第百十二話「群馬最速伝説」

 栗山林太郎、26歳。ヒーロー学校第49期“首席”卒。

 例年この栄えある席次を射止める者には、大きく分けてふたつのパターンが存在する。


 前者は類稀なる射撃技術や他を圧倒する運動能力など、一芸に特化しそれを極めた者であり、これが歴代における首席全体の9割を占める。


 そして残り1割にも満たない後者の特徴、それは『器用貧乏』である。

 栗山林太郎という男は、まごうことなき後者であった。


 運転免許は自動車に限らず、航空・船舶・鉄道にまで及び、各整備士はおろか、教習所指導員の資格まで有している。

 他にもマグロ解体師や日本城郭検定、果てはニワトリのヒナの鑑別士まで、国家資格・民間資格問わず彼が持つスキルを全て合わせると、なんと256種類にも及ぶ。


 “いなくてもいいけど、いるとめちゃくちゃ便利なヤツ”

 それが栗山林太郎のヒーローとしての客観的評価であった。


 中でも特筆すべきはやはり、陸海空問わず多岐にわたる運転資格であろう。

 ビクトレンジャーにおいても特殊車輛の運転は、常にビクトグリーンこと栗山林太郎の仕事であった。


 けして足代わりに便利にアゴで使われていたわけではない、少なくとも彼本人はそう思っている。




 …………。




 ここは群馬県某所の峠道。

 昼間はそれほど車通りも多くはないが、夜になると多くの命知らずな男たちが集う走り屋のメッカである。


 ギャギャギャギャギャ!!! ギュワーーーーンッ!!!


 真っ赤なスポーツカーがタイヤ痕を残しながら急勾配のコーナーを稲妻のように駆け下り、手に汗を握りながら見守るギャラリーたちが次々と感嘆の溜め息を漏らす。


「なんてスピードだ! あの野郎頭のネジが2、3本ぶっ飛んでやがる!」

「すげぇ……速すぎて目で追うのがやっとだ……!」

「ふっ、さすがは前崎……“群馬最速”を名乗るだけのことはありやがる」



 ハンドルを握る男、前崎は退屈していた。


「この峠の連中はレベルが低すぎるぜ……」


 いつしか呼ばれるようになった“群馬最速”という肩書きも、彼にとっては張り合える好敵手の不在を意味するものでしかなかったのだ。


 前崎がちらりとバックミラーに目をやると、後方から迫るヘッドライトの明かりが見えた。


「ほう、この俺の“7割”についてくるか。少しは骨のあるやつもいるみたいだな……だが……」


 群馬最速の男・前崎は口元に微かな笑みを浮かべると、アクセルをめいっぱい踏み込んだ。


「悪いが今は虫の居所が悪くてな。かかってくるなら、全力でぶっちぎらせてもらうぜ。この先の5連続ヘアピンでなあーーーっ!!!」


 前崎が叫ぶのとほぼ同時に、真っ黒なバンが前崎の赤いスポーツカーを、弾丸のようなスピードで一瞬のうちに追い抜いた。


「ばかな……!? 慣性……ドリ……いや、今のはなんだ……ほんとに車かーッ!?」


 元・群馬最速の男は、あっという間に夜の闇に消えたワンボックスのテールランプにしばし呆然としていた。




 …………。




「ちくしょうナメんなアアアアアーーーーーッ!!!!!」



 深夜、群馬県某所の山道を1台の黒いバンが駆け下る。


 車内は36人乗りという奴隷船も真っ青な鮨詰すしづめ状態であり、焼きついたブレーキはもうほとんど使いものにならない。

 群馬の急勾配とテクニカルなコーナーが、自重でどんどん加速していく車体に容赦なく襲い掛かる。


 火花を散らすガードレールの先は、高さ100メートルはあろうかという断崖絶壁である。

 既に制御不能一歩手前の状態であったが、それでも4つの車輪がアスファルトを踏みしめていられるのは、ハンドルを握っているのが栗山林太郎であるからに他ならない。


 林太郎は巧みなアクセル操作とハンドルさばきにより、暴走する車体をギリギリのところでコントロールしていた。


「はわわわわ、サメっちなんだか気分が悪くなってきたッス」

「お願いだから我慢してねサメっち! 今吐かれたら本当にシャレにならないよ!」

「口惜しや、群馬の塵と、成り果てぬ……ワン」

「辞世の句を詠むのも禁止! ……くそっ、ソードミナス、カーナビを拡大してくれ! ……ソードミナス?」


 林太郎がチラリと助手席に目をやると、ソードミナスはとっくに失神して白目を剥いていた。



 次の瞬間、林太郎の横顔が正面から強い光で照らされる。


「ッッッ!!!??」


 それが対向車のヘッドライトだと気付くや否や、林太郎は反射的にハンドルを切った。

 黒と白の車体が、その間わずか数センチという距離で交錯する。


 なんとか正面衝突は免れたものの、林太郎たちにとって性急に過ぎる回避運動はあまりにも致命的であった。

 眼前に迫りくるガードレール、絶体絶命のピンチと最悪の結果が林太郎の脳裏をよぎる。



 崖下に転落し爆発炎上、36名全員死亡という結末からはもう逃れられ――。




 ――なかったであろう、もしハンドルを握るのが栗山林太郎でなかったならば。




 林太郎は速度、角度、ガードレールの強度など、あらゆる情報を頭の中で一瞬にして整理し計算する。

 まるでコマ送りのようにゆっくりと流れる時間の中、既におしゃかとなったフットブレーキには見切りをつけ、虎の子のサイドブレーキへと手を伸ばした。


(いける……! ギリギリ抜けられる……! 俺ならやれる……!)


