序『ネジ曲がるシナリオ』
夜見の書架のとある邂逅 ―読者と作者と登場人物と―
ネットの中のとある空間だった。
そこは書架だった。一人の人物がネット空間に漂う膨大な電子の書籍〝WEB小説〟を閲覧・読書し、最後まで読破し終えた書籍を、重要な価値あるライブラリーとして収蔵する場所だった。
そのライブラリーの名前は『夜見の書架』
そこではネットを通じて、自分が選んだWEB書籍を読書し多くの人々に向けて実況放送をしていた。
放送番組名も『夜見の書架』と呼ばれていた。
その夜見の書架の管理者を名乗る人物がいる。
電子のネット空間上の肉体を得た情報発信者
―Vtuber―
そのVtuberの一人〝夜見べルノ〟
彼こそはWEB小説の界隈では知る人ぞ知る人物だった。
そして彼には読書実況放送者としての表の顔とは別にもうひとつの顔があったのだ。
そして今日もまた彼の手により救われた作家と作品世界と物語の主人公がいた。
WEB空間上に存在する巨大書架【夜見の書架】
その片隅に夜見べルノが日々を過ごすプライベートエリアがある。
彼自身が〝サーバー〟と呼んでいるエリアだ。
そのサーバーの中の区分の一つ〝雑談〟とネーミングされたエリアがある。大きなラウンドテーブルがあり、その周囲にいくつかの椅子がある。複数の人間で集い言葉を交わし合う憩いの場所だ。
誰が今そこにいるのは一人しかいない。
白いボタンシャツにラフなジーンズ。背丈や風貌から見て大人と言うにはまだ早い年頃だ。外見そのままで判断するなら17か18それくらいだろう。
子供から大人へと変わる端境期の年頃の青年だ。
彼は雑談の間のテーブルの片隅で一人席についてじっと待っていた。
部屋の片隅にはアンティークな壁時計。文字盤こそオーソドックスな針時計だったが、電子の空間の調度品にふさわしく振り子は青く光る発光体だった。
時計の針は夜11時に達しようとしていた。
「遅いなぁ、べルノさん」
彼はその書架の主の名をつぶやく。時計の針が11時を指し鐘の音が11回鳴る。その時だった。
――カキッ!――
耳に心地よい金属音が鳴る。古めかしい木製扉のドアのロックが開けられる音だった。
――キィィィ――
ドアが開いて中から二人の人物が現れる。
細身のシルエットの長身のメガネ姿の男性と、ミニスカート姿でその両手に魔法少女のような大きなロングステッキを抱えた少女。
先に現れたのはメガネ姿の男性でタキシード姿の上に大きな丸つば帽子とロングコートを羽織っている。
隣の少女は色白で髪はブロンド。両肩から背中の中程まで半透明の光のマントを羽織っている。ただその少女が変わっているのは素肌の関節の部分につり目のようなラインがあることだ。
どう見ても生身の人間ではない。言うならば彼女はオートマタ、すなわち〝自動人形〟の類だ。ただし自分の意思を持った自動人形だ。
それは物語の主人公として振る舞うに相応しい存在感と麗しさを宿していた。背丈は小さく150もない。だがその金色に光る瞳はあの彼をじっと見つめていた。
テーブルの席でじっと待っていたあの若者だ。
二人が現れたのに気づいて、若者は立ち上がると足早に駆け寄っていく。
「おかえりなさいベルノさん、それにアルエッタも?」
その呼びかけに答えたのはべルノだった。
「ただいま帰りましたよ。待たせてしまいましたね」
「いいえ。大丈夫です! それよりアルエッタの世界はどうでしたか?」
べルノは丸つば帽子を脱ぎ傍らのオートマタの少女を眺めながら静かに答えた。
「彼女の世界の物語の時間軸は無事に修正されましたよ。正しいシナリオへと繋がりました。後は――」
べルノの語る言葉の続きを若者はいう。
「ここから先を書き上げていくのは僕ですよね」
「ええ、それが物語の原作者であるあなたの役目です」
「はい」
穏やかに落ち着いて答える若者にべルノはさらに言った。
「実はですね本当ならばアルエッタさんはそのまま向こう側の物語の世界に残して来るつもりだったのですが、あなたにどうしても伝えたいことがあるというので特別にお連れしました」
「えっ?」
驚く若者にアルエッタは静かに歩み寄ると語り始めた。とても穏やかな笑みで。
「創造主様、あなたにどうしても伝えたいことがあってべルノ様にご無理を言って今一度だけここに戻らせていただきました」
「アルエッタ?」
