第6話 選択の結果

 サブユニットのうち1機が大きく軌道を変更した。斥候スカウト1号の向かって左側を周り込んで向こう側へと移動、もう1機と斥候スカウトを挟んで一直線に並ぶ位置についた。双方の距離はちょうど30万キロ(斥候スカウトはその中間の15万キロ)になる。ヴァジュラユニット本機は更に10万キロ離れたポイントに位置している。2機のサブユニット間で走査線を走らせ――一方から照射し、反対側のユニットに受信させて中間にある斥候スカウトの組成、構造分析を行い、分析結果は直接本機へ送る。その結果は如何なるものとなるのか? 果たして電磁輻射の時と同様に全面反射となるのか? 透過力の高い走査線を選択しているが、対象の性質は不明なので結果は予測できない。

 シャトナーが指令コマンドを送る。


〈中性子線、10秒連続照射。続いて重力波線、ニュートリノ線を照射〉


 スクリーンの可視映像上では何の変化も見られない。だが併せて表示される数値データは極めて頻繁に走査線が走っている事実を伝えていた。もし線上に人間がいたら、高レベルの耐曝装甲宇宙服を装着していたとしてもたちどころに絶命するだろう。それほどの強大なエネルギーが放たれているのだ。


『これを……敵対行為と受け取らなければいいが……』


 リウは呻くような声で呟いた。あまりにも苦しげに聞こえたので、他の理事会メンバーは一様に彼に注目した。一心にスクリーンを凝視している木星行政府司政長官の姿が映るが、眉を顰め、歯嚙みしているさまは確かに体調の異常を伺わせもした。だが誰も彼に話しかけることはなかった。

 緊迫感は皆に共通していた。遂に始まった未知の存在に対するアクティブな接触コンタクト、どうしても不安感は拭えない。呻きたくもなるというもの、体調の異変など当然だろう。

