第二百話「三日間征服戦争」

 茶封筒の束を抱え、廊下を歩く影があった。


「なんで彼らはこうもどうでもいいことに全力で非効率的なアプローチばかりするかね」


 林太郎が片手で抱えているのは、総数893件にも及ぶ『名称案』であった。

 ただの紙の束とはいえこの数にもなるとなかなか腰と膝にくる。


 しかしぞんざいに投げ捨てるのもはばかられた。

 何故ならこれらひとつひとつには怪人たちの思いが込められているのだ。


 といえば聞こえはいいが、実際には大喜利よろしく遊び半分で投じられたものがほとんどだ。


「『超最強無敵最強剣』……これはベアリオン将軍だな。『Memento Mori死を忘れるな』……これはザゾーマ将軍か……どれもこれもロクなものじゃないな。みんな他人事だと思って適当なことばかり言いやがる」


 林太郎はあいた片手で器用に封筒を開いては束に戻していった。


 四幹部の名称決定会議のときもそうだったが、林太郎自身どうにも自分のこととなるとしっくりこない。

 なかには100案以上を出す気合いの入った者もいたが、林太郎はそれらを全て却下して、結局ただの“黒い剣”と呼ぶことにした。




 …………。




 そんなこんなで重い荷物を抱えながら自室の前まで辿り着くと、ちょうど部屋を訪ねてきた客人と廊下で鉢合わせになった。

 絡繰将軍タガラックの腹心がひとり、燕尾服姿のバトラムは“Tagazon”と書かれた小さな箱を抱えて深々と頭を下げる。


「デスグリーン様、例のブツをお届けにあがりました」

「おお、間に合ったか! さすがは天下のTagazonだ!」


 Tagazonとは、タガデングループが展開するオンラインショッピングネットワークである。

 一度注文すればそこが山間のド田舎だろうがグリーンランドだろうが必ず時間指定通りに届くという、まるで機械のように正確な流通網を誇る世界シェアナンバーワンの通販サイトなのだ。


