第2話 環境にやさしい人類
中学二年生のとき、西アジアで複数の国を巻き込む戦争が起こった。原油価格が高騰し、それにともなって穀物や食肉などの食糧の価格も世界中で跳ね上がった。私の近所のスーパーマーケットの食料品の値段も従来の倍以上になった。ティッシュペーパーやトイレットペーパーの値段も上がった。ハイパーインフレーションが起こり、日本経済は大変なことになった。原油や食糧を輸入に頼っている日本は西アジア戦争が終結する一年後まで、苦境から脱することはできなかった。私の父と母は失業しなかったので、私の家はなんとかやっていけたけれど、食うにも困る家が増えているようだった。
私は光合成ができるので、割と平気だった。みんなもホモルクスだったら、食料品が値上がりしたってたいして困らないのに。
「ほらね。やっぱり光合成ができた方がいい」と光司くんは言った。
「そうだね。太陽が照っていれば、私はお腹が減らない」
その年、自分の子どもをホモルクスにする日本の夫婦が激増した。日本だけではなく、それは世界的な傾向だった。私たちの世代は人口の三パーセントぐらいしかホモルクスはいなかったけれど、新生児の三割程度が光合成人間という時代が訪れた。
高校生になったころには、環境破壊や地球温暖化とそれにともなう気候変動が大きな社会問題となっていた。ホモルクスは環境にやさしい人類と言われるようになり、世界各国でその出産が奨励された。日本ではホモルクス出産補助金が支給されるようになった。新しく生まれる赤ちゃんの半分以上がホモルクスという時代が来た。ついにホモルクスが人類の主流になり、ホモサピエンスが少数派になる兆しが現れたのだ。
私は新しい時代の先駆的な人間だった。イエローグリーンの肌は差別の対象ではなく、うらやましがられるようにさえなった。高校一年生のとき、私の人生に画期的な変化があった。ついに光司くん以外の友達ができたのだ。
読書好きの私は、文芸部に入部した。小学校、中学校でホモサピエンスに馴染めなかった私にとっては勇気が必要な行動だった。しかし高校生になったら何か新しいことを始めたいと思って、部活動をしようと決めたのだ。文芸部ならなんとかやっていけるんじゃないかと私は期待した。
そこで友達ができた。同じ学年の陸奥凪さん。おとなしくて真面目そうな子で、初めて私の黄緑色の皮膚を見たとき、少しも奇異の目で見なかった。それどころか微笑みさえした。一年生の文芸部員は私と陸奥さんだけだった。私は彼女と仲よくなりたいと願った。努力して、話しかけた。彼女は気さくに応じてくれた。
「私、一年二組の小川美森。よろしく」
「私は陸奥凪だよ。一年一組。よろしくね」
「黄緑の肌、嫌じゃない?」
「全然。小川さんの肌はすべすべして綺麗だと思うよ」
私は本を読むだけで創作はしなかったけれど、陸奥さんは部室にノートパソコンを持ち込んで小説を書いていた。
「小川さんの書いた小説、読ませてほしいな」
「いいよ。書き終わったらね」
私と陸奥さんは少しずつ仲よくなって、学校帰りにファストフード店などに寄り道するようになった。私はもちろん飲み物だけしか注文しなかったけれど、彼女はホモサピエンスなので、ハンバーガーやドーナツを食べることもあった。
私たちは本の貸し借りをしたり、読んだ本の感想を語ったり、好きな作家について長々と話し合ったりした。夏休みの前には、「凪ちゃん」「美森ちゃん」と呼び合う仲になっていた。
一学期の期末試験の後で、私は「風の匂い」という凪ちゃん作の短編小説を読ませてもらった。ふつうの現実と変わらぬ高校生たちの物語なのだけれど、空気に甘い匂いがあるという点だけが異なる少しだけ幻想的な作品だった。文章は上手で、ストーリーもまとまっていて、同じ高校生が書いたものとは思えず、私は驚いた。
「とっても面白い。最後に匂いが臭いになったときはびっくりしちゃった」
「本当に? 本当に面白かった?」
「うん。すごいよ、凪ちゃん。才能があるよ」
「嫌だなぁ。褒め過ぎだよ」
口では嫌と言いつつも、彼女はうれしそうだった。
夏休み明けには、凪ちゃんの書いた「絵文字の本屋さん」という短編を読ませてもらった。やはり私たちと変わらぬ高校生たちが登場人物なのだが、世界共通の言語と文字がある世界の物語だった。凪ちゃんは現実の中に幻想的な要素を入れる作風の持ち主のようだ。この作品も面白かった。
「世界共通の文字がある世界は素敵だね。日本語がないのは少し寂しいけど」
私は夢中で凪ちゃんの小説を読み、熱心に感想を語った。高校時代を通して、私は彼女の小説を最初に読む読者になった。彼女には才能があると信じた。
「私、小説家になるのが夢なんだ。絶対に他の人には言わないでね。美森ちゃんにだから教えたの。秘密だよ」
「きっとなれるよ。凪ちゃんがデビューするまで、秘密にする」
私は凪ちゃんのことを親友だと思った。秘密の夢を教えてくれたぐらいだから、彼女も私を親友だと思ってくれているのだと思う。
伊藤光司も私と同じ高校に進学していた。彼のことは中学まで「光司くん」と呼んでいたが、高校からはこの幼馴染を「光司」と呼び捨てするようになった。彼は私を「美森」と呼んだ。といっても別につきあっているわけではなく、腐れ縁で遠慮がなくなっただけだった。
光司は相変わらず体を鍛えるのに熱心で、陸上部に入り、長距離の選手になった。ホモルクスは走りながらでも光合成でエネルギーを補給できるので、長距離ランナーとしてはホモサピエンスより少し有利なのだと彼に教えてもらった。スポーツにおいてホモルクスが優れている点があるなど想像したこともなかったので、私は驚いた。
「ホモルクスはひ弱なイメージがあるんだけど、そうでもないのね」
「美森の思い込みだよ。ホモルクスもホモサピエンスと変わらない運動能力があるんだよ。鍛えさえすれば、磨かれる」
「光合成ができるからなぁ。なんか怠けちゃう」
「まぁ、そういうホモルクスが多いよね。のんびりと日向ぼっこしてるのが好きな人たち」
「そうそう。あんまりガツガツする気になれないんだよね」
「まぁ、好きなようにすればいいよ」
私はあまり社交的ではなく、光司と凪ちゃんの二人の友達がいるだけで満足だった。
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