第百六十四話「夢のまにまに」

 栗山林太郎の心は、まるで風のない湖面のように穏やかであった。


 ドーム数個分という広大な地下空間には、林太郎にとって見覚えのある建造物がところ狭しと並べられている。

 そのうちのひとつ、真っ白な灯台の上からサメっちが手を振っていた。


「アニキぃー、思ったより高いッスぅー」

「よく登ったね。危ないから降りておいでサメっち」

「なんで地下に灯台があるんッスかね?」

「なんでだろうね。三年前の十一月四日、小雨が降る中、SHIVAによってギャラリーの目の前で消された千葉県の犬吠崎灯台にとても似ているね。まったく関係ないけどね」


 まるで万博のパビリオンか、世界遺産のミニチュア展にでも来たかのようだ。

 はしゃぎまわるサメっちをよそに、林太郎の身体からは急速に体温が失われていった。


「この金ぴかの家は知ってるッス、キンカクジッスね。サメっちはこう見えて物知りッス」

「一昨年の七月十一日、SHIVAの京都特別公演で消された鹿苑寺金閣によく似ているね。ここにあるのは精巧なレプリカだけどね」

「これは……あめ……た……もん……ッスぅ?」

「よく読めたねサメっち。けどあれは雷門かみなりもんって読むんだよ。去年の一月三日、初詣でにぎわう浅草寺に突如現れたSHIVAによって消されたものに酷似しているね。俺には別物だってわかるけどね」