少女にとって若者は生みの親だった。作者という名の生みの親。アルエッタはにこりと微笑みながら言う。
「わたくし、べルノさんとごいっしょに、私の暮らしていた世界を元に戻しながらあることをずっと考えていたんです」
「それって?」
「はい」
アルエッタは一呼吸置くと若者を真摯な瞳で見つめながらこう言ったのだ。
「私を生み出してくださって本当にありがとうございました。だからひとつだけお願いがあります」
「なんだい?」
「諦めないでください。頑張って最後まで物語を紡いでください。私がこれから歩く先を最後まで導いてください」
その言葉は若者にとって勇気につながる言葉だった。
「わかった。必ず約束する」
「きっとですよ!」
そう言いながら弾けるような笑みを浮かべると作者である若者にしっかりと抱きついた。喜びと愛情を若者へと伝えながら。
そして、その傍らからべルノが告げた。
「アルエッタさん、そろそろお時間ですよ」
「はい」
素直にそう答えてアルエッタは若者から離れた。
「それでは創造主様! アルエッタは私の世界へと旅立たせていただきます! 二度と会えませんが私の冒険をずっと見続けてください」
「もちろんだよ! もう二度と諦めるなんて言わないよ」
そして、アルエッタの本来あるべき物語の世界へと繋がる時の扉が開かれた。それはべルノにしか開けられない扉だった。
にこやかな笑みを浮かべて手を振りながらアルエッタは扉の向こうへと帰って行った。若者は自らが生み出した物語の主人公に別れを告げると一切の悩みを振り切った力強い瞳で前を見据えた。
「べルノさん。僕行きます」
「ああ、執筆に戻るんだね」
「はい! アルエッタと約束しましたから。もう弱音は吐きません」
「そう言ってくれると。私も嬉しい。読者にとって物語が最後まで描かれることが一番の喜びなのだからね」
「はい! それじゃあ失礼します」
彼はそう言葉を残して夜見の書架の空間から立ち去っていった。そして後に残されたのはべルノただ一人だった。
ロングコートを脱いでタキシード姿になりながら彼は歩いて行く。その先にはテーブルの上に一冊の本。
それは小説だった。その小説の本を手にしながら彼は言う。
「これでシナリオは修正されましたね」
本を手に書架の中を歩いて所定の場所へと向かう。その小説の本が本来収められていた棚の一つだった。
彼が行なっていたのは物語の修復――
登場人物と作者との間で信頼の絆を取り戻させ、登場人物に同行して物語のシナリオの歪みや分断や過ちを修正していく。そして本来あるべき物語の姿へと戻していくのだ。
とはいえこれはあまり表にすることはできない秘密のスキルだった。
「やはり若い作家さんはつまずきやすいですね」
そう呟きながら手にしていた書籍を棚の所定の場所へと収納する。綺麗に治った本棚は美しかった。
「これでよしと」
そう口にした時、彼は違和感を感じた。
「おや?」
その違和感のする方へと足を向けていけば、棚の一つの本からその違和感そのものを感じていた。不安に思いながら違和感の原因となっている小説を手に取る。
「この本は確か――」
その表紙に記されているタイトルを彼は見た。
【旋風のルスト 逆境少女の傭兵ライフと、無頼英傑の西方国境戦記】
それは以前にも見たことのあるタイトルだった。
「これは確か、美風さんの?」
不安に思い本を開けばある特定のページで視線が止まった。
「これは――」
文字がぶれている、文章が不安定に変化している。それは明らかに異常の兆候だった。彼はその小説を閉じるとそっと元に戻す。
彼は読者だ。あくまでも読者だ。物語そのものに彼個人の意思で直接介入することはできない。だからこそ彼の独断だけでは不安と違和感を感じても何もできない。作者、登場人物、そのどちらかから接触を受けない限りは。
「嫌な予感がする」
そう呟きながら書架の棚から離れていく。彼の表の役目である、実況動画放送者としての役目に戻るために。
少なくともそこからしばらくの間は何もなかった。あの日が来るまでは――
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੬ჴ ƠωƠჴჱ{2話分一挙公開!
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