第百五十六話「アダルティ吉祥寺ナイト」

 “吉祥寺きちじょうじ


 この街は昼と夜、ふたつの顔を持つ。


 人々で賑わう“西東京いち住みやすい街”は昼の顔。

 日が落ちると賑やかな商店街は、大人の歓楽街へとその姿を変える。


「本当にこんなところに店なんてあるんですか?」

「あいたっ! うぅ……なんでこんなに天井が低いんだ……」


 裏路地にひっそりとたたずむ商業ビル、人々の生活の隙間にその入り口はあった。

 地下へと続く急な階段は、人ひとりがやっと通れるほどの狭さである。


 階段の下には黒い木製の扉が一つだけあり、“本日貸切”という張り紙の上に小さなプレートがかかっていた。

 先頭を行く林太郎は、そのプレートに書かれた店名を確認する。



「隠れ家バー“kemoけも吉祥寺きちじょうじ”……あったぞ、ここだ」



 林太郎が扉を開くと、狭く薄暗い店内の大半を占める長いカウンターがまず目に入った。

 テーブル席は無く、丸いカウンター席が七つばかりあるだけの小ぢんまりとしたバーである。


「いらっしゃいませニャン」


 カウンターの奥ではキラキラと輝くボトルたちを背に、バーテン服をビシッとまとった女の子がシェイカーを振っていた。

 しかしそのアダルティな雰囲気とは裏腹に、彼女の頭のてっぺんには冗談みたいなネコミミが生えている。



 だが一番奥の席には、そんなネコミミバーテンダーよりも遥かに目立つ先客がいた。



 椅子のサイズと比べて明らかにでかすぎる図体は、離れていても凄まじい威圧感を放っている。

 百科事典と見紛みまごうほどの厚い大胸筋によりピッチピチに張り詰めたシャツは、今にも破れてしまいそうだ。


 巨体の主は林太郎たちの顔を見るや、少年のようにニカッと白い歯を覗かせ豪快な笑い声をあげた。


「いよう、待ってたぜえ兄弟! まあ座れよお、ガハハハハ!!」


 彼こそ獣系怪人の長、百獣将軍ベアリオン……今は人間態なので熊田いわおと呼ぶべきか。

 この男が今回、突然電話を寄越し林太郎たちを呼び出したのだ。



 ベアリオンがふたり分近い幅を取っていることもあり、林太郎はベアリオンと自分の間に小柄なサメっちを座らせた。

 林太郎を挟んで逆側のカウンター席には湊、桐華と続く。


「お、大人の空気ッス……」


 バーの雰囲気にのまれ、サメっちはガチガチに緊張していた。

 そもそも子供の来るところではないのだから当たり前だ。


「ご注文はニャン?」

「この名前がかわいい“ぴにゃんこらーだ”ってやつにするッス!」

「飲ませないよ? サメっちと桐華にはオレンジジュースを、後は適当に」

「かしこまりましたニャン」


 ひと通り注文を済ませると、林太郎はベアリオンに向き直った。


「それで、こんなところに呼び出してなんのご用です?」

「ガハハハハ!! 聞いたぜえ兄弟、金に困ってるんだってなあ!!」

「……相変わらず耳の早いことで」


 こう見えて百獣軍団は情報収集能力に長けている。

 目の前にいる猫の少女といつもネガティブな犬のコンビがそれを担っているわけだが、こちらの懐事情まで把握しているとは侮れない。


 元を正せば原因はあんたのところの副団長がサメっちにハンコをポンポン押させたからなんですけどね、と言いかけた林太郎だったがグッとこらえた。


 ベアリオン個人としてはただ無神経というだけで、煽る意図はないのだろう。


「オレサマはよお、実のところ感謝してるんだぜえ? このバーだって、兄弟がいなけりゃ開けなかったんだからよお……」

「その節は世話になったニャンなぁ。はい、“スクリュードライバー”ですニャン」

「……どうも」


 その節というのは、以前百獣軍団が次々と神隠しにあった事件のことだろう。

 たしかそのときは新宿の駅前に店を出していたと林太郎は記憶している。


 カクテルを手に取りながら、林太郎は店内を見回した。


 やはりここは百獣軍団のメンバーが経営する店なのだろう。

 サバンナの草原が描かれた絵画など、調度品にそこはかとなく獣らしさを感じる。



「なるほど、百獣軍団はこうやって資金を調達しているってわけですか」



 わざわざ西東京まで林太郎たちを呼び出した理由は、この店を紹介するためだ。

 ならば、ベアリオンと林太郎が語るべき話題はただひとつ。


