第百五十一話「かぎろい」
アークドミニオンの元幹部と新幹部によって繰り広げられた骨肉の抗争劇。
レインボーブリッジの戦いを制したのは新幹部、極悪怪人デスグリーンこと栗山林太郎であった。
林太郎はぐったりと横たわるサメっちの小さな身体を、お姫様だっこの要領で抱き上げる。
ボタンがはじけ飛び、ところどころ破れた水色のパジャマは、風雨に曝されぐっしょりと水気を含んでいた。
煉獄怪人ヒノスメラによって奪われた己の平和の重さを、林太郎はしっかりと確かめる。
「こちらデスグリーン、サメっちの確保に成功した。状況終了、各自速やかに撤収せよ」
『かっかっか、わしが出るまでもなかったのー! この手でボコれんかったのはちと残念じゃわーい』
「ご老公の出番は無いに越したことはないんですよ。腰を痛めて病院に担ぎ込まれても困るので」
『はーっ! わしピチピチじゃもん! わしの腰ってば360度回転するもんね!』
林太郎のデスグリーン変身ギアから、ギュルンギュルルンというモーター音が響く。
無線に向かって上半身をぐるぐる回している金髪幼女の姿を想像すると、なかなかにシュールであった。
このあと林太郎はタガラックと橋の上で合流する手筈になっているのだが、いったい彼女はどこから無線を飛ばしているのだろうか。
『こんな若僧に後れを取るやなんて、うちも焼きが回ったなぁ』
サメっちを奪還して一息ついていた林太郎の耳に、あの妙に透き通った女の声が届く。
林太郎がその腕の中で眠るサメっちの身体に目をやると、はだけた胸元でマッチほどにまで小さくなった黒い炎が頼りなく揺れていた。
もはや抵抗する力は残しておらず肉体のコントロールも失っているとはいえ、意識は健在であるというのはさすが元幹部といったところか。
「おや、まだやろうっての? 勘弁してよ、せっかくレインボーブリッジは落とさずに済んだんだから」
『うちもそこまで往生際悪ぅないよ。てかあんた……この橋も落とすつもりやったんか……』
「まあね、俺がやられたら今すぐにでも橋脚が吹っ飛ぶよ」
さも当然のように言い放つ林太郎にヒノスメラはしばし黙り込んだが、やがて
『ふふっ……かなわんなあ。デスグリーンいうたか、サメっちが惚れ込むわけや』
今にも消えそうな黒い炎が、笑い声にあわせてゆらりと揺れる。
サメっちが身体を張ってまで守ろうとした炎は、文字通り風前の灯であった。
「誉め言葉として受け取っておこう。それでヒノスメラ、これからの処遇についてだけど……」
遠く聞こえる迎えのヘリコプターの音が、徐々に近づいてくる。
それはヒノスメラにとって、絞首台への13階段を上る足音であった。
『負けは負けや、うちのことはあんたに任す。せいぜい痛くないように息の根止めたってや』
「……その潔さ、どこかのバ美肉幼女も見ならってほしいよ。ただまあ、サメっちに免じて悪いようには……」
呆れたような林太郎の呟きは、大きな羽音によって塗りつぶされた。
雨雲の中から現れた真っ黒なヘリが、レインボーブリッジ上空で旋回する。
迫るヘリの大きな音に、サメっちがようやく目を覚ました。