 皆は沈黙したままスクリーンに視線を戻した。暫し静寂の時が流れる。



『何も起きないな。しかしこれ……』


 フェルミは数値データの中のある特徴に気づいた。


〈はい、事務総長。受信機レセプター側に走査線が入射されています〉


 フェルミは頷く。


『つまり全面反射は起きていない……ということになるのか? だが――』

〈お気づきのようですね。受信機レセプターには何の情報も入っていません〉


 サブユニット間で走査線が走らされており、中間の斥候スカウトを透過した結果として、内部の情報が何らかの形で入手できるはずだ。だが――――


『全く無い、受信機レセプターには一切データが出ていない。真空中をそのまま通過しただけのようなものだ』


 スーリアが問いかける。その顔には戸惑いの色が現れていた。


『どういうことなのです?』


 フェルミは首を振った。


『走査線上、あの空間には何も存在しないということになる』


 そんなバカな――理事の何人かが声を上げた。


『もちろんそんなことはない。あそこには確かに斥候スカウトが存在するし、電磁輻射の全面反射が今も継続しているのが確認されている』


 皆はスクリーンに映る涙滴型物体に目を向けた。あれは確かに実在する、そのはずだ。我々皆が幻覚を見ていない限り……


『ところが中性子線、重力波線、ニュートリノ線は反射していない。では透過できたのか? ところが透過に際して得られるはずの内部情報が全くない。これは何なのだろう?』


 フェルミは何故か笑みを浮かべていた。その様子に皆は戸惑う。


『シャトナー、何か分からないか?』


 皆の反応は別として、フェルミは問いかけた。


〈わずかずつですが、斥候スカウト表面上に熱反応の上昇が見られます〉


 画面の様相が変わった。赤外線分析画像だ。


『む? 先端から向かって右方向に向けてラインが走っているな。これが熱上昇しているのだな?』

〈はい、そしてこの熱上昇線は反対側の尾部先端で消えています〉


 フェルミはの笑みは拡大した。


『これはちょうど走査線が接触したポイントを結んでいるな』

〈その通りです。放射機から照射された走査線が接触したポイントで熱上昇ラインが出現し右側面へと走っています。そして反対側の尾部まで伝わり消失しています〉


 そして尾部から受信機レセプターに向けて走査線が走っている。


『つまり走査線が表面を迂回するように走って反対側で空間に放たれている……ということか。熱反応の上昇は表面を走査線が走った効果になるのか?』

〈表面を走った影響で熱が発生したとは思われますが、詳細は不明です〉


 一同の間で動揺が走った。


『どういうことだ? 今までは反射するだけだったが、一転してこの反応は何なのだ?』

『今回選択した照射線はさすがに反射できなかったということなのだろう?』

『透過ではなく迂回させるというのはどういうことなのか?』


 フェルミは暫く無言だったが、やがて口を開いた。


『メタマテリアルを思わせるな。人類が21世紀に実現させた透過素材だ。厳密には透過ではないが』


 ジャイルズ小惑星帯メインベルト行政府司政長官が反応した。


『待って下さい。あれは電磁輻射の負の屈折率を応用したもので、これは――』


 フェルミは手を上げて制したので彼は発言を中断した。


『分かっている。中性子線はともかく、重力波線やニュートリノ線まで操作できるとはとても信じられない』


 では何なのか?


『シャトナー、分かるか?』


 暫し反応は現れなかった。量子AIのこうした沈黙はあまり例がなく、それは皆に不安をいだかせてしまった。


〈――失礼しました。私にもよく分からないので、さすがに解答に窮してしまいました〉


 解答に窮する――その応答の仕方に皆は奇妙なものを感じた。


『うぅむ……、いずれにせよ走査線が効果を出さないとなると分かりようが――』


 フェルミの言葉は中断した。けたたましい警報音が突如として鳴り響いたからだ。シャトナーが報告する。


〈不正アクセス警報! ヴァジュラユニット全機のシステムに外部からの侵入が検知されました〉


 皆は唖然とした。シャトナーの言葉の意味が理解できなかったのだ。


『何だそれは? 不正アクセス? いったいどこから? 何故?』


 スクリーンにはアラート表示が現れた。映像が激しく乱れ、よく見えなくなっている。そればかりかスクリーン自体が揺れ始め、直後一瞬にしてブラックアウトしてしまった。同時に警報は止まり、一転して静寂が戻った。

 皆は茫然と真っ黒になってしまったスクリーン群を見つめるだけ。いきなり発生した事態に理解が追い付かないのだ。だがいち早くフェルミは立ち直った。


『シャトナー、応答できるか? 何が起きた? 状況報告しろ』


 反応はない。いったいこれは――皆の不安が増していったが、その時、1つのスクリーンが出現した。ヴァジュラユニットとの回線が復活したのかと思ったが、どうもアングルや距離などが大きく違っていることに皆は気づいた。


〈これは〈ヘクトル〉を周回する宇宙望遠鏡から捉えた映像です〉


 シャトナーの声、彼との通信は断たれていないようだ。

 映像は倍率が次第に上げられ中に映されるものの詳細が分かるようなった。


『何だ……?』


 最高倍率となった時、皆は言葉を失った。


〈ヴァジュラユニットの現状です〉


 画面の中に映される4つの物体、そのうち1つ――涙滴型のものは斥候スカウト1号だと直ぐに分かる。だが残りの3つ――最初それが何なのか皆は分からなかった。だが直ぐに理解した。


『ヴァジュラユニットなのか……? しかしあれはいったい……?』


 金剛杵思わせる形状は確かにヴァジュラユニットのものだ。だがその様相は一変していた。


『結晶? 何かガラスのようなものに覆われている……?』


 或いは突き刺さっていると言うべきか? ユニット3機全ての表面に銀色の結晶のようなものが付着していたのだ。表面積のかなりの部分に及んでいて、よく見ると少しずつ拡大しているのが分かった。