 車の運転において最も重要なスキル、それは一瞬の判断力である。

 同乗者35名の命を背負い、林太郎はサイドブレーキを力いっぱい握りしめた。


「曲がれこんちくしょぉーーーーーーッ!!!」



 ギュムムンッ!!!



「はうぅッ!! 貴官、私のしっぽ・・・になんてことをするんだ!!!」

「し、しっぽぉぉぉぉ!!!???」



 林太郎が力いっぱい引っ張ったのは、サイドブレーキではなくウサニー大佐ちゃんの可愛い尻尾であった。


 黒いバンはガードレールを突き破り、4つのタイヤはついに大地から解放された。



「「「「「ギャアアアアアアアアアアアア!!!!!」」」」」




 ピピピポポポピ。


 断末魔の叫びがこだまするなか、林太郎の“ビクトリー変身ギア”が緑色に明滅した。



『林太郎! クラクションを素早く4回鳴らすのじゃ!』



 聞き覚えのある幼女の声が耳に届き、林太郎は考えるよりも先に指示された通りクラクションを4回鳴らした。


 ププププッという子気味良い音と共に、“隠しコマンド”によってバンの両サイドからグライダーのような大きな翼が展開される。

 同時に翼の先端についたロケットエンジンから青い炎が噴き出した。


 硬い大地に叩きつけられるかと思われたまさにその刹那、重力に引かれるままであった車体が揚力を得てググッと空へ舞い上がる。


「こ、これは……!」

「すごいッス! 飛んでるッスよアニキ!」

『うははははー! どうじゃ、これがアークドミニオンの技術力じゃ!!』


 林太郎が乗るこのバンは、燃える前橋支部から拝借してきたものであった。

 これは林太郎が後で知った話であるが、アークドミニオンで使用されている車は全て絡繰将軍タガラック配下の“タガデン自動車”から供与されているものだという。


「くぅぅ、オレサマとしたことがタガラックに助けられるとは……」

『うひゃひゃひゃひゃ! これで百獣軍団と極悪軍団には、“貸しひとつ”ずつじゃのう』

「まさかタガラック将軍、それが狙いでギリギリまで引っ張ったってことはないですよね」

『くららちゃんは10歳だから難しいことはわかんないのじゃ』


 よもやブレーキがあっという間におしゃかになったのも彼女の仕業なのだろうかと。

 林太郎はタガラック将軍ならばやりかねないと思ったが、今はただ生き残ったことに感謝することにした。


 美しい夜景と星空の中を飛ぶという体験もそうそうできるものではないだろう、二度としたいとは思わないが。


「ねえアニキ、サメっち気づいちゃったッス」


 ギュウギュウ詰めの車内で、林太郎の太腿に頭を乗せたサメっちが彼の袖を引っ張った。


「俺も気づいてはいるんだけど、あえて聞かせてもらおうか。なんだいサメっち?」

「さっきからどんどん高度が落ちてるッス」

『うむ、さすがにその人数は定員オーバーじゃな』

「でしょうねえ!!」


 空を飛ぶ黒いバンは、そのまま真冬の利根川に不時着水した。




 …………。




 同時刻、群馬の峠では破壊されたガードレールの脇に1台の白いバンが停まっていた。


「……あ、朝霞さん……今確かに落ちましたよね……?」


 この真冬に半袖の男、暮内烈人は懐中電灯の明かりを暗い谷底へと向けていた。

 猛スピードで走る黒いバンとすれ違ったのはつい先ほどのことである。


 あろうことかその黒いバンはガードレールを突き破り、烈人たちの目の前で崖下へと落下していった。


 ……はずなのだが、間違いなく落ちたはずの車の姿がどこにも見当たらないのである。


「……まさか幽霊でも見たんですかね俺たち」

「ありえませんね、霊などこの世に存在しません」

「じゃあなんで降りてこないんですか! 幽霊じゃないなら朝霞さんも一緒に探してよ!」

「断じて降りません、車外はとても危険です。車内にいれば安全です」


 鮫島朝霞は頑として運転席から出ようとはせず、無表情のまま両手を合わせたり十字を切ったりしていた。


「何から身を守ろうとしてるの、ねえ!? 体にふりかけてるそれ何? 塩?」

「これはけして悪霊から身を守るためのものではありません。ただの土俵入りです」

「神事なの!? 真夜中の群馬の山奥で何を始めようとしているの朝霞さん!?」


 朝霞は後部座席を埋め尽くす野生動物たちにも塩を振りかけながら、メガネをクイッと上げた。

 動物たちは降って湧いた貴重なミネラルをペロペロ舐めるのに夢中なようであった。


「救急には連絡を入れました。後は彼らに任せて私たちは先を急ぎましょう。先ほどからブルーさんとの連絡も途絶えています」

「それはそうだけど……でももし幽霊じゃなかったら……!」

「いいから乗ってください。はやく!」


 朝霞の気迫に押されて、烈人は仕方なく助手席に乗り込んだ。

 頭から塩をひと袋まるごと浴びせられた烈人は、動物たちにペロペロ舐められながら事故現場を後にした。



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