後編

 運転席の窓から差し込む月明つきあかりと、計器のランプが、暗い車内の中をかすかに照らしている。

 にぎやかだったラジオは音量をしぼり、低い駆動くどう音とエアコンの吹き付ける音がやけに大きく聞こえる。


「逃げなかったんだな」

「……そっちの方がめんどくさいことになると思ったから」


 彼女に対して、私が起こした行動は、実に教師的ごりっぱだった。


 ——すぐにバイトを終わらせなさい。話は車で聞くから。


「……」


 よくよく考えれば車にまねくというのはあまりいい選択ではなかった気もしたが、何よりも中学生が店で夜更よふけにバイトをしている、という状況が非常にまずかった。

 とにかく、見逃すわけにはいかなかったのだ。


「で、何でバイトしていたんだ」

「バイトじゃなくて、手伝ってただけ、です」

「そっか」


 うちの学校でもたまにあるケースだ。

 自営業や会社を持つ親御おやごさんも居る関係で、そこで手伝いをするというケースもあるにはある。

 勿論、その際には学校に届け出をすることが大前提となるのだが。


「届け出、提出してないだろ」

「……うん」

「お金は、もらってないんだな?」

「うん。ご飯は、ちょっともらったりするけど」

「……そっか」


 顔をうつむかせ、あまり感情を出さないように答える彼女を尻目しりめに、心の中で溜息ためいきをつく。

 彼女は確か、母子家庭だったはずだ。

 とはいえ、都内の分譲ぶんじょうマンションに住んでいて、それなりに裕福ゆうふくであると申し送りされている。

 と、すれば。


「親とうまくいっていないのか」

「……」


 青白い光を浴びたヘアピンが、微かにれる。

 だが、彼女は押し黙ったままで、かげで表情もよく読み取れない。

 いくら待っても、その先の言葉は出てきそうにはなかった。

 こうなると、どうしようもない。

 一介いっかいの教員に出来ることなんて、たかが知れているのだ。


「困った時は、なんでも相談に乗るからな」

「うん、ありがとう、先生」


 これが、精いっぱいだ。


     *


 そのまま、彼女を家まで送っていく。

 交通量が増え、窓の外に映る街並まちなみはくもっていてもそれと分かるほど、はなやかさを増していく。

 一方で、車内の雰囲気ふんいきは重たいままだ。

 何の話をったらいいだろうか、ここはやっぱり王道の音楽系トークだろうか、と色々と思い巡らせていると、ふと、彼女が口を開いた。


「先生は、どうして『先生』になったんですか」

「私はそうだな、……父親が教員だったからな」

「それだけ?」

「うーん、きっかけでもあるし、正直惰性だせいというか、きでもあるんだよ。でも、仕事していて分かったんだが、その」


 生徒にめんと向かってこれを伝えるのはちょっと恥ずかしいな、と思いながら、私は想いを口にする。


「その……、さ。若い子に自分の持ってる知識とか経験とかを伝えて、近い場所に居てあげて、いい感じの大人になった時、また会えたらな、って」


 最近は少しずつ周知しゅうちされるようになってきたが、この業界はハードだ。

 肉体的にも精神的にも厳しく、けずられることの方がはるかに多い。

 規範ルールもあれば、仕来りマナーもある。人間関係も根深く、難しい。

 また、逸脱いつだつなんてしようものなら凄まじいバッシングを受ける。

 だが、世間では立派な聖職者せいしょくしゃあつかいで、より完璧かんぺき倫理りんりが求められる。

 しんどい、辞めたいと思う時は多々ある。

 それでも。


「何ていうかさ、何だかんだ言って好きなんだろうね」

「……」

「ああ、もう、恥ずかしいな! そっちはどうなんだ。……高校、行かないんだろ?」


 彼女の場合、母子家庭という背景や「特段の事情」により、過去から三者面談が出来なかったため、保護者ははおやからの署名・捺印を取り同意を得る形で進路を確認している。

 一年生、二年生と、段々と荒くなる署名は正直なところ眉唾まゆつばモノだったが、同意はしているのだろう。

 あるいは、——放棄ネグレクトか。

 人生の分岐ぶんき点でもある非常に大事な三年生の時でもこうなのだから、悩ましい。


「どんな仕事にきたいとかはあるのか?」

「あるにはあるけど……」

「大丈夫。言ってみなよ」

「……中学出たら、シンガーソングライターを目指めざしたいんです」

「へえ……」

「でも、やっぱり無理かなあ」

「どうだろうな。ああいう世界は運とかえんもあるだろうし。夢見る者は多いけれど、実際にテレビとかのステージ上に立てるのはほんの一握ひとにぎりだろうから、簡単ではないと思うけど……」


 でも、と言葉をつなげる。


「私は、チャレンジして欲しいと思ってるよ」

「え……、本当に、ですか?」

「ああ、当然だ」

「本当の本当に、本当?!」


 赤信号になったので、隣を見ると、彼女は身を乗り出して顔を近づけていた。


「近い近い! 本当にそう思ってるってば」

「そっかあ。ふふふ、そっかあ」

「人気歌手になったらさ、テレビとかでやっている恩師おんしとご対面たいめんみたいなやつ、是非ぜひともたのむよ」

「うん! ……先生は、あの日、きっかけをくれた人だし」


 そう言うと、彼女は笑顔を見せる。

 それは、窓の向こうでかがやくイルミネーションや恋人達の表情に負けないほど、とても美しくてきらめきのあるものだった。


     *


 エントランスに消えていく彼女を運転席から見守った後、私は大きな溜息を一つき、改めてマンションの造形を確認する。

 天高くてんたか屹立きつりつした高層マンションは、洗濯物をしているというような、生活の気配があまりない。郵便物ゆうびんぶつやクリーニングなど取次とりつぎしてくれる、いわゆる専属せんぞくのコンシェルジュが駐在ちゅうざいしているのかもしれない。

 石畳いしだたみが整然とかれた道の左右さゆうは小じゃれた庭園でいろどられており、都会を一瞬忘れさせるほどだ。場所を考えるとおくくだらない物件だろう。

 彼女が庶民しょみん的なヒトカラ店でバイトするような人間でないことは、明らかだった。

 

「……」


 私は彼女に何かしてあげられたのだろうか。

 何かしてあげられることは、無いだろうか。

 あの心からの笑顔が、頭の中にずっとただよい続けている。

 その感覚は、そう、良く知っているものだ。

 ああ、本当に。これも、きっと。


一目惚ひとめぼれ、だよなあ」

 

 今度は小さめの溜息をき、浮かべた苦笑いを吹き飛ばすかのように、ラジオの音量を戻す。

 ちょうど日が変わるタイミングで、陽気なクリスマスソングと共に、酒でも飲んでいるのか異様なテンションのDJディージェーが口笛を高く吹き鳴らす。


「メリークリスマス、マナちゃん」


 打ち鳴らしていたハザードを消し、私は再び夜の街へとけ出していく。

 はしくもったフロントガラスの向こうで、聖夜をいろどるように、白い欠片かけらおどる。


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想いが舞う夜に 南方 華 @minakataharu

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