らぬところで、極悪軍団の性事情がこれほどまでに乱れていたとは。

 なに食わぬ顔で立ち入ろうものならば、修羅場どころか事案に発展しかねない。



「あわわ……どうしよう……。まさか林太郎がキリカを襲うだなんて……」



 そんな湊の肩を叩く者があった。



「おい貴官」

「はっひゃおあ!!」

「気をしっかり持て。戦場では足を止めた者から死ぬんだぞ」



 軍服姿にウサミミを生やし、片目を眼帯で覆ったその人物はよっこらせと湊の身体を抱き起こす。

 誰あろう百獣軍団のナンバー2、ウサニー大佐ちゃんであった。


「あ、ああ。もう、もう大丈夫だ。自分で立てる。それよりウサニー大佐ちゃん……なんでここに?」

「うむ。ネガドッグから救援要請があってな。なにがあったかは知らんがサメっち二等兵も一緒だということで、デスグリーン少佐を叩き起こしにきたのだ」


 湊の顔からドババッと冷や汗がしたたり落ちる。

 ついでに短い包丁のようなナイフ、スクラマサクスが白衣の裾からダース単位でまろび出る。


 極悪軍団に籍を置く湊としては、桐華の貞操ももちろん心配ではあるものの。

 それ以上に、ウサニー大佐ちゃんにこの現場を押さえられるのは非常にまずいという恐怖があった。


 規律に厳しく、アークドミニオンの風紀を正すためならば高圧電流も辞さないウサニー大佐ちゃんである。

 先日も“えっちな本”を隠し持っていたザコ戦闘員のひとりが、半殺しの状態で医務室に運び込まれてきたばかりだ。


 そんな彼女が婦女暴行の現場を目撃しようものなら、問答無用で刃傷沙汰になりかねない。

 ウサニー大佐ちゃんはたとえ他軍団の軍団長だろうが、やるときはやる。


 湊の脳裏に、怒り狂うウサニー大佐ちゃんによってまっぷたつに引き裂かれる林太郎の姿が浮かんだ。


「待った! 待ってくれウサニー大佐ちゃん、少しだけ時間をくれ!」

「なにを言っているんだミナト衛生兵長。いますぐにでも救援を送らねばならんのだぞ」

「とにかくいまはダメなんだよぉ! せめて服を着て弁護士を呼ぶまで待ってくれぇ!」

「いやに食い下がるじゃないか。だが悠長なことをしていられる余裕はないのでな。悪いが押し通らせてもらう」


 ウサニー大佐ちゃんが湊を押しのけ、ドアノブに手をかけたそのときであった。

 わずかに開いた扉の隙間から、ふたりの話し声が漏れ聞こえてくる。



『ああうッ! まいりました! まいりましたァッ!』

『わはははは、初めてという割にはいい具合じゃあないか。それじゃあようやく馴染んできたところでもうひと勝負といこうか』

『ひうっ、センパイそんな……連続で……! 私もうセンパイの強引なロケットなしじゃ満足できないからだになっちゃいますぅぅ……!』

『いい顔をするじゃないか。今度は三段ロケットってやつを見せてやるぞぅ。こいつがどこまで深くまで突き刺さるか試してみようじゃないかぁ、ぐへへへへ!』



 静かに、しかし意外なほど穏やかに。

 ウサニー大佐ちゃんはドアノブから手をはなした。



「いや、その……きっと林太郎にもいろいろ事情があるんだ、最近ストレスも溜まってたみたいだし。私からも言って聞かせるからどうか罪を償って更生する機会を……」


 おろおろと取り繕おうとする湊の前で、ウサニー大佐ちゃんはすっと目を細める。

 そして地面を這うほどに、低く低く姿勢を落とした。


「なにをいっているんだみなとえいせいへいちょう。わたしはこれっぽっちもおこってなんかいない」

「林太郎逃げろーーッ!! ウサニー大佐ちゃんは本気だーーーッ!!!」

「フルパワードロップ蹴兎シュートッッッ!!!!!」


 湊の叫び声が中にいたふたりの耳に入るのと同時に。

