第百八十七話「決戦は今夜」

 林太郎の部屋は甘い香りに包まれていた。

 備えつけのキッチンに立つのは、誰あろう林太郎本人である。


「ふんふーん、ふふーん」


 フライパンの上でこんがりと焼き上がっているのは、あつあつふわふわのホットケーキだ。

 ただそんなメルヘンチックな雰囲気とは裏腹に、林太郎の目はギンギラギンに血走っていた。



 ホットケーキを待ちわびるサメっちとは対照的に、桐華は腕と脚を組んで目を尖らせている。


「ホットケーキぃ~、ホットなぁ~、ケーキぃッスぅ~」

「……おかしい」


 その疑惑の視線は、タガラックの部屋から戻るやいなや妙に優しい林太郎に注がれていた。


 桐華が知る限り、栗山林太郎という男は純粋な親切心から行動を起こすような人物ではない。


「ほぅら、お待ちどうさま。いっぱい食べな」

「わーいッス! はむっ! はむはむ! はむぅ!」

「こーらサメっち、いただきますを忘れてるぞぅ」

「ひははひはふッフぅ!」


 我先にとホットケーキを口に放り込むサメっちを横目に、桐華はフォークを握ったまま林太郎を見つめていた。


「どうした黛? はやく食べないと冷めるぞ。いやあ、我ながら美味いなあ、はふはふ」

「センパイ、私に何かとても大事なことを隠していませんか?」

「んぐっ! そぉんなわけなぁいだろぅぉ?」


 ホットケーキを喉につまらせながら、林太郎はしどろもどろに答えた。


 明らかになにかを隠しているのは間違いない。

 そう確信した桐華は、もう一歩踏み込んだ質問投げかける。


「……女ですね」

「ば、馬鹿なッ!? なにを根拠にッ!?」

「バニラの甘い香りに混じって、微かですがオーデコロンの香りがします。それに少し濡れた髪は……部屋に戻る前、浴場に寄りましたね? 自室にもお風呂があるのに外で入浴を済ませたのは、私たちに知られたくなかったからなんじゃないですか?」

「うっ!? ……それは、あれだ……その」


 まるで見てきたかのような指摘に、林太郎のいやらしい下手くそな笑顔が引きつった。

 林太郎は言い訳を探すも、言い逃れを許す桐華ではない。


 桐華は手にしたフォークを林太郎の鼻先につきつけて畳みかける。


「警戒心の強いセンパイが私たち以外に気を許す相手です。タガラック将軍……は、さっきまで会っていたから除外しましょう。となると残るお相手は……ずばり、ミナトさんですね。違いますか?」

「ぐわぁーーーっ!! なんでわかったァ!?」

「これでも二年の付き合いですよ! なんですかこの期に及んで『ぐわーっ』って!? そもそもこんな餌で隠し通せると思ってたんですか!?」


 桐華はフォークをひっくり返すと、林太郎の皿のホットケーキめがけてこれでチェックメイトだと言わんばかりに突き立てた。

 対する林太郎は両手をあげて完全に降参ムードであった。


「……悪かったよ黙ってて。これだってちょっとした詫びのつもりで焼いたんだ。餌だなんて思っちゃいないよ……」

「お詫びなら後日、別の形で頂戴しましょう。もちろん、これはこれとして」


 そう言うと桐華は林太郎のホットケーキにメイプルシロップをたっぷりかけて、自分の口に運んだ。


「確かに美味しいです。センパイ、腕を上げましたね。それで、どこで会うんです?」

「それやっぱり言わなきゃダメかな?」

「当然です。ミナトさんの貞操を守るためにも、軍団の風紀を乱さないためにも。私たちには肉欲にくよくにまみれたセンパイの淫行いんこうを止める義務があるんです!」


 いったいどの口が言うのか。

 だがそのことには触れず、林太郎は静かに口角を吊り上げた。


「……私たち・・? そう言ったか?」


 ぞくり、と悪寒が背筋を走り、桐華はほとんど本能的に振り向いた。

 視線の先ではサメっちが美味しそうにホットケーキを頬張って――。


「……ッスヤァ……」


 ――いたはずだった。

 ついさっきまでは確かに。


 しかし今はまるでそれが白昼夢であったかのごとく、穏やかに寝息を立てているではないか。

 その口の端から甘い香りを放つメイプルシロップを垂らしながら。


「俺の皿から取れば安全だと思ったかい? 相変わらず詰めが甘いよねえ黛は、メイプルシロップよりも甘い」

「まさか、シロップ……に……?」


 桐華が口にしたホットケーキは、間違いなく林太郎の皿から取ったものだ。

 それはヒーロー学校時代、幾度となく一服盛られた経験に基づく警戒あってのことだ。


 林太郎が美味しそうに食べていたことも、もちろん確認している。



 だがしかし、林太郎はメイプルシロップをかけていない。



「そんな単純なことに……気づかなかったなん、て……」



 次の瞬間、床がぐにゃりと歪んだかのように平衡感覚を奪われ、桐華は強烈な眠気に襲われた。

 四肢を上げていられなくなるほどの倦怠感けんたいかんが、身体の底から這い上がってくる。



 見上げると暗く狭まりつつある視界の中で、林太郎が下卑げひた笑みを浮かべていた。



「おやおやおやァ、かわいい部下たちがおのずから睡眠薬を口にしてしまったぞォ。まったく困ったやつらだなァ……」

「くっ、セン……パイ……! 謀りました、ね……!」

「くはははは! 二年の付き合い・・・・・・・だ、黛が隠れ甘党だってこともセンパイはちゃーんと知ってるんだよ」

「そこまでして……! くぅ……センパイの獣欲を、見誤りました……がくっ」


 テーブルに倒れ伏した桐華を見下ろし、林太郎はほくそ笑んだ。

 その手には睡眠薬の瓶が握られている。


 “超強力睡眠導入剤『グッナイ大統領ロイヤル』悪用されすぎてアメリカでは発売禁止!!”


