第二百二話「熱い炎、とけない氷」

 朝霞と烈人は一般人を装って夜の歌舞伎町を訪れていた。


 パンツスーツ姿の朝霞に続いて、さすがに半袖半ズボンは目立つということで無理やり新品のスーツを着せられた烈人が後を追う。

 ふたりの姿はまるで、キャリアウーマンとアゴでこき使われる新入社員であった。


 ふたりがヒーロー本部の中枢を担う参謀本部長と長官代理だとは、道行く誰もが思いもしない。

 だがその肩書きの通り、彼女らのもとには都内で起こったあらゆる怪人事件の情報が入ってくる。


 そのほとんどは管轄ヒーローを現地に派遣する対応に留まるのだが。

 ことこの件・・・に関して、自ら出向くべきだと朝霞に主張したのは他ならぬ烈人であった。


「冴夜ちゃん見つかるといいですね朝霞さん!」

「それについては別に気にしていません。たまには現場に出ておくべきだと判断しただけです」


 ふたりのもとに情報がもたらされたのは今日の昼過ぎのことである。

 数日前、新宿歌舞伎町に凄まじい的中率を誇る占い師が現れたのだという。


 それだけならば事件性はなかったのだが、歌舞伎町中のホストが次々と謎の黒タイツに襲われて髪の毛を刈り取られたとあってはヒーロー本部が調査に赴かざるをえない。


 少なくとも件の占い師が“歌舞伎町ホスト丸坊主事件”に関与していることは明らかだ。

 その証拠として占い師のもとを訪れた客による隠し撮り映像が、既にSNSで拡散されている。


『フカヒレピッチ……サメピッチ……。歌舞伎町のホストがみんなマルガリくんになるであろうッス……。でもこのありがたい壺がチャラ助の毛根を守ってくれるッスよ』

『まぁじで!? 買う買う買っちゃう! てか誰がチャラ助? マジうけるー』

『まいどありッス。チャラ助よ、いつまでも良きチャラ助であれッス』


 動画の中では深い海色のヴェールを被った少女がホストに高額な壺を売りつけていた。

 この壺を買ったホストは難を逃れたというわけだが、注目すべきはこの動画に出てくる占い師“ボンゴレビアンコ鮫島”である。


「これどう見ても冴夜ちゃんですよね?」

「暮内さん、呼称の不統一は現場に混乱を招きます。今後は“牙鮫怪人サーメガロ”と呼ぶようにしてください」

「もう、そんなことばっかり言って! 朝霞さんどうしちゃったんですか!? あれだけ冴夜ちゃんに会いたがってたじゃないですか!」

「会いたがってなどいません。私はヒーロー本部職員として、法に則り局地的人的災害を鎮圧するだけです」


 朝霞は食い下がる烈人を振り払い、はや足で件の占い師が店を構えているという路地へと向かった。



 例の占い師がいるというテントは、驚くほど呆気なく見つかった。

 これだけ目立つ看板が出ていれば見つけられないほうが無理というものだろう。


「朝霞さん見てこれすごいよ! イギリスのスピリチュアルマスター検定特S級だって!」

「イギリスにそんな検定はありません」

「えッ!?」

「……中はもぬけの殻ですね。しかしつい先ほどまで誰かいたようです」


 朝霞は躊躇なくテントに踏み込むと、脱ぎ捨てられたばかりと思われる海色のヴェールを拾い上げた。

 まだほんのりと温かいところから察するに、おそらく自分たちが来る気配を察して裏口から逃げ出したのだろう。


 スーツの懐から通信機を取り出すと、朝霞は歌舞伎町を取り巻くように待機しているヒーローたちに呼びかけた。


「対象はまだそう遠くへは行っていません。歌舞伎町全域の検問を強化してください。通行人を巻き込む可能性があるので、発砲は控えるように」

「なにか焦ってませんか朝霞さん。やっぱり冴夜ちゃんのこと……」

「冴夜は関係ありません。任務に集中してください暮内さん。急いで逃げたならなにかしらの痕跡が残されているかもしれません」


 朝霞は眼鏡をクイッと掛け直すと、白い検分用手袋をはめてテント内の物色を始めた。

 逃げた怪人を闇雲に追うよりも、こうした地道な調査が実を結ぶこともあるのだ。


「えぇいッ!」


 黙々と手がかりを探す朝霞の手から、烈人はガラス玉を取り上げた。

 朝霞はあからさまに不機嫌そうな顔をすると、眼鏡越しの冷たい視線を烈人に送る。


「暮内さん、それは重要な証拠品です。指紋を採取するので素手で触らないでください」