「ん……んゆ……?」
「やあ、おはようサメっち」
「アニキ……ここはッス……?」
サメっちは林太郎に抱きかかえられたまま、周りをきょろきょろと見回す。
そして自分の胸元で燃えている炎を見て、驚いたように声をあげた。
「はわぁーーーッス!? ヒノちゃん出てきちゃダメッスよぅ!」
『あっはっは、思ったより元気そうやん』
迎えのヘリがゆっくりと高度を下げていく。
側面のハッチが開かれ、搭乗していた湊が林太郎に向かって大きく手を振る。
『……ようやく、お迎えが来たみたいやね』
ヒノスメラの透き通った声は、どこか寂しそうで、どこか嬉しそうでもあった。
状況が今ひとつ飲み込めないサメっちは、胸元で
「念のため言っておくけど、暴れるなよ? おーい、こっちだ。はやく降ろしてくれー」
林太郎がヘリに呼びかけると、湊は更に大きく千切れんばかりに手を振った。
必死に何かを伝えようとしているようだが、彼女の声はヘリの音にかき消されて聞こえない。
それを察してか、湊は慌てた様子で操縦席に取り付けられた拡声マイクに向かって叫んだ。
『林太郎ーーーッ!』
「おい湊どうしたんだー? もっとヘリを寄せてくれなきゃ乗れないじゃないかー」
『橋が……! 橋が溶けてるんだよぉーーーーーッ!!!』
「なんだってぇーーーッ!?」
次の瞬間、林太郎の足元がぐらりと揺れる。
ヒノスメラの太陽がごとき攻撃の熱波はアスファルトのみならず、道路の下を走るゆりかもめの路線と、それらを釣り上げる柱の芯にまで達していた。
マグマのように真っ赤に変色した鉄筋コンクリートは、もはや自重を支えられる状態ではない。
「ちょちょちょちょちょ、待て待て待て待てェ!」
「あわわわわ、アニキぃぃぃーーーーーッ!!」
ガラガラと崩れゆく足場。
遥か50メートル下に見えるのは荒れた東京湾の海面である。
デスグリーンスーツをまとえば、なんとかギリギリ耐えられる高さだ。
「ビクトリーチェンジ!!」
――しかし。
肝心のビクトリー変身ギアはうんともすんともいわない。
それもそのはずである。
「しまった、そうだったァ!」
肝心のスーツは
「うわあああああああああああああッッッ!!!」
「アニキぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!!!」
林太郎はサメっちを抱えたまま、50メートルもの高さを真っ逆さまに落ちていった。
澱んだ瞳に、スローモーションのようにゆっくりと迫りくる海面が映る。
怪人ならばともかく、生身の人間ではよくて失神、悪ければ死もありうる高さだ。
もはや手段を選んではいられない、ならばこの場で投げ出せるものはただひとつ。
「しっかり捕まってろよサメっち!」
林太郎はサメっちの身体を包み込むように抱きしめた。
小さな頭をしっかりと胸に抱いて背中を丸める。
「ダメッス! アニキしんじゃうッスぅ!」
「いいかいサメっち、可愛い妹分のためならばお兄ちゃんは、空だって飛べるんだ」
林太郎はニッと笑うが、もちろん生身の人間が空を飛べるはずもない。
ドッパアアアアアアアアアアン!!!!!
