第百九十四話「甘言」

 林太郎が目を覚ますのと同時に、フラッシュライトが彼の顔を照らした。

 強い光はまぶたの上からでも眩しく感じるほどだ。


 身をよじるのに合わせて、鎖の音が冷たいコンクリートの壁に反響する。


「おはようございます。では再開しましょう」

「……ああ、熱いコーヒーと目玉焼きがあれば最高だ。ただライトは消してくれると嬉しいね」


 気を失うほど苛酷な拷問を受けてなお、林太郎は皮肉交じりに応えた。

 だがそれが虚勢であることは明らかである。


 目が虚ろであるのは生まれつきだが、その肌からは血色が失せ、唇は紫色に染まっていた。

 その身体中に繋がれた機械は、肉体が放つ微弱な電気信号をモニターに表示していた。


「怪人化する気配はありませんね。バイタルサインにも怪人特有の波形が無いところをみると、貴方が怪人細胞を有さない“ただの人間”であるという報告に間違いはないようです」

「それを確かめるために、わざわざ俺の実家からホームビデオを取り寄せたのか。あんたはよっぽどの暇人か根っからのサディストだよ」

「怪人を詐称する貴方はさしずめ狂人といったところでしょうか」


 逆光の中、朝霞は眼鏡をクイと掛け直した。

 その表情こそ窺い知れないが、冷淡で抑揚のない声はコンクリ打ちの地下室によく響く。



「ここからはムチではなく、アメを用いることにします」

「お次はなんだ? お袋の手料理でも出てくるのか?」

「いえ、今から貴方を怪人デスグリーンではなく、人間“栗山林太郎”として扱います」

「…………なに?」



 林太郎には言葉の意味、正確にはそのメリットがよく理解できなかった。


 怪人、すなわち局地的人的災害の被害拡大に積極加担した人間は、仮出所なしの無期懲役または死刑と定められている。


 だが人間として認めてしまえば少なくともこの場でこれ以上、林太郎を痛めつけることは許されない。

 人として法の裁きを経た後に口を割ることになるだろうが、それでは何年先のことになるかわかったものではないのだ。


「驚いたよ、ヒーロー本部にも人権派がいたとはね」

「苦痛や疲労で貴方に口を割らせるよりも、利をもって諭すほうが合理的であると判断しました」



 まるで今しがた方針を転換したかのような物言いだが、元より朝霞はその腹づもりであった。

 だからこそ密室で林太郎とふたりきりになる危険も顧みず、人払いまでしたのだ。



 朝霞は林太郎の顔からライトを逸らし、パイプ椅子に深く腰掛けると、脚を組んで静かに口を開いた。




「デスグリーン。いえ、栗山林太郎、これは取引です。応じていただければ私の権限で作戦参謀本部に貴方のデスクを用意します」



 林太郎にとって、思いもよらない提案であった。

 それはかつて林太郎が望んでやまなかった、ヒーロー本部への復帰を意味する。



「アークドミニオンの秘密基地が都内にあることはわかっています。我々が知りたいのは正確な位置と組織規模。そして緊急脱出経路を含めた内部構造です。これらの情報と引き換えに、貴方にはヒーロー本部に勲章付きで復帰していただきたいと、私は考えています」

「なにを……バカなことを……」


 朝霞の言うことを信じるならば、それはあまりにも法外な司法取引であった。

 アークドミニオンを売れば、林太郎の身柄はヒーロー本部が面倒をみるということだ。


 願ってもないことだが無論、頭ごなしに信頼していいようなものでもない。

 そもそも本当にそんなことが可能なのだろうか。



「そいつは無理な相談だな。他の連中が黙っちゃいない」



 林太郎の言う通り、彼の職場復帰を認めればヒーロー本部内の反発は必至だ。

 それどころかこの国の司法システムそのものに、国民の怒りが向きかねない。


 栗山林太郎という男はとっくの昔に悪の怪人に染まり切っている。

 許されざるほどに怪人としてのキャリア、ヒーローとしての罪を重ねすぎている。



 だがそんなことは当然、朝霞も想定済みだ。

 なんら策も練らないうちから、司法取引など持ち掛けたりはしない。



「栗山林太郎ことビクトグリーンは、関東圏最大の地下怪人組織アークドミニオンを一斉検挙するため、自らを怪人に扮して潜入工作をはかりました。全ては作戦参謀本部の指示であり、貴方は職務を全うしたに過ぎません。それが我々の用意したシナリオです」