 これで少なくとも半日は起きないだろう。


 林太郎は仲良く寝息を立てるふたりの部下をベッドに運び、布団をかぶせてやった。

 そしてめくるめく今夜の“決戦”を前に、己の上唇に舌を這わせる。


「くくく……これで邪魔者はいなくなった……。あとは湊、お前だけだ……」


 男を突き動かすものは、どうしようもない欲望であった。

 その澱んだ瞳は、獲物を捕食する蛇を彷彿させた。




 ………………。



 …………。



 ……。




 チタン製の家具に囲まれた部屋で、湊は泣きべそをかきながら荷物をまとめていた。

 お気に入りのシャンプー、ビンゴでもらった目覚まし時計、替えの下着などでキャリーバッグは今にもはち切れそうなほど膨らんでいる。


「ぐすん……ぐすん……。これはいらない……これはいる……これもいる……」


 あれから一日中泣き続けたというのに、涙がれることはなかった。

 時刻は夕方を少し回った頃、外はもう真っ暗だろう。



 逃げ出すとしたら、今しかない。



 極悪軍団の仲間たちが、秘密を知った自分を始末しようとしていることはもはや疑いようもない事実だ。

 ならばそれが実行に移される前にアークドミニオンを去る以外、湊に残された選択肢はない。



「これもいる……。……これ、は……」



 湊が最後に手に取ったのは、一枚の写真であった。



 極悪軍団旗揚げの記念式典で撮った集合写真だ。



 サメっちの両肩を掴む林太郎を中心に桐華が脇を固め、湊は林太郎の斜め後ろで困ったようにはにかんでいる。

 その周囲には極悪軍団の記念写真だというのに、他の幹部や怪人たちが画面狭しと映り込んでいた。



 怪人の怪人による怪人のための組織、アークドミニオン。

 周囲を傷つける厄介な体質も、卑屈で臆病な性格も、彼らは真正面から受け入れてくれた。


 ほんの数ヶ月ではあったが、湊にとってここで過ごした時間はかけがえのない宝物だった。

 二十年とちょっぴりの人生の中で、もっともきらめく瞬間が無数に散りばめられていた。



 重い荷物を引きずりながら扉の前に立ち、湊は自分の部屋を振り返る。


 もう二度と、この居心地の良い場所に戻ってくることはないだろう。

 そう思うと涙は後から後からいくらでも湧き出てきた。


 だがそれもこれも全て“誰かのせい”ではない。

 己の手でパンドラの箱、デスグリーンの秘密を暴いた結果である。



「……………………ぐすっ」



 ならば自分の手で、次の扉を開かねばならない。


 湊がドアノブに手をかけようとした、そのとき――。



「湊、いるか?」

「ひぃぇァァアアアアア!?!?!?」



 扉の向こうから声がした。


 聞き間違えようはずもない、その声はここに自分を連れてきた男の声だ。


 しかしなんというタイミングであろうか。

 湊は驚きのあまり情けない叫び声をあげて扉から後ずさった。


 そして驚いた拍子に飛び出したチュイロバァー(※アフリカのンゴニ族が用いた戦斧)を壁から引っこ抜くと、震える両手で頭の上に構える。


 おそれおののくのも無理はないだろう。


 扉を一枚隔てた向こうに林太郎が。

 秘密を知った愚か者を始末せんとするデスグリーン本人が立っているのだ。



 湊の心臓がバクバク鳴っていることなどつゆ知らず、林太郎は心配そうに声をかける。


「なんかすごい声が聞こえたけど、大丈夫か?」

「だっ、ダダダダダ! だいじょぶでぇす!」

「なんで敬語?」


 林太郎は首をひねりつつも、手短に用件を伝える。


「今からちょっと付き合ってほしくて……その、ふたりきりで食事でもどうかな」

「なななっ、なになになになんですかッ!?」


 湊の表情が狼狽を通り越して絶望に染まる。

 その誘いは最期の晩餐ばんさんへの招待、死への最後通牒つうちょうに他ならなかった。


「今はッ! 今はダメだ!! ダメったらダメぇ!」

「待ってくれ湊。急なのはわかる、だけど今日しかないんだよ」


 林太郎も今日ばかりは引き下がれない。


 サメっちはともかく、睡眠薬を盛るという手があの桐華に明日も通用するとは限らないのだ。

 ふたりきりで甘く熱く激しい一夜を過ごすチャンスは今夜しかない。


 だが湊も己の命がかかっているとなれば死に物狂いだ。


「一緒にご飯を食べるだけだ。恥ずかしいのはわかるけど」

「わぁぁぁん!! そう言って油断したところをるつもりなんだァァァ!!」

「そっそそそ、そんな送り狼みたいなことしないって! 俺はこれでも紳士なんだぞ!」

「紳士的にるんだァァァァァ!!!!!」


 お互いに必死なふたりは、分厚い扉一枚を隔てて一歩も譲ることなく対峙する。


 状況は膠着したかに思われた。

 が、しかし――。




「「お迎えにあがりました、デスグリーン様」」




 完全に重なり合ったふたつの声が、均衡きんこうを破った。




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