第百七話「雪山に走る青筋」

 広がる一面の銀世界。

 山は白く輝き、川は凍りつき、雲ひとつない空は1週間ぶりの晴れ間を覗かせている。


 ほんの少しひらけた猫の額ほどの広場に、半分ほど雪に埋もれた木造の掘っ立て小屋があった。

 それはもはやただの薄い板で区切られただけの空間であり、なんなら山小屋という呼び名すらもいささか過分である。


 ここは国家公安委員会こっかこうあんいいんかい局地的人的災害きょくちてきじんてきさいがい特務事例とくむじれい対策本部たいさくほんぶオンドコ沢支部。

 しかしその廃屋じみた建物は、今やヒーローはおろか小動物一匹いないもぬけの殻と化していた。



 ギャロギャロギャロギャロ!!



 チェーン付きタイヤが降り積もった雪の上に轍を描き、大きな白いバンが曲がりくねった山道を駆ける。


 ハンドルを握るのは、キャリアウーマン然とした眼鏡の女性である。

 文明の申し子のような彼女とは対照的に、助手席の男は褐色の肌に赤い半袖シャツという、おおよそ2月とは思えない野性的な格好をしていた。


「……1週間も足止めを食らうとは想定外です」

「ようやく晴れてよかったですね朝霞さん! 一時はどうなることかと思いましたけど!」

「暮内さんが“ビクトリー変身ギア”を忘れて行かなければ、私だってわざわざ自ら出向いたりはしませんでしたよ」

「えええ、それは仕方ないじゃないですか! 俺だっていきなり拉致られたんですよ!?」


 折からの猛吹雪により、鮫島朝霞がオンドコ沢支部で足止めを食らって既に1週間が経過していた。


 その間、ろくな防寒設備もない吹き曝し同然の小屋で、無数の野生動物たちと寝食を共にし。

 魚の骨と木の皮のスープで食いつなぎながら、襲い来る飢えと寒さと凍死の危機を乗り越え。

 時に寝顔でドキドキやら、混浴的なハプニングもあったりなかったりしながら。


 ようやく雪がやんだかと思えば、1メートルを超す積雪の中を掻き分け8時間かけて山を下り。

 麓の村でまるで言葉が通じない地元のお爺ちゃんたちから、なんとか道を聞きだして今にいたる。



 さすがの朝霞といえども、その顔には疲労と怒りの色がにじんでいた。



「暮内さん、揺れますよ」

「わわわっ! 運転あらいよ朝霞さん! ひょっとしてめちゃくちゃ怒ってます!?」

「私は怒っていません。いたって冷静です」


 そうは言ったものの、実際のところ小諸戸歌子に対する朝霞の怒りゲージはとっくにカンストしていた。


 あの“小者でウザ子”が部下を勝手に左遷するといった勝手なことをしなければ、雪山で1週間もサバイバル生活を送る必要はなかったに違いない。

 方々に頭を下げて回り、暮内烈人の辞令を握り潰すのにもかなりの労力を要した。


 あれもこれも全て、朝霞に対する劣等感と嫉妬を行動原理とするあの新参謀本部長の尻ぬぐいである。


「朝霞さん青筋! 青筋立ってる!」

「立っていません。これはこういうメイクです」

「あまりにも無理があるよ! ケ●ヂぐらいしかしないよそんなメイク! またそうやってすぐ嘘つくんだから!」

「………………」


 烈人に咎められ、朝霞はバツが悪そうに顔を背けた。

 すぐにバレる嘘をつくのは鮫島家の血によるものだろうか。


 朝霞は冷静を装ってはいるが、自分がたいがい頭に血が上りやすいことも自覚していた。


 そもそも自分の足で直接オンドコ沢支部を訪れたのも、烈人の身を案じてのことだ。

 彼女の気苦労も知らないで烈人本人は呑気に獣たちと戯れていたのだから、腹も立とうというものである。


 もちろんそんなことを、わざわざ本人の前で口に出したりはしない。

 司令官としての部下の身の安全を守ることは、当然の責務だからだ。


 ……と、朝霞は自分に言い聞かせ、露骨に話を逸らした。



「…………それよりどうするつもりですか暮内さん、この荷物は」



 荷物というのは他でもない、後部座席に詰め込まれている野生動物たちである。


 ウサギ、キツネ、タヌキ、サル、シカ、カモシカ、ハクビシン、ツキノワグマ。

 けして広いとはいえない車内は、ちょっとした移動動物園と化していた。


「先に断っておきますが、うちのマンションはペット禁止ですよ」

「仕方ないでしょ、ついてきちゃったんだから! それに朝霞さんだって割と気に入ってるじゃないですか!」

「気に入ってません」


 口ではそう言うものの、多少の愛着がわいていることは確かである。

 でなければ遭難3日目あたりで、煮るなり焼くなりしていたに違いない。


「そうやってまた嘘つくんだあ! 俺知ってるんですからね! 朝霞さんって冷たく見えるけど本当は優しい人だって!」

「優しくありません」

「えええ、俺のためにわざわざこんな雪山まで来てくれたのに!?」

「……………………」


 朝霞は黙ってカーナビの行先を最寄りの保健福祉環境センターに変更した。


「朝霞さんやめたげてよう! こいつらだって生きてるんだよう!」



 ビービービー! ビービービー!