『まるで浸食されているように見えるな。シャトナー、あれが何なのか分かるか?』

〈不明です。ただ、エンケラドゥスで確認されたエイやアメーバ体の構成物質と近似した成分が検出されています〉


 これは宇宙望遠鏡によるスペクトル分光分析の簡易結果だ。


『エイやアメーバ体……となると……』


 フェルミの視線の焦点はヴァジュラユニットの中間に存在する涙滴型物体に注がれた。そのままシャトナーに訊いた。


『シャトナー、今はヴァジュラユニットとの回線は遮断されているのだな?』

〈はい、私との回線だけでなく、太陽系世界の全てのネットワークとの接続の特級遮断状態にあります〉


 特級――という言葉に皆は色めき立った。


『特級となると物理的に遮断。ヴァジュラユニットからの通信は問答無用で切るというわけか。つまり劇症レベルの攻性ウィルスの存在が考えられるということだな』


 ヴァジュラユニットからの全ての通信が完全に遮断された状態にある。これは対応困難な攻性の電脳ウィルスによる侵入が感知された時に取られる対処だ。この事態は理事の皆を驚かせた。


『特級など……史上初じゃないか? 量子ネットワークのセキュリティは盤石で、侵入など考えられないのに、物理的遮断処置を取るなど……』

〈しかしヴァジュラユニットのシステムに対する侵入は起きました。暗号保護されたシステムにです〉


 シャトナーは別のスクリーンを展開させた。そこにヴァジュラユニットシステムに対する異物の侵入とその拡大の様子をアニメーションとして描き出した。


『量子暗号保護されたシステムへのハッキングなど不可能のはず。だが事実として起きている』


 フェルミは淡々と語る。


『侵入者は斥候スカウト1号と考えていいのだろうな』


 皆はスクリーンの中の涙滴型物体に注目した。それは位置を変えているように見えた。手前のヴァジュラユニット本機に接近しているように見えたのだ。


〈不正アクセス検知の時の経路逆探記録によると、確かに斥候スカウト1号からの電磁波が確認されていました〉

『そうなのか? お前は何も言わなかったぞ』

〈すみません。一瞬すぎて私の加速思考でも追い付かなかったのです〉


 電磁波の放射はピコ秒にも満たない微塵の時間だった。その一瞬にも及ばない刹那の間にシステムに影響するウィルスプログラム的なものを送り込んだと思われる――と、シャトナーは説明した。


〈ウィルスは超がつくほどの劇症レベルで瞬く間に感染拡大、ヴァジュラユニットのシステムは一瞬にして私の制御下から離れました〉


 そして更に回線を通して自身のメインフレームへの侵入の動きも感知された。よってシャトナーはヴァジュラユニットを切り離し、特級の接続遮断処置を取ったのだ。


『あれが侵入したというのか? 人類のシステムを掌握して支配下に置いたとでも……?』


 リウの声は震えていた。大きく見開かれた目は恐怖に彩られている。


『ああっ、見て下さい。進行を開始しています』


 ラウダの叫び。

 まるで隊列を組んでいるようだ――と、皆は感じた。ヴァジュラユニット本機を先頭にサブユニットの1つ、続いて斥候スカウト1号、もう1つのサブユニットと1列に並んで移動を始めている様子が映し出されている。


〈2G……3G……加速飛行に入っています〉

『行先は分かるか?』


 シャトナーの解答は僅かに間が開いた。まるで言いよどんでいるようだと皆は感じた。


〈ヘクトルです。交差する軌道に入っています〉


 明日には到着するだろうと思われた。それは皆に言い知れぬ不安――いや、恐怖を呼び起こした。

 “あれ”は人類のシステムに侵入し、支配したと思われる。量子暗号の壁を破り掌握したのだ。それが恐怖を生み出す。

 人類を凌駕する能力を持っているのではないのか? 未知の存在がもたらす不安は頂点に達しようとしていた。


『くそっ、何ということだ!』


 リウがテーブルを強く叩いた。大きく響いた音は仮想理事会会議室に大きく反響した。フェルミは黙ってそんな様子を見ていたが、やがて口を開いた。


『諸君、事態は予想外の方向に動いた。これから何が起こるのか予測がつきにくい。だが我々は座して待つわけにはいかない。直ちに動き出す必要がある』


 彼は一度言葉を切り、深呼吸。そして言葉を続けた。


『〈全種緊急事態宣言〉を発令する!』


 理事の皆は息を呑んだ。〈全種〉とは全人類を意味する。太陽系に広く拡散した人類世界全てを対象としたものだ。天文単位に及ぶ世界に一律適用されるなどよほどの事態でなければ考えられない。例えば数光年以内での超新星爆発といった天文学的災厄でも起きない限り、発令はないと考えられるものだった。それをフェルミは発令した。