「まどろっこしい話はよしましょう。話というのはもうけ話ですね」

「さすがは兄弟だあ、話がはやいぜえ!」


 ベアリオンはガハハと笑いながら、ウイスキーをビンごと豪快にあおった。

 あまりこういう落ち着いた店は似合わないタイプだ。


 呆れる林太郎の目の前に、新たなカクテルが追加される。


「“セックス・オン・ザ・ビーチ”ですニャン」

「頼んでないぞ」

「あちらのお客様からニャン」


 カウンターの端に目をやると、桐華がオレンジジュースのグラスを揺らしながらウインクをしていた。

 そして人差し指と中指をそろえ、おでこをピンと弾いてみせる。


 彼女のことは無視しても問題ないだろう。



「ベアリオン将軍、お恥ずかしながら極悪軍団の金欠は深刻です。ここみたいに、店を出して回収している余裕なんかない」

「おいおい、誰がそんな悠長に金を稼ごうなんて言ったあ? オレサマを誰だと思っていやがる。もっと即金で儲かる話を持ってきてやったに決まってるだろう?」


 そう言うとベアリオンは、ニッと笑って親指を立てた。


「こういうときは助け合いだぜえ? オレサマたち百獣軍団に借りを返させてくれよなあ!」

「ベアリオン将軍……!」


 正直なところ、林太郎はベアリオンの呼び出しを警戒していた。

 しかし、幹部の先輩として林太郎の背を支える“兄弟”のなんと心強いことか。


 この豪気な男に警戒心を抱いた己のいやしき心根こころねを、林太郎は恥じた。

 やはり持つべきものは、頼りがいのある兄弟ともである。


「ありがとうございます、ベアリオン将軍」

「ガハハハハ、気にすんなあ! オレサマと兄弟の仲だあ、いいってことよお!」

「……おっといけない、飲みすぎたかな。トイレはどこかな?」

「奥の扉ニャン」


 林太郎がトイレの扉に目をやると、プロレス興行の宣伝ポスターが貼ってあった。

 バーの雰囲気とはあまりマッチしていない気もするが、こういうところも百獣軍団らしい。



 超最強日本プロレス春ツアー“ザ・ニュービースト・ジェネレーション”開催!


 日程は明日から、場所はグリーンドーム前橋、そして出演は――。




 ――グリーンデストロイヤー栗山。




「帰るぞみんな! こんなところにいられるか!!」

「あれアニキ、もう帰っちゃうッスか?」

「おいおいどうしたあ兄弟、夜はこれからだぜえ?」

「どうしたもこうしたも無いでしょうよ! なんですかあの悪質なコラ画像は!!」


 林太郎はトイレの扉に貼られたポスターを指さし、抗議の声をあげた。

 雑に切り取られた林太郎の顔を貼り付けただけのマッチョが、どセンターにでかでかと配置されている。


「おう、見つけたかあ。明日からの巡業、楽しみにしてるぜえ!」

「やりませんよ! なんで俺勝手に超最強日本プロレスの一員にされてるんですか! リングになんか立ちませんからね絶対!」


 ポスターを見て湊はなにかを思い出したのか、顔を真っ赤に染めながら頭を抱える。

 あまりにシュールな雑コラに、さすがのサメっちや桐華も若干ひいていた。


「くそっ! のこのこと呼び出しに応じたのが間違いだった! 帰って作戦の練り直しだ!」

「ガハハハハ、そういうわけにはいかないんだぜえ? おいニャンゾ!」

「チャージ料金、サービス料金、週末料金、お通し代、飲み物代、四名様あわせてしめて380万円になりますニャン」

「ぼったくりバーじゃねえか!!!」


 ベアリオンはその丸太のような腕で、がっしりと林太郎の肩を抱く。


 ざわざわと気が膨れ上がったかと思うと、そこにはもう親切な友・熊田巌・・・はいなかった。

 ライオンのたてがみが林太郎の顔に覆い被さり、凶悪な野獣の顔が澱んだ目を覗き込む。


 アークドミニオン最強のフィジカルファイター・百獣将軍ベアリオンは、牙を剥きながら林太郎の身体をガシガシと揺さぶった。



「ガハハハハ、冗談だあ! 兄弟から“追加料金”は取れねえよなあ! なあに、ファイトマネーは弾んでやるからよお、ドーンと当たって砕けてこいやあ!」



 ベアリオンは鋭い爪のついた人差し指と親指で、マル・・を作ってみせた。




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