 ウサニー大佐ちゃん渾身の必殺キックによって、コクタン製の重厚な扉は木っ端みじんに砕け散った。



「うおっ!? なんだいきなり!? 入るときはノックしてくれとは言ったけど、そこまで激しくすることはないだろ」

「黙れ。反省ならばサルでもできるが、貴様にはそれすら必要ない。己の行いをただ悔いて死ぬがいい」


 全身から真っ赤な殺意をたぎらせるウサニー大佐ちゃんを、湊が必死に押し留める。


「わあああああッ! 林太郎逃げろぉーッ! 高野山で頭を丸めて許しを請うんだーッ!」

「待ってください。悪逆非道のセンパイがいったいなにをしたっていうんですか?」

「……むっ?」



 ウサニー大佐ちゃんの前に立ちはだかったのは、他ならぬ被害者と目された桐華自身であった。

 多少疲れた様子はあるものの、乱暴された形跡もなければ着衣も乱れていない。



「これはどういうことだ。貴官たち、密室でいったいなにをしていた」

「……はあ、また早とちりか」



 きょとんとするウサニー大佐ちゃんと湊を交互に見ながら、林太郎がやれやれといった風に溜め息を吐く。


「いいかい君たち、俺たちは別にやましいことをしてたわけじゃない。そうだろう黛?」

「はい。金のとなりに玉を置いて相手の弱いところを攻めあっていました。私が初めてだと言ったらそれはもうめちゃくちゃに揉みしごかれまして」

「おやおやァ? 黛は将棋という言葉をご存じない? からかっちゃあいけないよ。一番冗談が通じない怪人ひとなんだから、命にかかわるよほんとに」



 強引に部屋に踏み込んだウサニー大佐ちゃんは、いまだ怒気をはらんだ視線を林太郎と桐華の背後へと移す。

 そこにはかつて林太郎がビンゴ大会で手に入れたかやの将棋盤が置かれていた。


 ちなみに三段ロケットとは、香車と飛車の駒を縦にみっつ並べた強引な攻め手の一種である。

 けしてやましい隠語などではない。



「……………………」



 ウサニー大佐ちゃんは黙って己の背後を振り返る。

 そこにはもはや原型を留めていないドアが、床に落としたコーンフレークのように散らばっていた。


 そしてゆっくりと、身体をかがめて両膝と両手を絨毯に置く。


「……すまなかった。この上はいかなる罰も受けよう……」

「はやまらないでくれウサニー大佐ちゃん。なにか用があってきたんだろ?」

「はっ! そうだった! デスグリーン少佐、緊急事態だ!」



 ウサニー大佐ちゃんは我に返ると、ネガドッグから受けた救援要請の内容をかいつまんで伝えた。


 百獣軍団の一員、負犬怪人ネガドッグがヒーロー本部から包囲を受け逃走中とのことであった。

 だが林太郎にとって重要なのは、その逃走劇にサメっちと極悪軍団のザコ戦闘員一同も巻き込まれているということである。



 それまでの気の抜けようが嘘のように、林太郎の周りの空気が張り詰めた。



「デスグリーン少佐、すでに百獣軍団の先発隊を送り込んである。私もすぐに発つが、可能であれば貴官の隊への同行を許可願いたい」

「……わかった」


 林太郎はすぐさまジャケットを羽織り、デスグリーン変身ギアの調子を確認する。


「黛、足の手配だ。ワゴンタイプで足の速いやつを頼む」

「了解しました」

「怪我人が出ているかもしれない。湊は医療用の物資を選別してくれ。積み込んだらすぐに出るぞ」

「わ、わかった!」


 桐華と湊に指示を飛ばしながら、林太郎自身はクローゼットから銃器やら手榴弾を取り出してバッグに詰め込む。

 わずか30秒でそれらの支度を済ませると、最後に壁に立てかけてあった“黒い剣”を手に取った。



「…………」



 不意に林太郎の視線が、ベッドサイドに置かれたダンボールの剣『ふかひれまる』へと吸い寄せられる。