『これは天文学的災厄と言っていい』


 言い切るフェルミの目は暗く沈んでいた。


『各行政圏は即座に対応に入ってくれ!』


 理事は例外なく居住まいを正した。事態の深刻さを我がこととして自覚したからだ。


『最後に言っておくが、今後量子通信もままならなくなる可能性がある。君たちは独自に判断するしかなくなるかもしれない――』


 フェルミは理事の全ての顔を見、頷いた。


『この事態を招いた最終責任は私にある。すまなかった』


 理事の皆は何も応えなかった。


『いや、我々も同じ。討議し、同意。決議したのですから責任は全員にあります』


 暫くしてリウが発言した。フェルミは黙って頷くだけだった。彼は大きく深呼吸し、最後の言葉を吐く。


『それでは行ってくれ。各自、健闘を祈る』


 そして次々と理事の面々の姿が消えた。彼らの存在していた空間に〈ログアウト〉の表示が暫く表れていた。それも直ぐに消える。最後に残ったのはリウとラウダ、そしてフェルミだった。


『リウ長官、君たちの生存圏が一番最初に接触コンタクトすることになる。本当にすまないと思う。この事態を招いた責任は逃れられない。でもね――』


 リウは静かに首を振った。フェルミは言葉を続けた。


『触れなければよかった――確かにそうかもしれないが、それでもアクティブな接触は必要だったと今でも思う』


 リウは目を閉じ、暫し何かを思考するかのような仕草を見せた。そして口を開く。


『それは私も思います。未知の存在であり何が起きるか不明でしたが、看過するだけの方が危険だったと私も思います』


 ラウダが口を開いた。


『いずれは人類生存圏に達したのは確実だと思います。何もせずに通過するだけとはとても思えません。今回の接触であれらの性質の一端は分かったし、看過していたらもっと大変なことになったかもしれません』


 フェルミは笑みを浮かべた。どこか自嘲的だった。


『フロンティアというものは、本当に大変なものだな。判断が難しい』


 フェルミはリウの目を真っすぐに見つめた。


『こんな言葉は好きではないが……頑張ってくれ』


 リウも笑う。


『それからシャトナー、リウ長官の支援を頼む。木星圏を何としても死守してくれ』

〈了解しました〉


 フェルミはリウに頷いた。リウは応える。


『全力を尽くしますよ』


 そして彼もログアウトした。シャトナーも仮想会議室からは出て行っている。

 後に残されたのはフェルミとラウダだけになる。2人は互いを見ることはなく、暫く沈黙が続いたが、やがてフェルミが話し出す。


『ラウダ長官、〈ニモイ〉ネットワークを地球―月統合圏防衛機構と優先接続させてくれ』


 赤毛の女は明らかに緊張した顔を見せた。


斥候スカウトは地球圏にも到達するとお考えですか?』


 フェルミは目をスクリーンに向けた。そこにはまだ移動する4つの銀色の物体が映されている。


『太陽系全体に1000に及ぶ斥候スカウトが放たれているからな。地球圏は内惑星世界の奥とは言え安穏としていられるわけもない』


 確実に到達するだろう――と、フェルミは考えていた。ラウダは頷き――――


『了解、直ちに〈ニモイ〉を防衛機構と接続させます』


 そして彼女もログアウトした。後に残されたのはフェルミただ1人となる。彼はスクリーンを見る。


『お前たちは何を目指す? 敵対か? 対話か? それとも他の何かか?』


 ――我々はどう対処すれば良かったのだ?


 フェルミは思考するが、結局答えは出ないと分かるだけだった。


『まずは生き延びること、それだけだな』


 その言葉を最後に彼の姿も消えた。後に残るログアウトの表示が消えると同時に円卓を中心としたホール空間――太陽系国際連合安全保障理事会仮想会議室も消滅した。

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