 林太郎は立ったままふらふらと、壊れた時計の針のように揺れていた。

 そんな林太郎に、湊と桐華が慌てて駆け寄りその肩を抱く。


「おい林太郎、気をしっかりもて! 傷は浅いぞ!」

「センパイ! はっ……冷たい……! 手に血が通ってません!」

「脈拍も呼吸も信じられないぐらい弱い……立っているのが不思議なくらいだ……!」


 湊は桐華からペンライトを受け取ると、林太郎の瞳孔に光を当てる。


 普段濁りに濁りきっている林太郎の目は、今や完全なる無を宿していた。

 むしろ平時が澱みすぎているため、逆に輝いて見えるほどだ。


 ――しかし。


「ああ……湊……? そこにいるのか……?」

「林太郎……くっ、あまりのショックで目が……っ!」

「黛、すまなかった……俺はいい先輩じゃ……なかっ……ガクッ」

「そんな、立ったまま死っ……! センパァァァイ!!!」


 なんという悲劇であろうか。


 騒ぎを聞きつけた触覚ザコ戦闘員たちが、わらわらと集まってくる。


「極悪軍団の皆さんはいつも賑やかアリねえ。出口までご案内して差し上げるアリ」

「「「アリアリサー!」」」

「あとついでに紛れ込んでたヒーローたちは、そこらへんに適当に捨ててくるアリ」

「「「アリアリサー!」」」



 気を失った林太郎は桐華に担がれ、蟻の巣じみた地下秘密バンカーを後にした。




 …………。




 数時間後、アークドミニオン地下秘密基地、林太郎の自室。



 キングサイズベッドの上に、ひとりの男が横たわっていた。


 言うまでもなくこの部屋の主、極悪怪人デスグリーンこと栗山林太郎である。

 心に深い傷を負い、今は静かに眠っている。


 いつもは一緒に寝ているサメっちであったが、今日彼女は隣の湊の部屋で寝ている。

 あまりに深い心の傷に、今はひとりにしておいた方がいいだろうという判断からだ。




 しかしその明かりが消された部屋の扉を、静かに開くものがあった。



「……………………」



 侵入者は音もなく林太郎の枕元に忍び寄ると、音を立てないよう慎重に羽毛の詰まった掛布団を剥ぎ取った。


 気を失った男にパジャマを着せるのも難しいと判断され、林太郎は服だけ脱がされてベッドに放り込まれていた。

 上半身は軽く包帯が巻かれている程度であり、ほぼ半裸に近い状態だ。


 謎の侵入者はそっと林太郎の腕に触れた。

 少し冷たいが、確かに血管が脈打っている。


「いけそうだな」


 そう静かに呟き侵入者が懐から取り出したのは、恐ろしい光を放つ“注射器”である。

 侵入者はその尖った針の先を、ゆっくりと林太郎に近づけた。



「そこまでです」

「……っ!?」



 暗闇から不意に声をかけられ、侵入者は慌てて振り向いた。

 視界の端に、白銀の髪が一瞬見切れる。


 しかし抵抗する間もなく、侵入者は一瞬にして腕を絡め取られ、ふかふかの絨毯の上に組み伏せられた。

 その衝撃で取り落とした注射器が、床の上を転がる。



「ぐぇぇ苦しい……」

「どういうつもりですか、ミナトさん・・・・・



 パッと部屋の明かりがつくと同時に、侵入者の姿があらわになる。

 墨を流したような黒い髪、モデルのように長い手足、そして涼しげだが泣きそうな

 目。


 その人物はまごうことなき極悪軍団の一員、剣山怪人ソードミナスこと剣持湊であった。


「ここ数日、行く先々で怪しい視線を感じていたんですよ。センパイの身辺を張っていて正解でした。よもや内部に暗殺者が潜んでいたとは思いませんでしたがね」

「違うんだよ、誤解だぁ! 話せばわかる!」

「では語っていただきましょうか。なんならこの注射器でアナタの体に直接聞いてもいいんですよ」


 桐華は湊が落とした注射器を拾い上げると、持ち主の首筋にあてがった。

 湊は真っ青になりながら『ひえええ』と声を漏らす。


 この女、黛桐華に冗談や嘘は通じない。

 湊は泣きそうになりながら、必死に声を振り絞った。




「わ、わわ、私は林太郎の身体からだが気になるだけなんだよぉ!」




 ――はたと、桐華がその手を止める。



「からだ、ですか?」


 湊はぶんぶんと頭を縦に振る。


 注射器を引き腕の拘束を解くと、桐華は顎に手を添えて考え込んだ。


「からだを……?」

「……はぁ、はぁっ……だから誤解なんだよぉ。暗殺なんかするはずないだろ……」

「からだ……からだ……」



 それはここ数日、湊がずっと気にかけていたことであった。


 林太郎は一般的な怪人と比べて、異様なほど傷の治りが遅い。

 本人は血が薄いからだと言い張るが、医師である湊はなにか別のやんごとなき事情があると踏んでいた。


「それはつまり、センパイの肉体に興味があるということですか?」

「まあ、その……そういうことになる」


 桐華の問いかけを、湊は真剣な面持ちで肯定した。

 このアークドミニオンにおいて、医療の心得を持つのは湊ただひとりである。


「林太郎の身体からだるのは私の責務だ」

肉体からだる。ミナトさんの目的は本当にそれだけですか?」

「可能であればたいえきも採取したいと思っている」

「なるほど体液を……ふむ、そういうことでしたか」


 湊の真摯な言葉に、桐華は得心したようだった。

 きっと桐華にも林太郎を診察する必要性が通じたのだろう。


 怪人は例外なくその肉体に怪人細胞を有し、それにより超人的な能力を得ている。

 栗山林太郎、極悪怪人デスグリーンという男は、そこになんらかの異常を抱えている可能性が高いのだ。


 先の怪人細胞を逆手にとられた神隠し事件のこともある。

 林太郎の身によからぬことが起こってからでは遅い。


「本人はあまり乗り気じゃないようだが……。私はなんとしても、林太郎の身体の秘密をさぐり・・・たい」

「奇遇ですね。私もセンパイのヒミツをまさぐり・・・・たいと思っていたところです」

「だから寝ている間に、パパッとやってしまおうって思っただけなんだよ」

「普段のミナトさんからはとても想像できないような、なかなかすごいことを仰いますね」


 桐華はスカイブルーの瞳を伏せ少し考えたのち、湊に向かって右手を差し出した。


「私たちの目的は一致しています。ここはひとまず手を組みましょう」

「わかってくれたんだなキリカ、ありがとう!」

「ええ、センパイはいつものらりくらりと逃げ回るので私も攻めあぐねていたところです。ここはひとりよりもふたりで落としにかかったほうが確実かと」

「なるほど、共同作戦だな!」


 ふたりは一蓮托生の絆を確かめるように、固い握手を交わす。

 そのまっすぐな視線が交わるや否や、ベッドの上で寝息を漏らす男へと注がれる。


「この作戦、ふたりで必ず成功させよう!」

「はい、必ずせいこうさせましょう!」



 そんな同盟が組まれたことなどつゆ知らず、林太郎は未だ夢の中を彷徨さまよっているのであった。




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