想いが舞う夜に

南方 華

前編

 ようやく今日の仕事を終え、我がしろへと帰って来た。

 城、といっても二畳にじょうもない世界で、そもそも自分の軽自動車を城と言うのもどうかとは思うのだが、一つのプライベートな空間なのだからそう呼んでいる。

 車内にもる冷気は、厚手あつでのストッキングをやすやすと突破とっぱして、じわりと肌の中へみ込んでくる。

 二枚履にまいばきしてくれば良かったな、と白い息を盛大にき出しながら、イグニッションボタンを押す。と、低い駆動くどう音と共に、目の前にある計器に次々とデジタルな光が点灯していく。

 ナビモニターのローディング、そして猛烈な勢いで吹き出し始める空気を浴びながら、にごっていた私の目は再びかがやきを取り戻す。

 ようやく、解放された。

 さあ、ここからは私の時間だ。

 暖機だんきもままならぬ愛車はむち打たれ、駐車場から夜の街へとけ出していく。


     *


 朝のように渋滞じゅうたいすることがないこの時間は、とても快適だ。

 ネオンはなめらかに後方へと流れていく。

 そんな中、今日の私はラジオに耳をかたむけていた。

 普段はカーオーディオで好みの音楽を鳴らすというのが私のセオリーだが、今日は違う。

 なぜならば、今夜は特別な日だからだ。少なくとも、にとっては。


 12月24日。


 歴史に名を刻む聖人が生まれた前夜であるその日は、誰もが知っている「聖夜」だ。

 子供達が白髭しろひげの老人からプレゼントを貰える日であり、ついでに言うと、恋人達の大事な日でもある。

 まあ、最後の内容に関しては、私には一切縁がないのだけれど。

 とはいえ、それはたまたまというやつだ。

 元来がんらいれっぽい性質タチの私は、服もその場での衝動しょうどう買いが多い。

 今、こうして乗り回している車もそうだ。

 就職した当初は電車通勤だったのだが、存外に体力をうばわれるということで、車通勤が許される我が校にあまえさせて頂くこととなった。

 貯めた軍資金を手におもむいた車屋は新車・中古車共に販売しており、初めに考えていた新車は納期まで時間がかかるということで、中古車が並ぶところに行き、ながめること20分。

 出会ってしまった、としか言いようがなかった。

 車体カラーも形も好みで、内装は前の所有者が張り替えたのか、明らかに特別な仕様となっていた。

 気が付くと金額の入った領収書片手に、満足げな表情を浮かべる私がそこに居た。

 決して安くはない、というより人生で最も高い買い物を即決してしまうくらいの、いわゆる一目惚ひとめぼれ体質なのだ。

 だが、現在彼氏の一人も居ないというのは、本当に奇跡的なことに、いい男に出会えなかったというだけ。

 男共もキレイ系でちょっとだけ男まさりな私に興味がなかっただけ。

 ただ、それの結果としてこうなっているだけなのだ。

 ……と、若干のそねみはさておいても、素敵なお祝いの日だ。

 ラジオのDJがアップテンポに盛り立てるため、いやおうでもテンションは高まっていく。

 中学三年生のクラス担任なんてやっていると、この時期はその業務量にとにかくむ。

 補習だ、内申だ、受験だ、と冬休みなんてあってなきがごとし。

 残業は、一段と激しさを増す。

 そんなわけで、普段なら疲れ果て、即座に家(実家)に帰り、明日への英気を養うところなのだが、今日の私はやはり一味違う。

 せっかく独り身なのだし、この日にしか出来ない大技をやってのけようと思ったのだ。


 それはすなわち、聖夜の一人カラオケ。


 こんな日におひとり様最強のコンテンツを楽しむという、まさに神に対する冒涜ぼうとく

 だが、もはやそれが正常ではないことを私は知っていても止めることが出来ない。

 ちょうど、お目当てのクリスマスソングが流れてきた。

 車内でそれを朗々ろうろうと歌い上げながら、私は目的地の、学校から少し離れた生徒の来なさそうな馴染なじみの店へと突き進んでいく。


     *


「大好きなまちで~ 大好きな人とぉ~」


 私の第二の城は、先程より少しだけ広い。

 しかも、信じられないほどガラガラだったので、一番広い部屋へと案内された。

 店員の悲しそうなひとみが忘れられないが、それは私に向けられたものか、それとも互いの境遇きょうぐうを分かち合ったものなのか。

 そんな痛ましい感傷かんしょうも、一曲歌い出すと途端とたんに吹き飛ぶ。

 そのまま立て続けに五曲を熱唱すると、ふう、と一息つき、椅子いすにどっかりとすわる。

 ヒトカラは自分の好きなタイミングで歌えるし、誰かの目を気にすることもない。

 別に自分が社交的な人間でないことはない……と思っているし、人と一緒ならそれに合わせた行動はるのだが、何も考えず自分だけの時間を過ごす、ということも大事なのではないかと。

 そんなことを思いめぐらせつつ、今まさに歌い終わった曲で、ふと一人の生徒のことを思い出していた。

 彼女は、少し変わった雰囲気を持つ子だった。

 きっかけは昨年の春のこと。屋上で、その歌を口ずさむ彼女に偶然ぐうぜん出くわしたことだった。


「あれは本当に、凄い声だったなあ」


 抑え気味にしていても、とにかくひびく。

 しかも、耳だけでなく、心にまで。

 今にして思えば、これまた一目惚ひとめぼれ、というやつだったんじゃないかと思う。


「……」


 その後、副顧問ふくこもんでもあった合唱部へとごり押しスカウトを敢行かんこうし、半ば無理やり入ってもらったのだが、結果的には良かったんじゃないかと自負じふしている。

 クラスでもやや浮いていた彼女は、今ではよく話す友達も出来、うまく馴染なじんでいるようだった。


「もう一度あの歌、聞きたいなあ……」


 そうひとりごちると同時に、ググゥとお腹が鳴る。

 夕飯も食べずノンストップでここまで来ているのだから当然だ。

 手元のパネルを操作しながら、明太マヨポテトと焼きそば大盛りを注文する。

 普段は親元にいる関係で、このようなジャンクなフードはお召しにならない貴婦人レディなのだが、今日は特別だ。好きなものを好きなだけ食べてやる、と決意を固めると、お腹もそれに合わせてひと際大きい賛同の音を打ち鳴らした。

 そして、ただぼんやりと待つのもあれなので、再び歌いに戻る。

 と。

 コンコンコン、とドアがノックされる。

 ぴったり歌い終わりのグッドタイミング。出来る店員さんのようだ。


「失礼します」


 そう、言いながら店員が室内に入ってくる。

 お目当てのものはお盆にたっぷりと盛り付けられ、美味しそうな匂いで部屋の中を満たしていく。

 が、それよりも、私の目は店員の、その良く見知った顔に釘付くぎづけとなった。


「せ……、んせい?」


 彼女もその場でこおり付く。

 そう、彼女は先程まで回想していた「歌の上手な生徒」本人だったからだ。

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