 同じく危機に巻き込まれているであろう、サメっちからの救援要請は、まだ無い。



「どうした、デスグリーン少佐」

「……いや、なんでもない。行こう」



 一抹の不安を振り払うように、林太郎は穏やかな日常を後にした。




 ………………。



 …………。



 ……。




 日の光に追われ、闇にうごめく者たちは陰を歩くのが常である。

 新宿歌舞伎町の足元深く、先も見えない地下道をく一団があった。


 ヒーロー本部が布いた検問の包囲をかいくぐり、新宿からの脱出を目指す怪人たちである。


「ニャンゾからの連絡が途絶えたワン……きっともう死んでしまったんだワン……悔しいワン……口惜しいワン……」

「うぅ……サメっちのせいッス……。ニャンゾごめんッスぅ……」

「サメっち、泣いてる暇はないワン……やつの尊い犠牲を無駄にはできないワン……」


 猫又怪人ニャンゾが捕らえられてから既に一時間が経とうとしていた。


 懐中電灯を手に隊列の先頭を行くのは、嗅覚に優れた負犬怪人ネガドッグである。

 その後ろにサメっち、そして極悪軍団のザコ戦闘員たちと続く。


 ザコ戦闘員を束ねるバンチョルフが、おそるおそる話しかける。


「あの……ネガドッグさん。ニャンゾさんはなんで危険を冒してまで戻る必要があったんでオラウィ? 忘れ物とか言ってましたけど……」

「………………聞きたいかワン……?」


 ネガドッグは立ち止まると、なにを言うでもなく懐中電灯のライトを下から己の犬顔に当てる。


 あれは人間がやるから怖いのであって、柴犬みたいな顔のネガドッグがやったところでなにも怖くないのだが。

 いかんせんこの場においては最も経験豊富なベテラン怪人ということで、皆一様に息を呑んだ。


 いつになく真剣な顔と声で、ネガドッグはボソボソとつぶやく。


「……百獣軍団の……隠し金庫の場所を示した地図だワン……」

「ほんとにやばいやつッスゥ!!」

「それがヒーロー本部の手に渡ったら……お、俺たちどうなるんですかオラウィ!?」


 事態はサメっちやバンチョルフが想像していたよりも、はるかに深刻であった。


 百獣軍団は秘密結社アークドミニオンの最大派閥である。

 その生命線ともいえる財政の要が、いままさにヒーロー本部の手に落ちようとしているのだ。


「鍵はボクが持ってるワン……。だけど金庫そのものを押さえられたら、詰みだワン……。……このまま帰ったらおしりぺんぺんじゃ済まないワン……」


 百獣軍団を束ねるのは、その前身たる関東いちの武闘派組織『百獣大同盟』の元ヘッドにして、暴力の化身のようなあのベアリオン将軍である。

 彼を本気で怒らせようものなら、ぺんぺんどころかおしりごと下半身をもぎ取られかねない。


 サメっちとザコ戦闘員たちの顔から、さーっと血の気が引いていく。


「こうなったら、金庫に先回りして中身を運び出すしかないワン……」

「その金庫ってのは近くにあるんですかオラウィ?」

「本当は秘密なんだけどワン……この際仕方ないワン……」



 そう言うとネガドッグは、鼻をクンクンと動かしながら立ち止まった。

 見つめる先は、なんの変哲もないコンクリートの壁である。


 しかし。



「……ここだワン……」



 ネガドッグが手をかざして力をこめると、まるで回転扉のように壁の一部が開いたではないか。



「すごいッス……隠しとびらッス!」

「戦後に封鎖された、秘密の地下道だワン……さあついてくるワン」



 明かりひとつない闇の奥からは、背筋も凍るような冷たい風が吹いていた。




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