 都合のよいこじつけではあるが、確かに理屈は通っている。

 その上、林太郎の処遇は作戦参謀本部が“ケツ持ち”をするというのだ。


 囚われの林太郎にとって、これほど魅力的な提案はそうないだろう。

 朝霞がいうところの“アメ”は、とてつもなく甘かった。


「確かに筋は通ってるけどな。こんな荒唐無稽な話をよく思いついたもんだよ。ハリウッドにでも売り込んだらどうだ」

「警察庁において潜入捜査はよくあることです。ヒーロー本部では前代未聞ですが、我々が守るべきは慣例などというさもしい自尊心や虚像ではなく、市民の平和と安全です」



 林太郎の澱んだ視線が、朝霞の冷たい目と交わる。

 絶対零度に閉ざされたその瞳はしかし、その奥に熱いしろがねの炎を宿していた。


 それは既存の組織という枠組みを破壊しようとする、変革の炎であった。



 同じ国家公安員会に属する治安維持組織ではあるが、警察庁と違いヒーロー本部は時として残虐な駆逐処分も辞さない。

 そのぶん、彼らにはより繊細なイメージ戦略が求められる。


 彼らは50年にわたり、『正義の味方』という清廉潔白なヒーロー像を築き上げてきた。


 だが年々地下組織化する怪人コミュニティを相手取るには、時としてダーティーワークを要することもある。

 狡賢いキツネを狩るには身体ばかり大きな獅子ではなく、より賢く容赦のない猟犬が必要とされているのだ。


 その点において、栗山林太郎という男は極めて実務的・・・なヒーローであった。

 ヒーロー時代の輝かしい実績も踏まえれば、ヒーロー本部への復帰はけして夢物語ではないだろう。



「もちろん被害を鑑みれば世間的な批判は免れませんが、少なくとも法的には貴方を守れます。ことが上手く運べば貴方を英雄視する者も出てくるでしょう」



 おそらく朝霞が言うほど、そう上手くはいかないだろう。

 だが夢想と切り捨てるほど現実離れしたおとぎ話でもない。


 それは林太郎の煤けた心に、少しばかりの波を立てるほどには魅力的な提案であった。


「なるほど、全部手前の手柄にしちまおうってわけだ。そりゃヒーロー本部の面子は守れるだろうが、俺にそれほどの価値があるとは思えないね」

「私はヒーロー本部をここまで追い詰めた貴方を高く評価しています。貴方が寝返ってくれさえすれば、我々は数ある怪人組織に対して圧倒的な優位に立てます。それに……」


 長い脚を組み直し、朝霞は林太郎を目を見据えて言った。



「ヒーロー本部は既に、全ての怪人を管理下に置く準備を進めています」






 ………………。



 …………。



 ……。






 ヒーロー本部北千葉支部は、幕張からほど近い習志野に拠点を構えていた。

 北千葉というにはずいぶんと西に偏った配置であるといえる。


 しかしこれは総武本線を境界としその北側を管轄区とした場合、浦安・船橋から千葉市にかけての港湾部および東京都との県境に人口の大半が集中しているためだ。

 これらの主要地区だけで人口およそ350万人、千葉県全人口の半数を超える。


 だが守るべき国民の数に対して、支部の庁舎はお世辞にも大きいとは言えなかった。

 小ぢんまりとした3階建ての庁舎は、築35年の木造だ。


 そこに今、深夜にもかかわらず関東一円から総勢250名のヒーローが集められていた。



「来たぞ!」



 ヒーローのひとりが声を上げると、庁舎の中からわらわらとヒーロー職員たちが駆け出してくる。

 彼らはそわそわした様子で、一般道から庁舎までの短い私道脇を固めるように整列した。


 そこへ一台の真っ黒なセダンが入ってくる。


 ヒーロー本部が所有する中で最もグレードの高い公用車だ。

 やんごとなき人物が乗っていることは、誰の目にも明らかであった。



「「「「「お疲れ様です、長官!」」」」」



 セダンの後部ドアが開くと、彼らは一斉に頭を下げた。

 そこから現れた人物こそ、風見の後任としてヒーロー本部の未来を担う新たなる長官である。


 彼はそのまま支部の正面玄関に向かうかと思いきや、頭を下げるヒーローのひとりに駆け寄った。


「おいやめてくれ!」


 その男は赤い半袖のシャツと、七分丈のズボンを身にまとい。

 四月末とはいえ深夜の気温は10度を下回るというのに、褐色の肌にはうっすらと汗をにじませていた。



 彼の名は暮内くれない烈人れっと


 勝利戦隊ビクトレンジャーのリーダー・ビクトレッドとして勇名を馳せる、現役のヒーローであった。


 幸か不幸か、彼の名声は風見前長官主導のもとで行われた英雄化プロパガンダによって、誰しもが認めるところとなっていた。

 デスグリーン撃退、羽田決戦での守國救出、ソドミナゴン鎮圧、ヒノスメラ討伐、神保町決戦での身体を張った誘因、功績は数え上げればきりがない。


 もちろん頭を下げる若手ヒーローたちからすれば、雲の上の存在である。