「そんなことどうでもいいよ朝霞さん! 俺は朝霞さんのことが心配なんです! ねえ教えてくださいよ、冴夜ちゃんとなにかあったんでしょう?」

「なにもありません。意味のない質問で現場を乱さないでください」

「隠さないでよ朝霞さん! さすがの俺でもわかりますよ、朝霞さん嘘つくの下手すぎるもん!」


 図星を突かれたからか、朝霞の眉がぴくりと動く。

 隠しているつもりでも感情がすぐ顔に出るのは鮫島家の血筋であった。


 絶望的に空気の読めない烈人でも、さすがに毎日夜も昼もなく顔を合わせていれば癖には気づくというものだ。


「だとしても暮内さんには関係ありません。証拠品を返してください」

「嫌です! 俺に関係なくても朝霞さんには関係あるから今こうして話してるんです!」

「越権行為です。公私混同はやめてください」

「公私混同するよ、俺は! だって家族なんでしょ! 意固地にならないでよ!」

「意固地になんてなっていません。私は最初からこんな感じです」


 朝霞と烈人は狭いテントの中で、ガラス玉を巡って揉み合いになる。

 腕と腕がからまり、脚がもつれて地面に敷かれた絨毯の上に倒れ込んだ。


 はからずしも、烈人が朝霞を押し倒すような形である。


「ッ! ごめん朝霞さん! 怪我はない!?」


 烈人はすぐさま身体を起こすと、朝霞を抱き起こすよう背中に腕を回した。


「朝霞さん……あの、俺……」

「これ以上、私を困らせないでください」


 朝霞は冷たくそう言い放つと、烈人の腕を拒んだ。

 もうこの件にはかかわるなと言わんばかりに。



 しかし。


 まるで関係ないとばかりに、烈人は朝霞をよりいっそう力強く抱き寄せた。


「はなしてください暮内さん、痛いです」

「はなしません! 俺、朝霞さんが悲しそうにしてるときは力になりたいです!」

「悲しんでなどいません。それは暮内さんの思い込みです」

「じゃあ思い込みます! そして力になります、一方的に! 俺は朝霞さんのこと好きだから!」


 烈人の肩を抱く手に力が入る。


 薄暗いテントの中。

 その炎のようにたぎる眼差しは、凍った瞳をまっすぐに見つめていた。

 ただの空気を読めないお人よしが、こんな顔をするだろうか。


 朝霞の心を閉じこめていた分厚い氷に、音もなくヒビが入る。

 痛いほどに引き寄せられた身体の内側から、いつしか忘れていた熱がこみ上げてくる。


「暮内さん……」


 朝霞は聞こえないほどの小さな声で、烈人の名を呼ぶ。

 それに応えるように、烈人は人懐っこくニカッと微笑んだ。


「俺、守國さんも好きです! それからジョニーや黄王丸や桃島も好きです! あとエビチリも!」

「そうですね、あなたはそういう人です。はなしてください、本当に痛いので」

「わあ! ごめんなさい! ねえ朝霞さん今度はなんか怒ってない?」

「怒ってません」



 朝霞がホコリを払いながら立ち上がろうとしたそのとき。

 テントの入口のほうから人の気配がした。



「……!? 暮内さん、規制線は?」

「張ってません! 忘れてました!」


 本来であれば現場保持のため一般人の立ち入りを禁止するところである。

 だがその措置を取っていないとなると、人が入ってくるのは当然のことだ。


 これがもしただの客ならばさしたる問題はない。

 だが万が一逃げた怪人たちが戻ってきたのであれば、この狭い場所で遭遇戦になるのは避けるべきだろう。


 朝霞はとっさにテント内を見渡す。

 テーブルの下にならばひとりぐらいは身を潜められるかもしれない。


「暮内さん、ここに隠れてください」

「朝霞さんはどうするんです!?」

「考えがあります」


 そういって烈人をテーブルの下に押し込むと、朝霞はガラス玉を拾い上げて海色のヴェールを頭からかぶる。

 朝霞が椅子に座ったのと入口からキャバ嬢らしき女の子が顔を覗かせたのは、ほぼ同時であった。



「あのー……100%当たる占いってここですか……?」



 ヴェールをまとった朝霞は、ガラス玉に両手を添えると神妙な声で客に向かって語りかけた。



「あなたが来ることはわかっていました。ようこそボンゴレビアンコ鮫島の館へ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る