 林太郎は昨夜のうちにタガラック経由でとある品物を注文していた。

 中身はずばり銀座にある超有名洋菓子店の、7500円もするクッキーの詰め合わせである。


 湊にも謝るよう釘を刺されてはいたが、これは桐華とサメっちへのお詫びの品であった。

 即物的ではあるにせよ、関係修繕にはプレゼントがとても有効だ。


 なにせいくら邪魔される可能性があったとはいえ、睡眠薬を盛ってまでふたりを除け者にした挙句、拉致されて多大な迷惑をかけたのだから。

 お礼とお詫びを兼ねた贈答品ぐらいあってしかるべきなのである。


「これで機嫌直してくれりゃいいけどな」

「それではデスグリーン様、私はこれにて失礼いたします」

「ああ、悪いな直接届けてもらって。タガラック将軍にもよろしく伝えておいてくれ」

「かしこまりました。それでは、存分にお励み・・・くださいませ」


 なにやら含みのある言い方ではあったが、林太郎は少しひっかかりを覚えつつも気に留めることはなかった。


 今はそんなことよりも目の前のことに集中しなければならないのだ。


 サメっちはともかく、桐華に至っては今回の一件に関してどれほど腹に据えかねているかわかったものではない。

 対応を間違えれば拳の一発や二発、飛んできてもおかしくはないだろう。



 林太郎は苦手な笑顔を作ると、両手に荷物を抱えたまま肘で器用に自室の扉を開いた。



「た、ただいまァ~」

「あっ、アニキおかえりッス! もうちょっとでできるからちょっと待ってほしいッス!」


 部屋には大量のダンボールの切れ端が散乱し、その真ん中でサメっちが棒のようなものにセロテープをぐるぐる巻いていた。

 ざっと見たところ桐華の姿はない。


「サメっち、それはいったいなんだい?」

「むふふッス。ちょうど完成したところッスよ」


 どうやら此度の騒動に関して、サメっちは怒っていないらしい。

 林太郎は荷物を置くと、テーブルを挟んでサメっちの正面にあるソファに腰掛けた。


「じゃじゃーんッス! なんとサメっちからアニキへのプレゼントッス!」


 サメっちはそう言って胸を張ると、鼻息を荒げながら林太郎にダンボール製の棒を手渡した。


「プレゼント? 俺に? ああ……ありがとう」

「ドヤァ……ッス」


 林太郎は手渡された棒をまじまじと見つめる。

 形状から察するに剣だろうか、厚紙で補強された刀身にはマジックで『ふかひれまる』という銘が打たれていた。


 何枚ものダンボールを重ねて作られた、そこそこしっかりしたチャンバラ剣である。

 部屋中に散乱する失敗作の山を見るになかなかの力作だ。


「アニキ、どうッスか?」

「よくできてると思うぞ。じゃあ、折れちゃうといけないから飾っておこうか」


 何故突然サメっちが図画工作に目覚めたのかはよくわからないが、林太郎はとりあえずもらった『ふかひれまる』をベッドサイドに立てかけた。


「むむむぅッス……」

「それよりサメっち、黛はいないのか? 会議にも顔を出してなかったみたいだけど」


 林太郎は脚立を取り出しながらそう言うと、自室の天井裏を覗き込んだ。

 いつの間にやら桐華の私室と化していた天井裏に、人影はない。


「んー? 黛のやつ、どこいったんだ? 最近神出鬼没感が増してるような……」


 そう言って天井裏に上ろうと腕に力を入れた瞬間、林太郎は両の足首をぎゅっと掴まれた。


「センパイは女の子の部屋に興味がおありですか」

「どわああああああああッ!!!」


 突然の出来事に脚立から転げ落ちた林太郎の身体が、お姫様抱っこのかたちでキャッチされる。

 思いのほか近い距離で、じっとりとしたスカイブルーの眼が林太郎の顔を見つめていた。


「お疲れ様ですセンパイ。黛桐華、ただいま戻りました」

「黛お前……脚立に上ってる人をいきなり脅かしちゃダメって習わなかったのか……?」

「センパイこそ、うら若き乙女の部屋に無断で踏み込むなとは教わらなかったご様子で」

「いやお前の部屋じゃないんだよね。俺の部屋の天井裏なんだよね」


 林太郎はお姫様抱っこのまま桐華に運ばれると、ソファにそっと下ろされた。

 そして桐華自身はサメっちの隣に音もなく腰掛けると、なにを言うでもなく林太郎と向き合った。


 こちらの言葉を待っているところを見るに、サメっちとは違って機嫌はあまり良くないように思える。

 不意の遭遇となってしまったが、林太郎は呼吸を整えると桐華とサメっちの顔を見比べて声を絞り出した。


「えー、このたびは……」

「その前に、ちょうど良いので共有させていただきますね」


 桐華は林太郎の謝罪を遮ると、一枚の書類をテーブルに突き出した。

 書類にはたくさんの数字がびっちりと書き込まれている。


「……なにこれ?」

「今月の極悪軍団の収支報告書です。先月はお金の件でずいぶん苦労しましたからね。今後はそういったことがないよう、団員の皆さんと一緒にこの一ヶ月資金稼ぎに奔走していたんですよ」


 林太郎は改めて差し出された書類に目を通す。

 ただの数字の羅列でしかないが、紙面からは極悪軍団員が一丸となって組織の下支えをしてくれている様子がありありと見て取れた。


 最近どうにも神出鬼没であった桐華は、陰でこっそりと極悪軍団存続のために長期的な資金運用を行っていたのだった。


「黛、お前最近忙しそうにしてると思ったらこんなことしてたのか!?」

「惚れました?」

「ああ、もちろ……いやいや。助かったよ、ありがとう黛。……怒ってないのか?」

「怒ってますよ」


 言葉とは裏腹に、桐華の口調は穏やかであった。

 だがその目は真剣そのものだ。


「今回はかろうじて間に合いましたが、センパイあと少しで死んじゃうところだったんですよ。ウサニー大佐ちゃんの言葉を借りれば、私たちは家族なんですから。これからは隠しごとはナシにしてください」