 そんなガッチガチに緊張する彼女の肩に手をかけ、烈人は言った。


「頭なんか下げなくていいよ!」

「はうあ! し、しかしであります長官殿……」

「俺は長官じゃない。これをよく見るんだ」


 烈人はそう言うと、今日新たに発行されたばかりの“ヒーロー手帳”を見せた。


 その役職欄には“国家公安委員会こっかこうあんいいんかい局地的きょくちてき人的災害じんてきさいがい特務事例とくむじれい対策本部たいさくほんぶ長官代理ちょうかんだいり補佐見習ほさみならい”という細かい文字がびっちりと詰め込まれていた。


「よくわかんないであります長官殿!」

「だーかーら! 俺は国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部長官代理補佐見習い兼東京本部直属対局地的人的災害鎮圧特殊部隊勝利戦隊ビクトレンジャー指揮統括隊長であって、長官じゃないんだってば!」


 それが暮内烈人が本日付けて拝命した新たな役職であった。

 この寿限無が如き長い肩書きを覚えるためだけに、烈人は就任初日を丸々費やした。


 いかにヒーロー本部という組織が、日々複雑かつ多彩な任務を慣例的に遂行しているかわかろうというものだ。


「申し訳ございません! 聞いてもサッパリであります長官殿!」

「じゃあ烈人でいいよ、みんなにもそう伝えておいてくれ。それよりも朝霞さんはどこにいるんだ?」

「朝霞……ああ、鮫島朝霞国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部最高指揮作戦統合司令参謀本部長殿でありますか! でしたら地下の取調室であります!」

「……うん? んんん……?」


 新たな早口言葉の登場に、烈人の頭から頑張って覚えた己の役職名がぽろぽろとこぼれ落ちる。


「えっと……うん、取調室だね、ありがとう!」


 烈人は気を取り直して若手ヒーローの女の子に礼を述べると、その手を握ってぶんぶんと振った。


「あわっ! あわわわ! し、しかし誰も入れるなと申しつけられているであります!」

「俺は例外だからいいの! それじゃありがとねーーーっ!!」

「はっ! あのっ……恐縮でありまァす!」


 颯爽と去っていく若き新長官を、若手ヒーローは憧憬の眼差しで見送る。

 その視線には尊敬以上のなにか熱いものが混じっていたが、空気の読めない烈人がそれに気づくことはなかった。


「はわわ……本官、手を握られてしまったであります……! はぁぁん……!」

「あんたやめときなよ! 今の聞いたでしょ? “朝霞さん”だって!」

「ほんと隠す気ないよねあのふたり!」


 トロンとした表情を浮かべる若手を中心に、女性ヒーローたちが集まってキャイキャイと話に黄色い花を咲かせた。

 守國や風見と違って歳も若く、多少暑苦しさはあるものの凛々しい顔立ちの若き英雄は、ヒーロー本部の女性職員たちから絶大な支持を得ていた。


 加えて彼が、自身の上司である鮫島朝霞と下高井戸のマンションで同棲していることは周知の事実である。



 そのふたりが守國の後援もあり、満場一致で要職に就いたのは今日の朝のことであった。


 最初は若すぎるという理由から反発こそあったものの、その日のうちにデスグリーンの捕縛に成功したという報せはあらゆる反対意見を封殺するに足る大成果であった。


「すげえよな烈人さん……、ついに長官になっちまった……」

「けど俺は納得だよ。あの人にならどこまでもついていけるぜ」

「……その、顔もさ。可愛いよな。なんというか仔犬みたいでさ」

「俺さ、今度サウナに誘ってみようと思うんだ……へへっ」


 男性職員の間でも烈人の支持は絶大なものであった。

 ちなみに風見のプロパガンダ作戦の一環として少部数発行された烈人のグラビアには、今や新車を買えるほどのプレミア価格がついている。


「けど心配だよな、風見さんのこともあるし。ぜったい怪人連中が黙っちゃいないよ」

「ああ。ビクトグリーンやシルバーゼロみたいなことにならなきゃいいけどな」

「その名前、絶対に烈人さんの前で出すなよ」


 彼らの心配はもっともであった。

 出る杭は打たれるのがこの世の常である。


 ヒーローは職務柄、目立てば目立つほど怪人の恨みを買うものだ。

 自分を守る力が無ければ、その先に待つのは“殉職”の二文字である。


 故に、ながらく長官の椅子には守國以外座ることを許されなかった。

 本人が自覚しているかどうかは不明だが、烈人の肩には今や責任と危険というふたつの重しがのしかかっているのだ。



 ひと回り大きくなったように見える烈人の背中であったが、そこには危うい若さを孕んでいた。





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