 烈人が朝霞の暴挙を必死に押し留めていると、不意に車内に電子音が響き渡った。

 ふたりがその音の出どころを探ると、朝霞の胸ポケットの中で無線機のランプが明滅していた。


 アナログで単色の液晶には『ビクトブルー』の文字が躍っている。

 ここしばらく山小屋に缶詰状態であったため、朝霞司令官はビクトレンジャーのメンバーともほとんど連絡を取れていなかった。


 司令官不在ということは、大きな作戦行動は取れないということである。

 今のところ怪人組織に対して、ヒーロー本部側から攻め入るようなことはできないはずだが。


 朝霞は少しの負い目と一抹の不安を感じながら、ブルーこと藍川ジョニーからの無線に応じた。


「はい、こちら鮫島」

『やっと繋がったぜ朝霞司令官! 大変なんだぜ! 小諸戸参謀本部長が暴走してアークドミニオンの支部に無謀な突撃を……!』



 ギャロロロロロロロロロロロロ!!!!!!


 朝霞はジョニーの言葉を最後まで聞くよりも前に、アクセルをめいっぱい踏み込んだ。




 …………。




 藍川ジョニーはアークドミニオン百獣軍団の拠点を攻める、ヒーローの一団の中にいた。


 半数近くの者が理性を失っているように見えるが、裏を返せば半分はまだ正気を保っているということだ。

 彼らが別の意味で正気を失うのも、もはや時間の問題であった。


「ビクトブルーさん、こんな無茶な攻撃もうやめさせてください!」

「いくら作戦参謀本部直々の作戦だからって、こんなのめちゃくちゃだ!」

「ヒーローとはいえ、俺たちにだって家族がいるんだぞ!」


 本来であれば、ヒーローが5人集まってようやく怪人を1体倒せるぐらいなのだ。

 羽田空港での決戦において戦力の大半を失ったヒーローたちにとって、傷だらけの心許ない戦力で武闘派怪人軍団の前哨基地を攻めるという蛮行は無謀の一言に尽きた。


 作戦に参加しているヒーローたちから、弱音にも似た懇願が次々とジョニーにぶつけられる。


「「「なんとかしてくださいよビクトブルーさん!」」」

「そんなこと言われたって、俺も困るんだぜーーーッ!」


 勝利戦隊ビクトレンジャーは仮にも東京本部所属のエリートであり、立場上はそれなりに作戦参謀本部にも近しい。

 ヒーローたちの不平不満は、そのビクトレンジャー唯一の常識人であるジョニーの一身に降り注いでいた。


「朝霞司令官ーーーーーッッ! 早く帰って来てくれぜーーーーーッッッ!!!」


 板挟みにされたジョニーの悲痛な叫び声が、空にこだまする。


 するとまるで彼の声に応えた天からの福音のように、甲高い笑い声が周囲一帯に響き渡った。



「ンーーーッフッフッフフフ! オホホホーーーーーッホッホッホ!!!!!」



 戦っていたヒーローたち、そして怪人たちが一斉に声のする方に目を向ける。


 そこには黒いビジネススーツの胸元からは真っ赤なシャツを覗かせる、ひとりの派手な女がふたりのヒーローを引き連れて仁王立ちしていた。


 戦場にはあまりにも場違いなハイヒールをカツンと鳴らしたその女は、誰あろう本来であれば最後方に控えているべき人物であった。


「怪人の皆さん、無駄な抵抗はおやめになってくださいましー!」

「小もの……小諸戸参謀本部長! あれほど前線には出ないでくれっていったのぜ!!」


 ジョニーの言葉に、周囲の怪人たちが反応する。


「アイツが頭か! ならさっさと潰して終わりにしてやらあ!!」

「のこのこ出てきやがったのか? お望み通りぶっ潰してやらあ!!」

「百獣軍団に喧嘩売りやがったこと、地獄で後悔しやがれーッ!!!」


 抵抗するなと言われて、はいそうですかと引き下がる怪人などいない。

 案の定、突如として現れたヒーロー軍団のトップに、百獣軍団の怪人たちが殺到する。



 ――しかし、その前に赤と緑の戦士が立ちはだかった。



「控えおろう! 控えおろーーーうッ!!」

「HEY GUYS! これがEYESに入らぬかーーーッッ!!!」



 どこかで聞いたことのある口上とともに、ラマーが怪人たちの眼前に印籠の如くつきつけたものは――。


「あれはまさか……冗談だろう!?」

「そんな……そんなバカなことがあるわけねえ……!!」

「ンフフフフーッ! そうですわっ、そうやって跪きなさいな!!」



 ――――それは百獣将軍ベアリオンのパンツであった――――。




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