第七十一話「翼は南の島へ飛ぶ」

 夜半やはんから降り始めた雪は街並まちなみをっすらとめ上げ、朝日に照らされた東京は白くかがやいていた。

 そんな中、阿佐ヶ谷あさがやのヒーロー仮設本部はまたしてもはちをつついたような大騒おおさわぎであった。


局地的きょくちてき人的災害じんてきさいがい警報発令けいほうはつれい! 現在奥多摩おくたまにて林業りんぎょう戦隊キコルンジャーが交戦中こうせんちゅう!」

「マスコミに箝口令かんこうれいくんだ! 絶対に情報をらすな!」

「そんなの無理に決まってるだろ! 高尾山たかおさんが吹っ飛んだんだぞ!?」


 最強ヒーロー・まゆずみ桐華きりか怪人覚醒かいじんかくせいという情報は、いち早くヒーロー本部に届けられた。

 すでに動けるヒーローたちが対処にあたっているが、こうそうしているとは言えない状況である。


 モニターには、立ち入り禁止の規制線きせいせんが張られた高尾山たかおさんの様子が映し出されている。

 高尾山はまるで子供が砂山をくずしたかのようにゴッソリとけずり取られ、山そのものの輪郭りんかくが変わってしまっていた。


 場所が場所だけに死傷者の情報は入っていないものの、黛桐華の怪人覚醒にともなう被害は甚大じんだいである。

 だがそれ以上に“あの黛桐華”が怪人と化したという事実が、ヒーロー職員たちの面持おももちを暗くさせていた。


 黛桐華の後見役こうけんやくとなっていた研究けんきゅう開発室かいはつしつ丹波たんば室長にいたっては、ストレスでついにあわを吹いて倒れたという。


朝霞あさか司令官、黛桐華は君の部下だろう!? これは君の失態だぞ!」

意図的いとてきに怪人覚醒を阻止そしできるのであれば、ヒーロー本部の存在そのものに疑義ぎぎをていさざるをないかとぞんじます」

「ぐぬーっ! ……いつかそのあつつらかわいでやるからな!」


 作戦参謀さくせんさんぼう本部の幹部かんぶ職員たちは、頭に血をのぼらせながら責任のなすりつけ先を探していた。

 なにせヒーロー学校歴代れきだい記録をすべてえるほどの人材じんざい逸失いっしつしたのだ、それも殉職じゅんしょくではなく最悪の形で。

 ヒーロー本部がこうむ損害そんがいはかり知れない。



 そんな中、現状動かせるこまを持たない朝霞あさかは、桐華の動向を追うことしかできないでいた。


林業りんぎょう戦隊キコルンジャー壊滅! 目標、移動を開始しました! 高速で南下なんか中!」

静岡しずおか支部の親分おやぶん戦隊ジロチョウジャーに出動要請! 火器かきならびに巨大人型きょだいひとがた兵器の無制限使用を許可する!」

「今までにないほどのエネルギー反応だ……まるで核融合炉かくゆうごうろじゃないか」

「またいつ爆発するかわからん! 二十三区にじゅうさんくへの侵入しんにゅうはなんとしても阻止そしするのだ!」


 山を変形させるほどの力は、ただそれだけで人間社会にとっては大きな脅威きょういだ。


 いまや関東圏かんとけんのみならず、東日本ひがしにほんのヒーローたちは総動員体制そうどういんたいせいで黛桐華の命をねらっていた。

 人の少ない山岳部さんがくぶだろうが海上かいじょう無人島むじんとうだろうが、日本国内である以上、怪人と化した桐華に安息あんそくの地はない。


「黛さん……」


 朝霞のPCピーシーモニターには、市街地をけて飛び回る桐華の軌跡きせきがはっきりと示されていた。




 …………。




 いっぽうそのころ、アークドミニオン地下秘密基地。

 部屋はあるじである男の姿を隠すように、暗黒で満たされていた。


 真っくらな室内を、大きなモニターの明かりだけが煌々こうこうと照らし出す。


 画面に映し出されているのは、ボコボコにのされたヒーローたち。

 そして黒い翼を広げる怪人の少女であった。


「ついに覚醒しおったか……桐華」


 画面を見上げるのは真っ白な髪に、やいばのような鋭い目をしたひとりの老翁ろうおうである。

 彼の目はどこかさびしげで、背中はいつもよりずいぶん丸まっていた。


「おぬしやはり知っておったか。どうりで支部が攻められている間も出張でばってこんかったわけじゃ」


 闇の中から、いかにも可愛らしい女の子の声がする。

 アークドミニオン結成当初けっせいとうしょからせきを置く最古参さいこさん重鎮じゅうちん絡繰からくり将軍タガラックはしわがれた盟友めいゆうを見ていきをついた。


「悪の総帥そうすいでもまごはかわゆうて仕方しかたないっちゅーことかのう」

「桐華にはおのれの人生を歩んでもらいたい。我輩わがはいはそう願っているだけである」

「その道はたれたようじゃがな。いずれにせよわしらの覇道はどうさまたげになるようならば、遅いか早いかだけの違いではあるがのう」

「クックック、“怪人生じんせい”とは、なかなか思ったようにはいかぬものであるな……フハハハハ!」


 真っ暗闇くらやみ老紳士ろうしんしの笑い声がこだまする。