直後、林太郎の背中は海面へと叩きつけられ、大きな水柱があがった。
ふたりの上に覆いかぶさるように、次々と瓦礫が海面へと落下していく。
「ごぼがぼがぼぼぼ……!」
落下の衝撃で気を失った林太郎の身体は、暗い海の底へと沈んでいく。
林太郎の胸に抱かれたまま、サメっちはもがいた。
「アニキは……サメっちが絶対に助けるッスぅぅぶくぶくぶく!!」
冷たい水が容赦なく、口から、耳から、鼻から入り込んでくる。
火の力を得て以来、今や海はサメっちの天敵である。
カナヅチになってしまったサメっちが、果たして大の男ひとりを助けることなどできるのか。
否、できるかどうかではない、やらねばならないのだ。
サメっちは暗く冷たい海の中で、小さな手足を必死にばたつかせた。
しかし澱んだ東京湾の水、荒天も重なりもはやどちらが上でどちらが下かもわからない。
瓦礫が降り注ぐ水中で、荒れ狂う波の音に包まれながら。
それでもなお――
『ほんましゃーないなあ。ヒノちゃんがちぃとだけ手ぇ貸したるわ』
――その声ははっきりと、サメっちの耳に届いた。
「ヒノ……ちゃん?」
次の瞬間、サメっちの心臓あたりで消えかけていた小さな黒い炎が、ドクンと鼓動を奏でた。
まるで祈りによって呪いから解放されたように、炎は黒から白へとその色を変える。
それと同時に、サメっちの全身に力がみなぎった。
まるで水棲生物怪人の本懐とでもいわんばかりのエネルギーが、サメっちの身体の底から沸き上がる。
「サアアアアアアアアメエエエエエエエエエ!!!!!」
三角の背ビレ、尖った鼻先、そして大きな口から覗くズラリと並んだ鋭い牙。
少女は一瞬にして、巨大なサメを彷彿させる“怪人”へと姿を変えた。
アークドミニオンが誇る水中の王者・牙鮫怪人サーメガロ、これこそが怪人サメっちの真の姿である。
ヒレのついた腕が林太郎の身体をしっかりと抱えると、サーメガロの巨体は水中を飛ぶように翔けた。
濁った水は彼女の視界を容赦なく
しかし道しるべの無い暗い海の底で、サメっちの眼前には小さな白い光が揺れていた。
光はまるでサメっちを導くように海面へと昇っていく。
確証はなかった、しかし。
サメっちはその光が、自分たちを海面へ導いてくれると確信していた。
何故だかわからないが、温かい、そんな気がしたのだ。
「サメサメサメサメエエエエエエエ!!!!!」
まっすぐ海面へと突き進むサメっちの目の前で。
まるで花びらが散るように、光ははかなく霧散していった。
そして次の瞬間。
「プハぁーーーッス!!!」
サメっちの尖った鼻先は、勢いよく海面を突き破った。
胸いっぱいに新鮮な空気が送り込まれる。
海上に姿を現した巨大なサメは、小脇に抱える男の頬をヒレでぺちぺちと叩く。
「アニキっ、アニキしっかりするッス! ジンコンコンキューしなきゃッスぅ! はっ、でもこの恰好じゃ食べてるみたいッスぅ!」
バララララという羽音が、水面に顔を出したばかりのふたりの上を舞う。
サメっちが見上げると黒いヘリコプターから、湊が身を乗り出していた。
「りんたろおおお! サメっちぃぃぃぃぃ!」
「今助けますウィッ! 救助隊降下、降下ウィーッ!」
ふたりは同乗していたザコ戦闘員たちによって、ヘリの中へと引きあげられた。
瀕死の林太郎には、湊によってただちに救命措置がとられる。
「脈はあるけど呼吸が浅い、人工呼吸器はやく! サメっちにも毛布を!」
「収容完了ウィ! あがれあがれ! 超特急で秘密基地に帰還するウィーーーッ!」
「……うっ……」
「意識回復! 林太郎、まだ無理はするなよ。背中も強く打ってるんだからな」
少女の姿に戻ったサメっちは、暖かい毛布にくるまりながら心配そうにアニキの顔を覗き込んだ。
「アニキぃ……」
丸くて真っすぐな瞳と、澱んだ暗い瞳が交わる。
サメっちの顔を見ると林太郎は、心底安心したように下手くそな笑みをこぼした。
「サメっち、よかった……」
「アニキ生きてたッスぅぅぅ! ヒノちゃんのおかげッス、ねえヒノちゃん?」
林太郎が意識を取り戻したことで、ヘリの中はひとまずほっとした空気に包まれた。
ザコ戦闘員たちはお互いに握手をしたり、ハイタッチをしたりして作戦の成功を喜んでいる。
しかし歓喜の声も、ヘリコプターの羽音も、サメっちの耳には届いていなかった。
世界にあるべき音が、ひとつぽっかりと欠けてしまったように。
「……ヒノちゃん?」
サメっちがその名を呼んでも、あの透き通った声は返ってこなかった。
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