「まゆずみ……」

「私だって後悔したんですよ。センパイが無事でいてくれることに比べれば、多少の火遊びぐらい目をつぶるべきだったって」

「ウッ……それについては本当に悪かったって思ってるよ」


 黛の口からつむがれるのは怒りや非難の言葉ではない。

 なによりも林太郎を想う心に満ちた家族としての温かさである。



「センパイ、ご無事でなによりです。おかえりなさい」



 迂闊にも林太郎は少し泣きそうになった。


 プレゼントを片手に平謝りで許しを請おうとした矢先に、先手を打たれて大きな贈り物を頂戴してしまったのだ。


 彼女たちは林太郎や極悪軍団のことを第一に考えてくれていた。

 ふたりに許しを請おうなどと、怒りに怯え姑息に贈答品まで用意した己が情けない。



「はわ……はわわわわッス……」



 サメっちに目をやると、収支報告書を両手で握りしめながらぷるぷると小刻みに震えていた。

 おそらく読んだところで意味はわからないだろうが、なにかしら感じ入るところがあったらしい。


「サメっち?」

「こうしちゃいられないッス!」


 ふかふかのソファからぼよよんと立ち上がると、林太郎が引き留める間もなくサメっちは部屋から駆け出して行った。


 ダンボールの剣といい、いったいなにを焦っているんだと林太郎は小首を傾げる。

 ひょっとして湊や桐華に対抗しようとしているのだろうか。


 ともあれ当初の予定とは少し異なってはいるものの、林太郎はふたりと無事和解できたことに胸をなでおろしていた。

 加えて悩みの種であった極悪軍団の活動資金問題にも目途が立ったときている、まさに良いことづくめだ。


 しかし桐華にこれほどの商才があったというのは驚きである。

 なにをやらせても器用にこなす完璧な後輩ではあるのだが、自発的に動いてくれたのは嬉しい誤算だ。


「なあ、実はサメっちと黛のために買ってきたものがあるんだけど」


 今となってはただのプレゼントではあるものの、林太郎はまるで今思い出したかのようにTagazonの箱を桐華に差し出した。


「おおかた、怒られそうだからプレゼントでご機嫌を取ろうとしたってところでしょう? 違いますか?」

「なんだよ全部お見通しか」

「センパイのそういうマメなところ、私は好きですよ。……ッ!?」


 箱を開けるなり、桐華はまるで石になったように身体を強張らせた。

 みるみるうちに顔が耳まで赤くなっていく。



 さすがは銀座の超有名洋菓子店で7500円もするクッキーの詰め合わせである。

 プレゼント効果は抜群だと林太郎は心の中でほくそ笑んだ。


「センパイ、あの……これは? 私に召し上がれということですか?」

「ああ、サメっちと一緒に食ってくれ。遠慮はいらないぞ」

「サメっちさんと一緒に!? センパイ正気ですか!?」


 いったいなにをそんなに慌てているのだろうか。

 しかし林太郎は頭から湯気を立ち昇らせる桐華を見て、そこまで喜んでくれるなら贈った甲斐があったと心の中でガッツポーズを取る。


「たくさん入ってるからな、ひとりでなんとかなる量じゃないだろう」

「それは……そうですけど……こんなにたくさん……」

「といっても、ふたりなら三日で全部なくなっちゃいそうだけどな」

「そんなに早く!? 冗談でしょう!? 身体がもちませんよ!?」


 随分と驚いているが、桐華はそんなに甘いものが苦手であっただろうかと林太郎は疑問に思う。

 林太郎が知る限り、桐華はホットケーキにもメイプルシロップをたっぷりかけるほどの隠れ甘党だ。


 そもそも高級店のクッキーの賞味期限などせいぜい一、二週間ぐらいではなかろうか。

 甘いもの大好きなサメっちとふたりで食べれば、それこそ三日ぐらいでなくなってしまいそうなものだが。


 桐華は身体をもじもじと揺らしながら、さきほどまでとは打って変わって今にも消え入りそうな細い声で林太郎に尋ねる。


「あの、センパイ……これ。今すぐ“味見”してもいいんですか……?」

「ん? そうだな。サメっちのぶんを残しておいてくれるなら良いんじゃないか? 我慢なんかしなくていいぞ」

「わかりました。センパイが早く食べろと仰るのであれば……私、頑張ります……!」

「んんん? まあ大きいぶん食べごたえは十分だからな。でもちゃんと味わってくれよ?」

「はいセンパイっ! 全身全霊で隅から隅まであじわわせていただきます! じっくりねっぷりと!」