 ひとしきり笑うと、ドラギウス三世はその右腕みぎうでたる幼女にたずねた。


「タガラック、林太郎ならば今の桐華を救えると思うか?」

「まー、贔屓目ひいきめに見ても無理じゃな。救えたとしてもその後がどうにもならん。ヒーロー本部が本気で狩りにきておるからのう」

「まったく、言いにくいことをズバッと言い切りおるわ」

「“れいのモノ”が間に合えば、ようやく五分五分ごぶごぶといったところかの」


 ドラギウスとタガラックは、まばゆい光を放つモニターを見上げた。

 画面の中では、黒い翼が海上を飛んでいた。




 …………。




 林太郎は医務室でみなとから応急手当おうきゅうてあてを受けていた。


 高尾山たかおさんめにされてからというもの、物狂ものぐるいでデスグリーン変身ギアを探し出し。

 なんとか自力じりきで帰還をたしたころには、とっくに日がれていた。


「林太郎は怪人なのに、ずいぶん傷のなおりが遅いな」

「そりゃきっと血が薄いってことなんだろうね。ああ、しみる……っ!」

「よし、よく我慢がまんしたな」


 みなとは消毒を済ますと、慣れた手つきで林太郎の腕に包帯ほうたいをくるくると巻いていく。

 裂傷れっしょうはひどかったものの、さいわいにもほねれていないようで林太郎は一安心ひとあんしんした。


「……しかし、あのビクトブラックが怪人覚醒とはな」


 湊の何気なにげない言葉に、林太郎はらしくもなく目をせた。

 目の前で後輩が怪人覚醒したというショックはもちろん、桐華の悲しそうな笑顔が頭から離れないのだ。


 とかく情報が早いアークドミニオンのことである。

 すでにヒーロー本部が桐華に対し、かつてない規模きぼ討伐とうばつ作戦を展開しているという情報はつかんでいた。


 一刻いっこくあらそうかもしれない、そう思うと林太郎はいても立ってもいられなくなった。


「ありがとう湊、また頼むことになるかもしれない」

「おい林太郎、まさか行くつもりじゃないだろうな?」

「まったくかんするどいことで」


 アークドミニオンのおもな目的のひとつには、怪人の保護というものがある。

 ならば世間様せけんさまさわがせる野良のら怪人をしょっぴくのは、極悪怪人デスグリーンの責務せきむである。


 さも当然のように言い放つ林太郎だったが、湊は懇願こんがんするようにそのそでを引いた。


 覚醒した桐華は“野良のら怪人”と呼ぶにはあまりにも強大きょうだいすぎる。

 なにせ山を半分はんぶん消し飛ばすほどのパワーをゆうしたものだ。

 とてもではないが、林太郎を行かせるわけにはいかなかった。


「……あまりにも無茶むちゃだ。小手先こてさきでどうこうできるヤツじゃないのはわかっているだろう?」

勘違かんちがいしちゃあいけない。俺は仕事をこなすだけさ、相手が誰であろうとな」

「林太郎……お前……」

「アイツが嫌だって言っても、無理やり連れてきてやるさ」


 林太郎のドブのようににごり切ったは、それでもまっすぐ前を見据みすえていた。

 自分もこうやって林太郎に救われたのだと思うと、湊はそれ以上なにも言えなくなる。


「うぅ……覚悟はできているんだな?」

「もちろん。地のてまで追いかけて、とっつかまえてやろうじゃないの」


 そのとき、医務室のとびらにもたれかかるようにして小さな人影が姿を現した。

 フードを深くかぶったその少女は、ニッと笑ってグッと親指おやゆびを立てる。


「話は聞かせてもらったッス! このサメっち、一番舎弟いちばんしゃていとして全力でアニキのサポートをさせていただくッスよ!」


 それはモコモコしたコートにつつみ、大きな“ボール”をかかえたサメっちであった。

 初雪が降ったということもあって、まるっきり今さっきまで外ではしゃいでましたというちである。


「おお、サメっち! 心強こころづよいぞ!!」

「むふふん、おむかえの仕事はサメっちのほうが先輩ッス! 実はもうビクトブラックの居場所いばしょき止めてあるッスよ!」

「すごいぞ! てっきり遊んでいたかと思いきや、なんて優秀ゆうしゅうなんだサメっち!」

「えへへー、アニキにめられたッスぅー」


 サメっちは顔を赤らめると、屈託くったくのない笑顔で牙を見せて笑う。

 林太郎はそのモコモコフードをかぶった頭を、わっしゃわっしゃとなで回した。


「んじゃアニキ、さっそく出発の準備をするッスよ!」

「ああ、どこへだって行ってやるさ。それで、黛……ビクトブラックは今どこにいるんだ? 網走あばしりか? それとも波照間島はてるまじまか?」


 サメっちは手にしたボールを林太郎にきつけると、元気いっぱいの笑顔で言った。



南極なんきょくッス!」



 サメっちが手にしていたのは、ボールではなく地球儀ちきゅうぎであった。

 小さな指がさす先には、真っ白な大陸がえがかれていた。




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