 とてつもなく気合いが入っている。

 確かに多少サイズ感はあれど、クッキーを食べるだけのことにいったいなにをどれほど頑張るというのか。


 どうにも話が噛み合っていないような気がする。




 コンコンコン。




 そのとき、部屋の扉がノックされた。


「デスグリーンさーん、ご在宅ですかウィー?」


 訪問者はザコ戦闘員であった、いったい如何なる用向きであろうかと林太郎は立ち上がる。


 林太郎が扉を開けると、タガデンのロゴが入った帽子を被った戦闘員が小さな箱を抱えて立っていた。


「まいどー、Tagazonですウィー。お荷物お持ちしましたウィ。ハンコかサインをお願いしますウィー」

「なんだ? クッキー以外はなにも頼んでないぞ?」


 林太郎はサインをしたためながら伝票を確認する。

 送り主はタガラック、受取人の欄にはご丁寧にデスグリーンと書かれているところを見るに、間違いなく自分宛ての荷物だ。


「品名は……高級クッキー……詰め合わせ……?」

「それじゃ確かにご依頼の品お届けしましたウィ。まいどありウィー」


 配達員が去ったあと、林太郎は扉を開いたまましばらく動けずにいた。

 それもそのはず、受け取ったはずの荷物と全く同じものが再び届いたのだ。


 玄関口で棒立ちしたままおそるおそる箱を開けてみると、中身は確かに7500円の高級クッキー詰め合わせであった。


「……あれ? じゃあさっき黛に渡したプレゼントは、なんだ……?」



 ピピピピピ!



 林太郎の頭に多くの疑問符が浮かびはじめたそのとき、林太郎のスマホが鳴った。

 液晶画面に浮かぶのは『タガラック将軍』の文字と顔である。


『おー、林太郎。おっつーなのじゃ。しっかしおぬしタガホテル&リゾートでは派手にやってくれたのー、ようやっと片付いたわい。そうそう、おぬしが持ち込んだ“私物”じゃがの。さっきバトラムに持たせたんじゃが、無事に受け取れたかのう?』

「ええはい、さっき受け取りましたね確かに。例のブツとかいって。え、ちょっと待って、私物? 俺なにか持ち込んでましたっけ?」

『ほらあれじゃ。アホなおぬしが用意した“業務用で144個入っとる大人のゴム製品”があったじゃろ。未開封じゃったからまだ使うかとおもってのー。わしってば気が利くじゃろ? まあ無事届いたならええわい。ほなばいならー、なーのじゃ』



 通話は一方的にぷつんと切れた。



 林太郎の全身からとても嫌な汗がとめどなく滴り落ちる。

 血の気を失った指先がカタカタと震え、激しい動悸と息切れが林太郎を襲う。


『サメっちと一緒に食ってくれ。遠慮はいらないぞ』

『三日で全部なくなっちゃいそうだけどな』

『我慢なんかしなくていいぞ』

『大きいぶん食べごたえは十分だからな』

『ちゃんと味わってくれよ?』


 顔を真っ赤にした桐華に向かって、林太郎が放った言葉たちが頭の中でぐるぐると回る。


 高級クッキーの詰め合わせをすすめているのであれば、とくだんなにも問題などありはしない。

 だが業務用144個入り大人のゴム製品をすすめていたとなれば話は大きく変わってくる。


 それはもうセクハラなどという次元の問題ではない、明確な挑発だ。



「……半分は私のノルマ……72個……三日で……」



 地の底から響くような声が林太郎の背後、私室の奥からかすかに聞こえた。

 もはや振り向くこともままならないが、背中全体に冷気とも熱気ともとれる凄まじい圧力をひしひしと感じる。


 いるのだ、そこに。


 生贄の膳を与され解き放たれた美しき野獣が。




 召し上がられてしまうのは、高級クッキーではない。




 ――食われるのは――。





「食われるのは……俺だ・・





 林太郎が慌てて廊下に飛び出そうとした瞬間、その全身に白く細い腕が絡みつく。


「助けっ……!」


 悲鳴をあげる間もなく凄まじい力で部屋の中に引き戻されると、扉は勢いよくバタンと閉じられた。

 しばしの沈黙のあと、ガチャリと鍵の閉まる音だけが小さく廊下に響く。




 閉ざされた扉は丸三日間、けして開くことはなかった。








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200話だぁーーーーーい!!!

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